66.思いがけない本音
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 心はまだ残っている、未練はまだ残っているように見えた。けれど消極的な態度を見せられるとひどく不安を覚える。このまま彼を追いかけていていいのだろうかと、必死で盛り立てた気持ちが萎れそうになった。けれど口を引き結び、光喜が顔を上げたところで戸の向こうで気配が動く。

「あ、冬悟さんおかえり」

「戻りました。うどんと蕎麦、両方買ってきました。笠原さんはどっちがいいですか?」

「んー、うどんかな」

「修平は蕎麦で良かったですよね?」

「うん、ありがとう」

 鶴橋が加わると空気が変わって少しゆったりとした雰囲気になったのが伝わる。先ほどまでのようなボリュームがなくあまり声を聞き取れなくなったが、ふいに勝利がやけに明るい声を上げた。

「冬悟さんは小津さんの歴代彼氏って会ったことある?」

「あ、はい。ありますよ。皆さん慎ましい感じの綺麗な人ばかりでした」

「ふぅん、光喜とタイプは違うんだな。小津さんは光喜のどこが好き? やっぱり顔?」

 なにげない調子で発される言葉一つ一つがひどく胸に刺さる。単なる好奇心だろうと思っても、改めてそれを聞かされるのは辛い。しかしその先を遮りたくなって、立ち上がろうと身体に力を込めたところで光喜は動きを止めた。

「ああ、うん。確かに顔は、あんなに綺麗な子は滅多にいないよね。でも僕は光喜くんの華やかで明るいところが好きだよ。一緒にいるとすごく楽しいんだ」

「確かに、修平は光喜さんがいると生き生きしてますよね」

「そ、そうかな? でも一緒にいると気持ちがいいんだ。笑っている顔を見るだけで、いいなって」

「小津さーん、それさ、本人に向かって言えよな」

「あー、うん。でもなぜか、うまく言葉にできなくて、なんだか失敗してばかりで」

 小さくなっていく小津の声に光喜はまたうずくまって手を握りしめる。けれどそこに少し前のまでの重苦しい感情はない。頬が赤く染まり、引き結んだ唇が緩んでしまうような高揚感。ほっとするような気持ちと、喜び勇んで飛び出していきたくなる気持ちがない交ぜになって身動きができない。

「もういっそのこと、光喜の寝てるベッドに潜り込めば? ……って、いまなに想像したの? 小津さん顔が真っ赤だよ」

「しょ、勝利くん、からかわないで」

 和やかな三人の笑い声にようやく光喜は肩の力を抜いた。けれどいますぐには向こうへ行けなくて、気持ちが落ち着くまでじっと目を閉じる。そして話題が自分から離れた頃を見計らって立ち上がった。
 しかしすっかり忘れていた酔いがまだ残っていて、また頭がぐらりとする。とっさに目の前の戸に手を伸ばした瞬間、ガタッと大きな音が響く。その音に三人の声が止んで、光喜は冷や汗を掻いた。

「あ、光喜さん」

 そっと戸を開けば一番に鶴橋と目が合いやんわり微笑まれる。視線を動かして見るとソファに勝利、テーブルを挟んだ向こう側で小津が胡座をかいて座っていた。

「なんだ、目が覚めたのか? でもまだ酔いが覚めたって感じじゃないな」

「うん、頭がぐらんぐらんしてる」

「腹は?」

「んー、減ってない。それより喉が渇いた」

「あ、そうだ光喜、小津さんに礼言えよ。ここまで運んでくれたんだぞ」

「……そ、そうなんだ。ごめんね、小津さん。俺、重たいのに」

「ううん、全然重たくなんかなかったよ」

 じっと見上げてくる小津の視線がやけにまっすぐで、恥ずかしさを覚えた光喜はこちらを振り向いた勝利のほうへ近づく。しかし気持ちを誤魔化すように後ろから腕を回して頬を寄せたら、ふいに首筋が冷やっとして肩が跳ね上がる。

「つ、つめたっ!」

「……光喜さん、無闇にくっつかないでください」

 驚いて振り向いた先にはにっこりと笑みを浮かべながらも、目がまったく笑っていない鶴橋が立っていた。昼間のことをまだ根に持っているのかもしれない。差し出されたスポーツドリンクを受け取り光喜はため息をついた。
 力が抜けると酔いのせいか身体が重くなる。ソファの背面にもたれかかるとしっかりと冷えたドリンクを喉に流し込んだ。

「光喜、今日は泊まっていくか?」

「んー、いや、帰るよ」

「大丈夫か? かなりしんどそうだけど」

「まあ、大丈夫でしょ。タクシー乗ればすぐだし」

「なんなら送ってやろうか? お前、結構足に来てるだろ」

「えー、いいよ、そこまでしなくて、も……あっ」

 心配そうな勝利の顔に肩をすくめた光喜だったが、ふっとあることが思い浮かんだ。それと同時に、ゆっくりと振り向いて背もたれを掴むと、身を乗り出すようにその先にいる人を見つめる。視線が合うとその人は頬を赤くした。

「じゃあ、小津さんが送って」

「え? えっ? 僕が?」

 ねだるように小首を傾げた光喜に目を丸くした小津はひどく動揺した反応を見せる。それでも視線を離さずに、さらに赤く染まっていくその顔を光喜はじっと見つめ続けた。

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