幸せの数よりあふれる笑顔01
クリスマスなんてものは、いままでほとんど意識したことがない。
夜になり、祖母がご馳走を作っていてくれたのを見て、そこでようやく気づく。毎年そんな感じだ。
それなのに今年に限っては、雑踏の中にいた。イルミネーションで飾られた、街路樹をぼんやりと眺めて、持て余した時間を紛らわしている。
広場の時計台を見ると、もう少しで十七時になるところだ。
待ち人はまだ現れていない。少し前にあと五分! と、それだけなのに、やけに騒がしいメッセージを送ってきた。
年末なのでバイト先の、八百屋が忙しかったのだろう。来週になったら、休みに入ると言っていたけれど。あそこはいつも、ギリギリまで忙しい。今年はなおのことだろう。
小さな町は最近住人が増えてきた。レトロな雰囲気がいいとかで、今年の役所は、嬉しい悲鳴を上げていたそうだ。
昨今の町の高年齢化を考えれば、いいことだ。まあ、俺にはあんまり関係のない話だけれど。
「はぁ、寒っ」
十二月も半ばを過ぎて、一気に冷え込み始めた。ダウンジャケットのポケットに、手を突っ込んでいるが指先がかじかむ。
そろそろ着く頃だが、携帯電話を確認するのも億劫だ。
しかし待ち人はすぐに目が留まる。人混みをすり抜けて、飛び出すように駆けてきた。黒いくせ毛が跳ねて、冷たい空気で吐き出す息も白く、頬も赤く染まっている。
よほど急いできたのか。こちらに気づくと、瞳を輝かせて大きく手を振ってきた。
「紺野さんっ!」
だが勢いが良すぎた――つまずいて、大きく前へ身体が傾く。
「うわぁっ」
「ミハネっ、……危ねぇなぁ。なにやってんだよ」
「ご、ごめんなさい」
とっさに手を伸ばしたら、ミハネはそのままぼすんと、俺のダウンジャケットに顔を埋めた。
見ているとはらはらするのは、いつになっても変わらない。
「気をつけろよ」
「えへへ」
「おい、離れろ」
「ちょっとだけラッキー」
身体に回された腕で、ぎゅっと抱きしめられる。さらにはすりすりと頬を寄せてきて、締まりなくへにゃへにゃと笑い出した。
その顔を指先で摘まむと、なぜだかさらに嬉しそうに笑う。
「紺野さん、髪の毛ちゃんと染めたんだね。プリンじゃない。美容室に行ったの? 僕とデートだから?」
「デートってなんだよ」
「いつもより身綺麗だし」
くふふっとおかしな笑い声を上げながら、ますます締まりない顔で笑い出す。こちらが顔をしかめているのに、お構いなしだ。
「もう、行くぞ」
「ええぇー、もうちょっとくらい」
「時間、時間が決まってるんだから、遅れるだろう」
「はぁい。今日はなにを観るの?」
渋々といったように離れてから、ミハネはこちらをじっと見上げてくる。財布に挟んでいた、映画のチケットを取り出せば、なにか閃いたみたいな顔をした。
「これ、元は小説だよね? 町内会のお姉様たちのあいだで、話題だよ。園田さんが宣伝してた」
「聡のやつ、商魂がたくましいな。……お前は?」
「僕はまだ読んでない。胸がキュンキュンする、恋愛ものだってみんな言ってたけど。……文字を前にすると、眠くなっちゃって」
「もう少し脳みそ、活性化させたほうがいいんじゃないか?」
「文字って、どうしてあんなによく眠れるんだろう。で、でも今日のは映画だからちゃんと観られるよ! 大人の恋愛を学ぶから!」
「大人ねぇ」
一人息巻いている横顔に肩をすくめると、視線がこちらを向いて、やけにキリッとした表情を浮かべる。黙ってその顔を見ていれば、両拳を握ってから、片手を大きく突き上げた。
「僕、紺野さんをキュンとさせる! 大人の駆け引きってやつだよね!」
「これはそんなに、手本になるような話でもないけどな」
ラブロマンスものではあるが、この歳の子供が見ても、さして魅力を感じるものではないと思う。少し大人向けすぎるというか。
わりとドロドロした部分も多い。
「そういえば、僕っていまいくつくらいかな? 我ながら二十代には見えないから、十八前後? もっと下? 場合によっては紺野さんが犯罪者に……それは困るなぁ、って! いま鼻で笑ったでしょ! それ以前だって顔しないでよ!」
ぷうっと頬を膨らませて、怒った顔をしているが、凄みがまったくない。また鼻先で笑ったら、怒りながら体当たりしてくる。
そういうところが、いつまでも子供っぽいのだと、言ったらさらに怒るかもしれない。
「鬱陶しい」
「ひ、ひどい!」
丸い額を叩いて肩ではね除けると、この世の終わりみたいな顔をする。けれどこれもいつものことなので、歩みを早めた。そうすると慌てたように、後ろから騒がしく駆けてくる。
だが、ふいに友人の言葉が頭をかすめた。
――文昭、ミハネくんの愛情が無限だと思うなよ。
「うわっ、っと、急に立ち止まってどうしたの? 紺野さん?」
背中にどんとぶつかる感触がしたけれど、踏み出す足が動かなくなった。そんな俺を、後ろからミハネが覗き込んでくる。
しかしその視線に返す言葉が見つからず、ただ黙って見つめ返してしまった。
「どうかした?」
「なんでもない」
心配そうな顔。だが気の利いたことも言えず、無言でくしゃくしゃと頭を撫でた。
愛情が無限ではない、それくらいはわかっているつもりだ。人の心が一生変わらない、なんて保障はどこにもない。その上に自分が胡座をかいていることも。
「紺野さん、大好きだよ」
「突然、なんだよ」
「大事なことは、言っておこうと思って」
「毎日言ってるじゃねぇか」
「それはさ、毎日言っても足りないくらい、大好きってことだよ!」
得意気な顔をして言う、その自信はどこから来るのだろうかと思う。
どうしてその気持ちだけ覚えているのか。全部忘れたのに、どうしてまっすぐこの場所へ来たんだ。
なにがそんなにお前を突き動かしたんだよ。俺でなければならない理由なんて、どこにもないはずだ。
いまも『昔も』こうして、無防備に笑いかけてくる。その感情がどこから来るのか、俺は知らない。
ただいつも、彼は、ミハネは隣にいる。