デートの約束
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 まっすぐに見つめ返されると、少しばかり照れくさくなる。そわそわとした気持ちになりながら、雄史は心を落ち着けるように小さく咳払いをした。
 言葉を待っているのであろう志織は、そんな様子に小さく首を傾げる。

「志織さん、もしかして一人っ子?」

「え? ああ、そうだけど?」

「一人だけだと、親からの期待も集中するのかなって」

「ああ、それは多少あるな。雄史は?」

「俺は歳の離れた妹と弟が。高校生と中学生です。下の妹が生まれるまではプロ野球選手になりたかった父が、俺にプロを目指せって強く言ってたんですけど。じいちゃんが自分の夢を他人に押しつけるなって、怒ってくれて。それからは平々凡々に暮らしてます」

 小学生の頃はろくに友達と遊ぶこともできなくて、泣きながら野球の練習をしていた。あのまま続けていたら、やさぐれていたのではないかと思うほどだ。
 それでも幸い、いまも好きなスポーツであり、身体を動かしたりするのも好きだ。雄史が毎日、身体を鍛えるのを欠かさないのはここから来ている。

 だが少し体育会系になりすぎて、細やかさが足りないと言われもする。

「おじいさんはいい人だな」

「はい、とってもまっすぐな人で。でもつい最近、亡くなっちゃったんです。人がいなくなる時ってあっという間ですよね」

「そうか、それは残念だ」

「最後まで大丈夫、大丈夫って。……あっ、ごめんなさい。暗い話をするつもりじゃなかったんですけど。そうだ、今日のデザートはなんですか?」

 静かに自分を見つめる視線に気づいて、雄史は慌てて声のトーンを上げる。幼い頃からおじいちゃん子であったから、思い出して少し気分が落ち込みかけていた。
 暗い雰囲気を払拭するために、努めて笑みを浮かべると、察した志織はやんわりと目を細めて、こちら側へ手を伸ばしてくる。

 ふわふわとした、赤茶色のくせ毛に触れてきたその手に、胸の音が大きく跳ね上がった。

「えっ、あ、あの」

「うん、今日はマフィンだ。フルーツとプレーンのやつ」

 ひとしきり頭を撫でると、なにごともない様子で大きな手は離れていく。しかしぬくもりがまだそこに残っているような気がして、雄史はひどく気持ちが落ち着かなくなった。
 思わず指先で髪の毛を摘まめば、視線を和らげた志織が優しく微笑んだ。その笑みに気づくと、今度はカッと火を付けたように頬が熱くなる。

「えっと、ハンバーグ、おいしいです」

「うん」

 とっさに視線を落とした雄史は、黙々とハンバーグを口に運ぶ。すると彼は急に黙り込んだその態度を咎めることなく、コーヒーを淹れる準備を始めた。
 挙動不審さを咎めない気遣いにほっとする。気持ちを落ち着けて、目の前のご馳走を味わうように食べると、胸の奥がほんわりと温かくなった。

「なんだか、ここに来るといつも根っこが生えちゃいます」

 のんびりと食事を終え、食後のデザートを前にする頃には閉店間近だ。気づけば店内にいる客は雄史一人になっていた。

 普段であればわりとこの時間まで人がいるのに珍しい。
 そして会うたび雄史に歓迎しない顔を見せるにゃむは、ひと気が少なくなったのを見計らって二階から下りてきた。

 散々みゃーみゃーと文句を言われて、威嚇するように唸られたけれど、寝顔は天使だ。
 雄史がなかなか立ち去らないので諦めたのだろう。いまはカウンターの端にあるベッドでごろ寝をしている。

 そんなにゃむと後片付けする志織の姿を見ながら、雄史はフルーツマフィンと素朴なプレーンのマフィンに舌鼓を打つ。
 リンゴの蜂蜜漬けのほうは丁度良い酸味と甘みがあり、特にデザート感がたっぷりで食べ応えがある。

 それでも満足感のわりに大きさは小ぶりで、ハンバーグで満たした腹にもあっさりと収まった。ひと息つくようにコーヒーを飲めば、すっきりとした酸味が口の中に広がる。
 今日はフルーツに合わせたシナモンローストのキリマンジャロ。リンゴの酸味と相性がいい。

「雄史の家はどの辺だ?」

「ああ、俺はここから電車一本で五つ先の駅、自宅までは最寄りから五分ちょっとです」

「いま駅前開発しているところか」

「はい」

 このカフェの最寄り駅から下りは四つ先までしかないので、自然と雄史の行き先は上り電車になる。すぐにそれに気づいたのだろう志織は、言葉にしなくとも駅がわかったようだった。

「会社はここの隣だったよな? 近くていいな」

「そうなんです。家から会社まで三十分くらいで着いちゃいます。でも志織さんの徒歩一分、いや階段一本かな? には負けますけどね」

「ああ、言われてみたら、確かにそうだな」

 雄史の言葉で初めて気づいたのか、少しだけハッとしたような顔をしてから、照れくさそうに笑う。つられるように笑えば、志織はますます笑みを深くした。いつ見ても気持ちが穏やかになる、陽だまりのような笑顔。
 楽しい、嬉しい、そういう気持ちは、伝染するのだなと思えるほどだ。

「明日は雄史の最寄り駅から二つ先だ。店は駅から七、八分くらいだったかな。駅前の待ち合わせにしよう。会社からだから十九時、……十五分で間に合うか?」

「はい、全然余裕です! なるべく待たせないようにしますね」

「じゃあ、明日のデートは楽しみにしてるな」

「……っ!」

 ふいに呟かれた言葉に、飲んだコーヒーが気管に入って、雄史は思いきりむせた。ゲホゲホと大きく咳をして、驚いたまま目の前に立つ人を見返すと、彼は何食わぬ顔で首を傾げて見せる。
 過剰に反応してしまったことに気づき、雄史は顔が熱くなった。熱が出たみたいに火照る頬に手を当てたら、やけに手の冷たさを感じる。

「デ、デートなんて、久しぶりです」

「そうなのか? 彼女は?」

「あー、春先に部署異動になって、忙しくなって、構ってあげられなくなったら、振られちゃいました」

「ふぅん、もったいないことをするもんだな」

「そんなことを言うの、志織さんだけですよ」

「そうか? 雄史はそこにいるだけで、相手を照らしてくれるような明るさと優しさがある。それを手放すなんて、もったいないよ」

 カップを下ろしてため息をこぼせば、伸びてきた手がうな垂れた雄史の頭を優しく撫でる。
 少しだけその手に寄りかかるように傾けると、ほんのわずか躊躇いを感じさせたあと、すぐに指先は髪の毛をかき回した。

 犬かなにかのような気分になりつつも、なだめるみたいに撫でてくれる手が嬉しかった。誰かに頭を撫でてもらうなんてこと、最近ではまったくない。
 それどころか優しく触れてもらえることすらなかった。

「志織さんと出かけるの、楽しみだな」

 ぬくもりに目を伏せて、ぽつりと呟いた声に微かに笑った気配を感じた。

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