ものすごくなにか言いたげな目で、見つめられている。それでもようやく、追いかけてきてくれたのかと思えば、嬉しさが湧く。
だが咎めるみたいな目で見られる、理由はさっぱりわからなかった。
「なんで広海先輩が怒ってるんですか?」
「それは、お前が」
「俺がなに? って、どうしたの!」
ぐっと言葉を詰まらせ黙り込んだ、その様子を見下ろしていたら、俺の腕を掴んだまま彼は歩き出した。
急な動きについていけず、足がもつれそうになる。
なんとか体勢を保って後についていくと、公園を抜け、駅へと続く道を進んでいった。このまま家に連れ帰られるのだろうか、一言もなしに?
ちょっと言葉が足りない、どころではない。
「待ってよ、先輩! 言いたいことがあるなら言ってよ!」
普段ものごとをはっきり言うくせに、今日に限って本当にはっきりしない。
掴まれた腕を引いたら、少しばかり振り向いたけれど、すぐにまた力ずくで引っ張られた。
引き止めようかとも思ったが、ふいに辺りを見回し始めたので、様子を見る。
先ほど携帯電話を見た時、十七時を過ぎたところだった。まだまだ花見客が駅からやって来て、ここはひと気が多い。
人のいない場所を探している、のだろうか。
「広海先輩、こっち来て」
普段ならあまり気が進まないけれど、目についた場所に彼を引っ張り込んだ。
そこは駅から近いだけあって綺麗だ。広海先輩は潔癖症の気があるから、外のトイレって好まないんだよな。
ほっと息をつくと、誰もいないことを確認してから、個室の扉を開く。
「瑛冶!」
「しー、大きな声を出すと外に聞こえちゃう」
公園が上にあるから、駅から近いのに人の気配が少ない。それでもいつ人が来るともわからない。
「もっとほかの場所」
「文句言わないで、緊急事態です」
わりと広くて助かった。俺たちは身体が標準より大きいから、手狭ではあるが、二人立ってもスペースに余裕がある。
除菌液で便座や蓋、手すりなどを拭いて、広海先輩が嫌がりそうなところを減らす。最後に自分の手をウェットティッシュで拭いた。
「はい、ここ座って」
彼は腰かけるのを絶対に嫌がるので、とりあえず自分が先に腰を下ろした。促すように膝を叩くと、眉間にしわを寄せて見つめてくる。
嫌そうな顔――先輩には悪いけれど可愛い。
「早く」
腕を引いて、よろめいた身体を強引に引き寄せる。
「瑛冶、ほんとに」
「広海先輩、俺はちょっと怒ってたんです」
「それは」
過去形だから、もういまは怒っていない。それでも一言が効いたのか、腕を突っ張って肩を押してくる、力がほんの少しだけ緩んだ。
さらに引き寄せるように、腰へ腕を回したら、渋々と言ったていで俺の膝をまたぐ。
「先輩はなんで怒ってたんですか?」
「怒って、いたわけじゃない」
「鬼気迫る感じだったけど?」
「お前が、あの二人のあとを、ついていきそう、だったから」
「……ん? え? あっ、あれはたまたま方向が一緒だっただけで。俺はただどこに行こうかなって、……いうか。先輩、見てたなら声をかけてよ!」
お姉さんたちに声をかけられて、後ろ姿を見送ったところまで見ていたなら、もっと早く声をかけて欲しい。
ムッとして傍にある顔を見つめたら、泳いだ目が伏せられた。
「なんて声、かけたらいいか、……わからなかったんだよ」
「後ろめたかった、の?」
「違う。……珍しくお前が、キレるから」
「それで声かけられなくなっちゃったんですか?」
普段暢気な分、こういう時に効き目があるのか。もっとキレたほうがいいのかな?
