今日、幸司が向かう場所は、一軒家を改装した撮影スタジオ。
真澄のつてで、借りることができたそこは、プロも使う本格的なスタジオだ。普通に借りると、学生の幸司では手の届かない金額なのだが、彼のおかげでかなり安くなった。
「えっと、あ、ここだ」
地図を頼りに、たどり着いた建物はレトロな洋館で、外観だけでも写真に収めたくなるほど、雰囲気があった。
少しくすんだ外壁さえも、心をくすぐられる。
借りている鍵を使って扉を解錠すると、射し込む光が目の前に広がっていた。つられるように上を見れば、大きな天窓がある。
玄関部分が広く、吹き抜けになっていた。
靴を履き替えて室内に入り、部屋をぐるりと見渡す。天井の高い一階は壁も床も、白で統一されたワンフロア。
ところどころ色の剥がれが見られる古めかしさがまたいい。
二階へ繋がる回り階段は白に映える黒。絨毯はビロードの赤で、上品さがあった。手すりは蔦が絡んだようなデザインで、細かな装飾までもが美しい。
「うん、ここはあえてコントラストを上げて。ビビッドな配色を大胆に加えたら、きっと真澄さんが映える」
部屋をウロウロしながら、幸司はファインダーの向こうを想像する。いつにも増して頭がクリアで、脳内には色々な構想が浮かんだ。
この場所に立つ真澄の姿が、リアルに見えてくるような感覚だ。
「お、開いてる」
「幸司、おはよう」
しばらく思考を巡らせていると、ふいに賑やかな声が聞こえ、幸司は我に返る。
玄関へ視線を向けると、戸口で友人たちが顔を覗かせていた。
「富くん、原ちゃん、おはよう。あっ、芽依さんもおはよう」
「神崎くん、おはよう」
友人の二人と一緒に現れた、ほんわりとした小柄な女性は、幸司の声ににこりと笑う。
服飾の専門学校に通う彼女は、今回の衣装を用意してくれた大恩人。ちなみに以前行った合コンで、原田がゲットした恋人だ。
「真澄さんはまだなのか?」
「うん」
「じゃあ、撮影の準備しておくかぁ」
機材などもレンタルしているので、倉庫から出してセッティングすればいいだけになっている。小道具は分担して、三人で持ち寄っていた。
大がかりな撮影ではないので、三人で手分けをすると、準備はサクサクと進んだ。
「そういやさ。話って、真澄さんのことだろ?」
「あ、……うん」
芽依が二階へ行くと、ぽつりと原田が呟く。その言葉に幸司は背筋を伸ばした。さらにはやけに緊張してしまい、少しばかり顔が強ばる。
そんな様子に富岡はひどく心配げな顔をした。
「真澄さんがどうかしたのか?」
「そ、そんなに大げさなことじゃ、ないと思うんだけど」
「別れるとか、じゃないんだよな?」
「違う違う! えっと」
「あっ、もしかして結婚します、とか?」
「ええっ、そんなことじゃなくて」
「じゃあ、なんだよ」
幸司がもごもごとしていると、富岡が怪訝な表情で見つめてくる。
やはり真澄が男性だなんて、微塵も疑っていないようだ。そう思うと話すことが少し怖くなる。けれどふいに原田が幸司の頭を、ぽんぽんと撫でた。
「あれだろ? 真澄さんが男の人、ってことだろ?」
「は、原ちゃん、知ってたの?」
「知ってたって言うか。芽依ちゃんが真澄さんのことを聞くと、色々と濁すからもしかしてと思ってさ。確信があったわけじゃない」
「そっか。でもわかる人にはわかるんだね」
あの日、合コンに一緒に参加していた、ということは、彼女も最初から真澄の性別を知っていたのか。
よく考えれば今回の衣装も、サイズ合わせをしたのだから、知っていておかしくない。
なるほどと幸司は納得したが、隣で富岡が頭を抱える。
「え、ええー! マジかよ。あんなに綺麗な人がっ?」
