今夜はクレイジー・ナイト02
頭がぐらんぐらんして、目を瞑っていても回転しているような錯覚がする。これって危ない薬とか盛ってないよな? 前回に引き続き、思いっきり罠にはめられている俺ってものすごく馬鹿だろ。
意識は浮上している感じがするけれど、まぶたが開かない。
ふわふわしてぐるぐるして、いま自分がどうなってるかがわからないほどだ。けれど温かい手が頭をずっと撫でている。大人とは違う少し小さな手は、拓実のものに違いない。
優しく撫でられると、不思議と気分の悪さが和らぐ感じがした。人のぬくもりは、最近まったく感じていなかったかもしれない。
彼女、彼女とかしばらくいないな。それなのに小学生男子に迫られる現実って世知辛い。
クリスマスの日にこってり叱ったから、諦めたと思ってたのに、あれから十ヶ月――度々ちょっかいをかけられるものの、なにもなかったから油断していた。
でもそうだよな、最初のジュースだって、目の前でなにかを盛られたわけじゃないもんな。
第三者の手によるものという可能性大、て言うかそれしかない。
ああ、どうしよう。だいぶ気分はマシになったが、目を開けるに開けられない。
「柚人さん、早く僕のものになればいいのに。どうしたら閉じ込めておけるのかな」
おいおい、ヤンデレかよ! 怖い、怖くて起きられない! ちょっと誰か助けてください。って、ここには味方がいるはずがなかった。あの優しい津川さんでさえ敵なのか。
「ねぇ、柚人さん、起きてるよね?」
ふいに頭を撫でていた手が止まって、その手は滑り落ちて頬に触れる。その感触に、大げさに肩を跳ね上げてしまったから、寝たふりができなくなった。
さあどうする? とか言ったって、黙って狸寝入りしたところでなにをされるかわからない。
現にいま拓実の唇が額に触れた。小さなリップ音がして、柔らかい感触に変にドキドキしてしまう。これが可愛い女の子だったらいいのに。
「眉間にしわ寄ってるよ」
頬から離れた手は、今度ぐりぐりと眉間を指先で押してくる。これはもう起きないと駄目だよな。
小さく息をつくと、重たいまぶたを持ち上げる。するとすぐ目の前に拓実の顔があった。
また驚いて身体をびくつかせる俺に、彼は後光が射しそうなにこやかな笑みを浮かべる。
どうやらベッドに横になっているところを、のぞき込んでいたようだ。前回も不思議だったんだけれど、俺がベッドにいるってことは大人が運んだんだよね。
「ちょっと拓実くん。なんで一度ならず二度までも一服盛るんすか?」
「んー、柚人さんが意識を失ってくれないと、僕はなにもできないから」
「いやいや、そもそもそういうことしちゃいけないでしょ。大人を巻き込んですることじゃありません」
「じゃあ、僕がぎゅってしても怒らない? キスしても怒らない? 僕から逃げない?」
「……それはできかねます。それだけじゃ済まなさそう」
「やっぱりこれ、いりますか?」
「待って! 前よりバージョンアップしてる!」
きっぱりはっきり返答した俺、に至極真面目な顔をして拓実が取り出したものは、鎖のついた手錠。
前回はまだふわふわなファーのついた、可愛い手錠でした。逃げ出す前にいきなり身体にまたがってきた彼は、まだふらふらの俺の手にカシャンとそれをはめる。
「うん、似合います」
「似合う似合わないじゃないでしょ!」
「日給二万円にしますか?」
「前も言ったと思うんすけど、これ犯罪! なんでもお金で解決しようとしない!」
「これも用意してます。じゃーん! 狼男!」
人の話をまったく聞いていない拓実は、どこからか取り出したカチューシャを、スポンと俺の頭に付ける。三角耳の彼曰く狼。そしてにこにこと笑ったかと思えばまたなにかを手に取った。
「尻尾もあります」
「ヤメテクダサイ。ソレドコニツケルツモリデスカ」
予想外の形状にドン引いた俺に、こてんと小さく首を傾げる拓実は、どうやらその用途を理解していないようだ。
一気に身の恐怖を感じました。俺の貞操がこんなところで、儚く散るのかと焦った。
いや、ちょっと待て大人たちよ。いたいけな子供になんてものを渡してんだこら。自分の身に降りかかることも心配だが、この子の行く末が心配になってくる。