いやでも、素直にはなってくれるが、それでこんなに萎れてしまうのだからよくないな。
怖がらせるのは本意ではない。以前のように泣かせることになったら、可哀想だし。
今日の俺は、思いっきり泣かされたけどね。
「こっち見て」
伏し目がちな広海先輩は、なかなか視線を上げない。もどかしくなって、後頭部に手を回し、また無理矢理に引き寄せた。
驚いた様子で目を瞬かせたけれど、お構いなしに唇を塞ぐ。
さらにはきゅっと引き結ばれた唇を撫でて、口を開かせる。いつもより素直な彼は、黙って俺の侵入を許した。
「んっ、ぁ」
これは少し、鬱憤を晴らすようで申し訳なく思えたが、されるがままの彼が可愛くて、たっぷりと口の中を荒らした。
唾液が溢れるほど口づけても、きつく服を鷲掴みするだけで、抵抗をまったく見せない。
先輩が珍しく落ち込んでいる――そう思ったら、可愛さが増した。
貪るみたいにキスをすると、涙を浮かべて見つめてくる。その目を見るだけでゾクゾクとした。
漏れる声さえ飲み込むようにして、息を継ぐ間も与えない。次第に触れる唇が熱を持ち始め、肩を震わせる彼に気づく。
無意識に口の端が持ち上がったのは、言うまでもない。
「可愛い」
「やめろ、こんなところで」
「やだ。だって俺はまだなにも言われてないです」
「え? あ、悪かった。あれは……ん、ぅっ」
言い訳を紡ごうとする口をまた塞いだら、肩を叩かれた。逃げようとするけれど、いまここで逃がす気は毛頭ない。
口先から漏れる声が甘くなり始めて、腰をさらに引き寄せたら、慌てて身を引こうとする。
「先輩って、意外と無理矢理されるシチュエーション、好き?」
「ばっ、か! そんなわけっ」
「だって公園では全然だったのに、いま」
「ここでするのは絶対に嫌だからな!」
緩く立ち上がりかけている、彼のものを撫でたら、力一杯に顔を押しやられた。ちらりと顔をのぞき見ると、文字通り真っ赤だった。
「こんなところでしたら、絶対許さねぇ」
「そんなこと言いながら、こんなところだからいつもより、ドキドキしてるんじゃない?」
「瑛冶!」
「まあ、ほんといつ人が来るかもわかんないしね。広海先輩のえっちな声も聞けないし」
こういう密室的なのも、いやいやしているところをするのも、かなり萌える。だがどうせなら目いっぱい、可愛い声が聞きたい。
広海先輩って普段声が低いから、している時の声が掠れた感じで、色っぽくていいんだよな。
「この近くに男同士でも入れるラブホあるかな?」
押し剥がされながら、座る前に棚に置いていた携帯電話を手に取る。この辺はかなり辺鄙なので、期待は薄かったのだが、ある――あった!
「タクシーで行けば家に帰るより近い」
検索結果を彼の目前に向けたら、顔を横に振られた。
「えー」
「無理」
「ほら、ここ、少し手前のコンビニで下ろしてもらえば、五分くらいですよ」
「嫌だ」
「家でしかしたことないし、俺の社会見学。……というより、さっきのお詫びは?」
「それは……っ!」
「しー」
ふいに人の声が聞こえて、とっさに彼の口を片手で塞いだ。
年配男性とおぼしき二人連れは、すぐに用を済ませて出て行ったが、目の前の顔が今度は真っ青だ。
「ここよりマシでしょ?」
「家に」
「俺が我慢できない。さっきの言い訳もたっぷり聞きたいし」
「お前がさっき口を塞いだんだろ!」
「広海先輩がもっと早く言ってくれてたら、こうはなってないですよ」
俺って意外と、この人をいじめるの好きかも。もちろん可愛がりたい意味でのことだが、困った顔をされると丸かじりしたくなる。
しかしもう一度、キスをしたら噛みつかれた。
「嫌、だって言ってんだろ!」
「痛いです。ひどい先輩。……やっぱり愛がない」
「そ、そんな顔をしても、嫌なもんは嫌だ!」
「先輩って自分のことは押し通すのに、俺のことは蔑ろにするんですね。俺のこと愛してないんだ」
「お前、……底意地が悪い」
眉を寄せた表情に、思わずにんまりと笑みを浮かべてしまった。
そんな俺の顔は確かに、ひどく底意地の悪いものだったかもしれない。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます