眠りの狭間。漂う意識の隅で微かに戸を引く音がした。
それは気配を消して、足音も立てぬようこちらに近づいてくる。けれど俺は夢現ながらも、その存在を確かに認識していた。
「あれ、起きてました?」
「起きてたんじゃねぇよ。起こされたんだ」
ベッドの脇に立ったその人物を薄目で見上げれば、三木が目を見開いて驚きをあらわにする。
だが俺が起きたのを知ると、立ち尽くしていた男は躊躇いがちにそっとベッドの端に腰かけた。その重みでほんの少しスプリングが軋む。
「ごめんなさい。てっきり寝てると思ってたんで」
「……」
ぼんやりとした視界に三木の姿が映った。コンタクトを外しているのではっきりとは見えないが、恐らくもう仕事へ行くのだろう。
既にジャケットを羽織り身支度を調えていた。
けれど跳ねた髪先は相変わらずだ。
以前もう少し髪にも時間をかけろと言ったが、身繕いよりも睡眠の方が最優先だと開き直られた。
「なんだよ。仕事じゃねぇの」
「ちょっと顔だけでも見ていこうかと思ったんです」
いまだ眠気が覚めない俺は、髪を梳き撫でる三木の手がむず痒く、小さく唸りながら布団を頭から被った。
「あ、酷い」
「うるせぇ、起こすなって書いて置いただろ」
明け方まで仕事をしていて、こうして布団に潜り込んだのは、だいぶ空が白んできた頃だった。
普段は朝に三木が起こしに来るので、リビングのメッセージボードに絶対に起こすなと書いて置いた。
いまこいつが仕事へ出る時間なのであれば、恐らくまだ七時かそれを過ぎた頃だ。
「一時間も寝てない」
「だから、起こすつもりじゃなかったんですってば」
「重い」
覆い被さるように布団の上から抱きつかれ、くぐもった声で文句を言えば、布団の端から出ていた頭のてっぺんに唇を落とされた。
「最近、広海先輩の顔見てなかったから。ちょっと見たくなっただけ」
「……」
そういえば最近は、時間が噛み合うところが殆どなかった。
こちらを見下ろしている視線を感じ、ほんの少しだけ布団の端から顔を出せば、三木は嬉しそうに頬を緩めた。
元々不規則なシフトの三木と、仕事の状況によって変則的に時間が変わる、俺の生活は少々ズレていた。
特に近頃は締め切りに追われた俺が殆ど家にいなかったり、今日のように明け方まで部屋に篭もって仕事をしたりで、こいつの顔を見るのは多分一週間ぶりくらいだ。
「お前どこで寝てた」
「え? んー、客間」
俺の問いに、目を瞬かせた三木はへらりと笑みを浮かべるが、俺は逆に眉をひそめた。
客間と言えば聞こえはいいが、玄関横にあるあそこは殆ど物置だ。辛うじて使わなくなったソファがあるので、そこで寝たのだろう。
よくよく考えなくとも二部屋しかないこの家で、隣のリビングにいなければあそこしかないのだが。
「どうしたの先輩……って、あ、そっか眠いのか。ごめん」
眉間にしわを寄せたまま押し黙った俺が、眠くて不機嫌になったのだろうと勘違いした三木は、慌てて俺から離れ立ち上がった。
「俺ね、今日は通しで帰り遅くなるんだけど。先輩はお昼から? おかずは冷蔵庫に入ってるから適当に食べてくれていいから、それと……」
頭上でぶつぶつと、なにか呟いている三木の声が聞こえるが、やはり頭は睡眠を求めているのかあまりよく聞こえない。
しかし俺は徐にすぐ傍の腕を掴んで引き寄せた。
「危ないって、先輩」
いきなり腕を引いた所為か、三木は慌てて体勢を立て直そうとする。けれどそれを無視して首へ腕を回すと、俺は何事かを呟いているその口を塞いだ。
そしてそんな俺の行動に一瞬目を見開くものの、三木は押し当てた俺の唇を軽く甘噛みし、次第にそれを割りゆるりと舌を差し入れてくる。
角度を変えて何度も口づけてくるそれに、しばらく応えていたが、俺はなんの前触れもなく目の前の顔を押しやった。
「眠い、もういい」
「ええっ、そんな」
「帰って寝てたら起こせ」
情けない声を上げる三木にそう言って、俺はそのまま布団を被って一分待たずに寝入った。
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