「拓実くん、とりあえずそれはなかったことにして」
「……わかりました」
使い道がわからないものはすぐに興味を失ったのか、物騒なものはすぐに手放した。しかしだいぶ身体のだるさは抜けてきたが、この体勢だと逃げるに逃げられない。飛び起きたら転がっちゃうよな。
初めて会った時から少し背が伸びたけれど、まだ俺とは二十センチ以上は身長差がある。身体の線がちょっと細いから、実際の背丈より華奢に見えるのは相変わらずだ。
「いま僕が痩せぽっちだって思いませんでしたか?」
「えっ! んー、まあ、身体は大きくないっすよね」
だからまだなんとかなるだろう、という淡い期待があるのだが、おそらくそれを見越しての一服と手錠なのだろう。しかし足は自由だし、本気で逃げようと思えば逃げられるんだよな。
けれどそんなことを考えていたら、にやりと嫌な顔で笑われた。その顔は可愛い天使が腹黒天使に変わる瞬間だ。
「ちょっと僕、前回より学習したんです」
「な、なんすか?」
「力で勝てないのは、まあ、仕方ないなって思うので、まずは弱点を突くことにしました」
にんまり可愛らしい笑顔なのに怖いです。前回はそう、一服盛られて起きたら手錠で拘束されていたのだが、初心者向けのものだったので、関節の柔らかい俺はするりと抜けてしまったのだ。
そして今回のようにのし掛かられて、あわやというところで脱出は成功、拓実への説教タイムのはじまりだった。しかし今度の手錠はちょっと頑丈で抜けるのが難しい。
「寝てる時にしっかり確かめました」
「な、なにを?」
「柚人さんの弱いところ、まず脇腹」
急にわきわきと両手を動かしたかと思えば、おもむろに俺の着ているシャツを捲り上げてそこに突っ込んでくる。
驚いて身体をよじるけれど、直に触られると言われた通り非常に弱い。逃げを打つようにシーツを蹴るが、手を這わされて肩が跳ね上がる。
くすぐったいとかではなく、悪寒が走るようなむず痒さ。たまにふざけた友人に、脇腹をくすぐられてマジギレするくらい苦手だ。
「ただ触るだけだと駄目みたいですけど、優しくされるの好きですよね」
語尾にハートがつきそうな甘い声で囁かれて、背中に汗が伝うような寒さを感じる。両手のひらで触れられていた脇腹に、指先が一筋下ろされると、ぞくりとした感覚が広がった。
驚いて顔を上げると、実に黒い笑顔がこちらを見下ろしている。
触れるか触れないかの感触なのに、身体がざわざわした。これはちょっとやばいかもしれない。
「こういうの、性感帯って言うんですよね」
だ、か、ら! 誰だ! 子供にこんなことを教えているのは! ここの大人たちは案外ろくでもないな。
思わずあんぐりと口を開けてしまった俺に、拓実はくふふっと可愛い笑い声を上げる。
ゆっくりと身を屈めて近づいてくる影を感じて、逃げ出そうと思うのに身体がまったく動かない。
ピンチの時に声を上げられない女の子って、こんな状況? 落ち着け落ち着け。
「いまなに考えてるんですか?」
それはここから逃げ出すことです、そう言いたくなったが、その前に唇を塞がれた。
やんわり触れたそれはマシュマロみたいに柔らかい。いままでキスしたことがある、どの子よりもぷるぷるでちょっとくらっとしてしまう。
ぺろりと舌先で舐められて、ビクッとまた肩が跳ねて、恥ずかしさがこみ上がる。
なんでこんな年下の子供に、いいように扱われてるんだ。突っぱねてしまえ。ちょっとくらい転がっても大したことないだろ。
「柚人さん、好きです。大好きです」
身体に力を込めようとしたところで、ふわっと目の前の顔がほころんだ。言葉の通りに愛おしさがこもっているような、ひどく優しい表情をする。
けれどそれに思わず見惚れていると、また手が脇腹をかすめた。
「……んっぁ」
「可愛い声、出た」
変な上擦った声が出て、顔面が茹で上げられたように熱くなる。その反応に気づいた可憐な天使は、性悪な悪魔になった。
どんどん遠慮のなくなってくる手がさわさわと肌を撫でる。するりとさらにシャツを押し上げて進む手に、血の気が下がる思いがした。