ライフ02
目が覚めたら、もうすっかり昼を過ぎていた。起きるのが少し面倒ではあったが、腹が鳴る身体の訴えには勝てず、俺はサイドテーブルの眼鏡を掴み起き上がる。
寝癖の付いた頭を掻きながら戸を引けば、ソファの片隅に見るからにアイロン済みの、整然とした洗濯物の山を見つけた。
そして近くへ行きそれを見下ろすと、昨日まで床に散らばっていたメモ紙もまとめられ、テーブルの上に整頓されている。
「家政婦かあいつは」
最近自分で部屋を掃除した記憶がない。壁にぶら下がったメッセージボードに書かれた三木の文字を目で追いながら、俺は小さく肩をすくめた。
「そういや遅いんだったなあいつ。冷蔵庫におかず……んな、こと言ってたなそう言えば」
冷蔵庫を覗くと、そこにはラップの掛けられた皿がいくつか入っていた。俺は適当にそれを取り出し電子レンジに放り込んだ。
そして炊飯器の保温ランプが点っているのを確認し、ミネラルウォーターのボトルを片手にリビングのソファに座る。
「こっちで寝りゃいいのに」
もたれたソファの背に腕を置き、俺は小さくため息を吐いた。手足の長い三木には物足りないかもしれないが、物置にあるソファと違ってこちらは背を倒せば、そこそこ使えるベッドになる。
けれどそれでもこちらを使わないのは、俺のいる部屋に物音が響くからだ。
「そろそろ、引っ越しするか」
三木がここへ来るようになってもう随分経つ。
仕事の利便性で引っ越ししないままだったが、こうも二人の生活がバラバラだと不便が多い。
時間が合えば、三木は勝手に人のベッドに潜り込んでくるが、そうでなければこのリビングや物置で寝ている。
「いや、なんで俺がそこまでしてやる必要があるんだよ」
そもそもあいつは、勝手に人の家に転がり込んできたのだ。俺の休みを見計い毎週やって来ては、勝手にそのまま泊まり。
毎日飯を作りにくるようになった頃には毎晩、帰ると三木が家にいた。
「いつから住み着いたんだ」
最初の頃はまだ、終電や始発で帰っていた気がする。いつの間にか俺の部屋にあいつの服が増え、日用品が増え、当たり前のように生活していた。
事の発端が思い出せず頭を掻いていると、奥の部屋からメールの着信音が聞こえた。その音は聞き覚えがあるものだったが、立ち上がるのが面倒で俺はテーブルに置かれた新聞を手にする。
しかし背後からレンジの音に呼ばれ、渋々立ち上がりながら俺は軽く舌打ちをした。
「どうせ引っ越しするなら、事務所の近くにするか」
火に掛け忘れていた味噌汁をぐるりとかき回し、俺は新聞に挟まっていた折り込み広告を眺めていた。
タクシーで帰る事も多い。どうせなら楽が出来る方がいい――そう思ったが、ふと俺は目を細め考え直した。
「ああ、でも。さらに仕事増やされるな」
いま現在、勤めているデザイン事務所は、大きくはないが腕のいいデザイナーや営業が揃っているので、入社以来一度も暇を感じた事がない。
しかも上司は人遣いが荒い。
煮立ちそうになった鍋を見下ろし火を止めれば、先ほどとは違う着信音が聞こえてきた。噂をすればなんとやらで、鳴っているのはプライベートではなく会社の方だ。
仕方なしに部屋へ戻り、充電器に収まっていたそれを取り上げた。
「なんだ、生きてたか。広海、今日はサボリか」
「……有給取る。仕事、今日は十分しただろ」
言葉を発する前に聞こえてきたその声に、ため息が漏れる。そして俺の返事に、ふぅんと小さく相槌を打った上司は、急に電話の向こうでなにやら会話を始めた。
「九条さん、なんの用」
「あ? お前に仕事頼みたかったんだけどよ。まあいいや、明日で。お疲れさん、休むなら連絡入れろよ」
「……あ」
データを送信して安堵した俺は、メールをするつもりでそのまま力尽きた。
「そうだ。お前マンション買わない?」
「は? なんの話だよ」
なんの脈絡もない唐突な話に思わず素っ気なく言葉を返すが、彼は突然大笑いしながら事の成り行きを話し出した。
「こないだ内装やったとこあんだろ。そこがひと部屋買いませんか、だってよ。あっはは、ついでに嫁も紹介してくれるらしいぜ」
「あ、そう。よかったな」
いまと同じように、担当営業を笑い飛ばしたであろう九条が、容易に想像できる。余計なお世話もいいところだ。
「ああ、でもお前にも俺にも不要のオマケだから、破格なら買ってやるって言っといた」
「それ、勝手に俺も話の中に含まれてんのか」
「あー、いまうちの事務所でフリーって事になってんの、俺とお前だけだし」
いまだに一人で笑い続けている、九条にため息をつくと、電話の向こうで彼を窘める声が聞こえてきた。恐らく事務の子だろう。
「奈々ちゃんに怒られた。仕事するわ、んじゃ明日頼むな」
突然通話が切れた電話を見下ろし、俺は大きなため息をついた。
「……子供か」
マイペースもいいところだ。九条は自分より年上で上司でもあるが、仕事以外の事で彼を尊敬すべき点が一つもない。
肩を落としてうな垂れれば、立ち上げたままのパソコンから、メールを受信した音が聞こえる。
「買うのもありか」
仕事の資料と共に添付されていた写真に俺は目を細めた。