「俺としてはちょっと騙された感はあるけど。幸司は納得して付き合ってるんだよな?」
「う、うん。最初はびっくりしたけど。真澄さんが女の人でも、男の人でも、好きだなって思う」
いまの幸司にとって、性別はそれほど重要ではない。一時は男同士という関係はどうなのだろう、男性に組み敷かれるなんて、という気持ちはあった。
しかしそれは流されてしまった自分、という恥ずかしさを誤魔化す、小さな言い訳にしか過ぎない。
「おはよう、みんな揃ってるの?」
三人で顔を見合わせていると、聞き馴染んだ声が聞こえて、幸司はぱっと顔を上げる。玄関先にいる真澄と目が合えば、彼はふんわりと笑った。
「あれ? 真澄さん、今日はメイクしてないの?」
「ドレスに合わせるから、今日はベースメイクだけ軽くね」
「そ、そっか」
普段、彼の素顔は情事のあとにしか見られない。それに気づいて、幸司は頬がじわじわと熱くなるのを感じた。
綺麗にメイクされた真澄より、いまの彼のほうがドキドキとする。
「芽依ちゃんは上?」
「うん」
「じゃあ、着替えてくるね」
原田と富岡にも目配せをして、真澄はパタパタと、スリッパの音を響かせながら階段を上っていく。
その姿が見えなくなった途端、富岡の大きなため息が聞こえた。
「ナチュラルメイクであの美貌って、すごいよなぁ」
「素顔はもっと男性的なのかと思ってた」
「真澄さんは元の造形からシャープで中性的だよ」
メイクでかなり華やかな印象にはなるけれど、それがなくとも彼は十分に美しい。幸司は素のままの真澄も好きだった。
男性らしい雰囲気や話し方だけでも、普段の何倍も胸がときめく。飾らない姿、それが身近に感じるのだろうと思っている。
「スタイルもいいし、言われなきゃ俺は気づかなかった」
「真澄さんって着痩せするタイプだから。脱ぐと結構」
「幸司、その先は、……色々想像してしまうから、いまは」
「え? あ、ああっ、そ、そうだね」
原田に片手で制されて、一瞬、首を傾げかけた。しかし裸になるシチュエーションを思い出し、幸司は顔を真っ赤に染める。
さすがに自分たちのことを想像されるのは、恥ずかしすぎていたたまれない。
「えー、俺はすげぇ気になる。どっちが上?」
「富岡、そういう興味本位、やめろ。幸司が茹で上がる」
「美人を押し倒すのも、押し倒されるのも、シチュエーション的に滾るよな」
「えっ、あ、そ、そのっ」
「こら、富岡、調子に乗るな」
二人の時間を言葉にするには、あまりにも濃密すぎて、幸司は耳まで熱くなった自分の顔を覆う。
しまいには抱えた膝のあいだに顔を埋めて、身体を小さくした。
そんな幸司の様子に、ピンとくるものがあったのか、富岡はそっちかぁ、と楽しげだ。
だが原田に思いきり叩かれ、小気味いい音とともに、富岡の情けない声が響いた。
「あいたっ」
「まったく、お前は下世話すぎる。幸司の身にもなれ」
「うー、悪かったよ。幸司、ごめんな。からかうつもりじゃなかったんだけど」
「う、うん」
覗き込むようにされて、その気配に幸司が視線を上げると、眉尻を下げた富岡の顔があった。
反省の二文字を書いたその表情に、思わず幸司の口が綻ぶ。
「嬉しいよ」
「ん?」
「二人が、いつもと変わらなくて」
「馬鹿! こんなことで俺たちの友情にヒビが入ると思うなよ!」
「俺は幸司がいまに満足してるなら、反対はしない」
「うん、ありがとう」
家族、友人、周りの人たち――優しい人たちに囲まれて、なんて幸せなのだろう。そう思わずにはいられなかった。
いつまでもこの幸せが続いたらいい。幸司の中にあるのは、そんな小さな願いだけだった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます