冬休みに入ってしばらく経った日。いつもならば昼過ぎまで寝ている幸司が、朝早くから起きてバタバタとしていた。
そんな様子を弟妹たちが、部屋の入り口から物珍しそうに見ている。
「こう兄、今日はデートじゃないの?」
「うん、今日は撮影」
「ふぅん、そのわりには兄さん、楽しそうだね」
「えっ、きょ、今日は、……特別だから」
自室でカメラを鞄に詰めている傍で、小春と咲斗が意味ありげに目を細めた。そしてまじまじと幸司を上から下まで眺め、二人揃ってニヤリと笑う。
双子はこういった時、本当によく似た表情をする。
「な、なんだよ。その顔は」
「ただの撮影にしては」
「いつもより身綺麗だね」
笑みを深くした二人に、わかりやすく幸司は頬を赤くする。確かに今日は、普段よりよそ行きの格好をしていた。
洒落た服を着ているわけではないが、デートでもないのに、シャツにしわがないのは珍しく、髪も寝癖一つない。
「真澄さん? 真澄さんを撮るの?」
「それで朝からウキウキしてるんだね」
見透かされている――そう今日の予定は、真澄との撮影。念願のウェディングドレス姿が見られるとあって、すでに昨日から幸司はわくわくドキドキ胸を高鳴らせている。
眠れなかったら、などと思ったが、翌日が楽しみで快眠だった。
いまも早く現場に行きたくて、そわそわしている。朝から何度、レンズを磨いたかわからないくらいだ。
今日使うドレスは、知人に頼んで作ってもらったオリジナル。真澄に似合うようにと、幸司もない知恵を絞った。
まだ完成品を実際に見せてもらっていないので、それも楽しみの一つだ。
「こう兄は、真澄さんと付き合うようになってから、明るくなったよね」
「そう、かな?」
「うんうん、毎日が楽しそうで、見てる僕たちも嬉しいよ」
微笑ましそうに見られて、ひどく気恥ずかしさを覚える。それでも幸司は、胸に温かさを感じた。
真澄のことを考えるだけで、幸せな気持ちになる。彼と一緒にいると、まっすぐ前を向いて歩ける。
それがどれほど大きなことか。身近な彼らにはよくわかるのだろう。思えば最近、家族が揃う場面は賑やかだった。
いつも一人黙って、話を聞いているだけの幸司が、よく会話に混じるようになった。
「こんなにこう兄を変えてくれた真澄さん、早く紹介してよ」
「兄さん、そろそろ本気で予定を立ててよ」
「えっと、うん。あー、相談しておくよ」
話題が真澄に移り、幸司は誤魔化すように荷物をまとめた。
付き合った人など、いままでいなかったからこそ、改まって紹介するのが恥ずかしい。
友人にもまだ、ちゃんとした紹介ができていないほどだ。しかも家族は真澄が男性であると知っているが、彼らには一から説明する必要があった。
いまも友人たちは、真澄を女性だと疑っていない。
「じゃ、じゃあ行ってくる」
そそくさと身支度を調えて鞄を背負うと、不満げな弟妹を置いて、幸司は部屋を飛び出した。勢いのままに階段を駆け下りれば、母親にいってらっしゃいと声をかけられる。
「いってきます」
足を踏み出し、幸司はふと、自分は恵まれているのだろうな、そんなことを思う。
引っ込み思案が解消されるなら、男だろうが女だろうが構わない、などというポジティブな家族はそう多くない。
「真澄さんを紹介か。今度相談してみよう。原ちゃんと富くんにも今日、タイミングを見て話そう」
あの二人は相手が男性だからと言って、変な目で見るような人たちではないはずだ。むしろ隠したままでいるほうが、怒られそうな気もした。
丁度良く、今日は撮影の手伝いをしてくれることになっている。話すにはまたとない機会だ。
「念のために、前振りしておこうかな」
コートのポケットから、スマートフォンを取り出し、二人とグループになっているメッセージ画面を開く。
しばらく書いては消しを繰り返し、数分してようやく――今日、大事なことを話したいと送った。
「大げさな言い方だったかな?」
心配で画面を見つめていると、すぐに二人からわかった、と返事がくる。いますぐになんの話? と問いかけてこないところがさすがだ。
幸司の性格をよくわかっている。ほっと息をついて、足早に駅へと向かう。
「少し早かったな」
駅の改札で電光掲示板を見上げると、時刻は七時を少し回ったところ。
平日なので、会社へ向かうのだろう人たちが見受けられた。混雑を避けるつもりではあったが、予定した時刻よりも随分と早かった。
それでも遅くなるよりも、早いほうがいいだろうと、改札を抜ける。ホームは吹きさらしで風が少し冷たく、首をすぼめて、幸司はポケットに両手を突っ込んだ。
「あれ? 幸司くん?」
「えっ?」
ぼんやりと電車を待っていたら、ふいに声をかけられて、幸司の肩が跳ねる。慌てて振り向けば、そこには見慣れた英国紳士風のイケメンが立っていた。
「野坂さん! おはようございます」
「おはよう。幸司くん、この駅が最寄りだったの?」
「は、はい。そうです」
「そうなんだ。俺もだよ。へぇ、意外と会わないもんだなぁ」
いつも真澄に会いに美容室に行くので、店長の野坂ともかなり顔を合わせている。しかし同じ駅を利用しているとは、思いも寄らなかった。
だが普段こんな早い時間に、幸司は電車を使うことがない。出勤だろう彼とは、遭遇するタイミングがないに等しい。
生活時間帯が違うのだ。
「早いね。どこに行くの?」
「さ、撮影に」
「ふぅん。あ、あれか、真澄の」
「そ、そうです」
「昨日あいつ、ウキウキしてた」
「そう、なんですかっ?」
なにかを思い出したように、小さく笑った野坂。彼の言葉に、幸司は少しばかり前のめりになる。
楽しみにしてる――真澄はそう言ってくれていたが、それを人づてに聞くと、より気持ちが伝わる気がした。
「というか、幸司くんとデートの日は、大概機嫌がいい」
「あっ、そ、そんなに」
「あいつがまさか、誰かに本気になる日が来るなんて、予想もしてなかったけどな」
「そういえば、二人で会うなって言ってましたね」
「んー、言っちゃ悪いけど、真澄はかなり遊びが激しかったからな」
「ま、真澄さんって、いままで付き合った人、いないって」
「ん? ああ、そうそう。あいつは仕事はできるけど、人とちゃんとしたコミュニケーションをとる方法を、知らなくてな」
「……確かに、最初の頃は」
ひどく強引で、人の話をまともに聞かないところがあった。幸司が言葉に流されてしまった、という面はあるけれど。
それでもかなり自分主義だった。
「でもいまじゃすっかり幸司くん一筋だな。真澄の口から、君の名前を聞かない日はないくらいだ」
「野坂さんは、真澄さんとは付き合いが長いんですか?」
「そうだなぁ、もう七、八年くらいになるかな。あいつは振り幅が大きくて、いまだに驚かされることが多いけどな」
「なんだかちょっとだけ、わかる気がする」
「そうだろう? 俺はいつもヤキモキさせられたよ」
大げさに息をついてみせる野坂に、思わず幸司が笑えば、彼もやんわりと目を細めて笑った。
呆れた顔はするけれど、ずっと野坂は近くで真澄を見守ってきたのだろう。
どんなことがあっても見放さない、懐深い人なのだと感じる。
「確かに昔は色々あったが、いまは真澄の気持ちを信じているし、二人の仲が続くように、俺は祈ってるよ」
「ありがとうございます」
伸ばされた手が幸司の頭を優しく撫でる。大きな彼の手は、確かに『お父さん』のような温かさがあった。
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