彼の心の中

 自由奔放を絵に描いたような人。それは出会った頃から感じていたので、いまさら驚くべきことではない。
 人の話をあまり聞かない、のも昨日今日のことではなかった。

 それでも付き合おうの言葉のあとは、歩み寄りを感じていた。
 だからこそあの時、なにも聞こえなかったみたいに、言葉をスルーされたことが気になる。

 しかしそれ以降の真澄は、別段いつもと変わらなかった。それどころかいつも以上に、終始甘やかされたように感じる。
 気にしすぎなのだろうか。そう思うものの、幸司の胸に刺さった棘は、なかなか抜けなかった。

「でさ、真澄さんが昨日」

「え?」

 学校の講義が終わり、カフェテラスに向かうために、幸司は富岡と廊下を歩いていた。だが踏み出す足が、ぴたりと止まる。
 突然、恋人の名前が友人の口から飛び出して、驚きでまじまじと見つめ返してしまった。

 ただ話題に上がっただけならば、そこまで気にしなかった。
 昨日――と言う単語に引っかかったのだ。それに気づいたのだろう富岡は、視線をそらすように遠くを見た。

「富くん。真澄さんが昨日ってなに?」

「いやぁ、昨日昨日、なんだったかな」

「ちょっと! 富くんまではぐらかすのやめてよ!」

 早足で歩いて行く友人を追いかけて、勢いのまま幸司は目の前の肩を掴む。すると彼はばつ悪い顔をして振り返った。
 しばらく見つめ合ったまま沈黙が続く。

「そんな怖い顔するなよ。お前を裏切るようなことはしてないから、心配するな」

 黙って数分。根負けしたように富岡は両手を挙げる。けれどまだ話すことをためらっている様子があり、肩を掴む幸司の手に力がこもった。

「話す話す! 変なことじゃないから。ただ昨日真澄さんに、いま幸司が興味あるものなに、って聞かれただけ」

「……なんで富くんが、真澄さんと連絡を取り合ってるの?」

「ええっ、それは、こないだの撮影の前に芽依ちゃん経由で、……あっ、原田! 原田も真澄さんと連絡先を交換した!」

「なんでこそこそ?」

「誤解だ! こそこそなんてしてない! 大体、メッセージのやり取りなんて、お前のことだけだし」

 あたふたと取り乱す富岡を疑いの目で見るが、彼はぶんぶんと顔を横に振って、誓って違うと声を大きくした。
 彼は少し派手な印象がある。だとしても友達の恋人に、粉をかけるような男ではない。

 小さく息をついて、冷静さを取り戻すと、幸司は彼の肩から手を離した。そして真澄のことで色々頭を悩ませていたので、神経が尖っていたと反省をする。

「俺が言うのもなんだけど。真澄さんはお前にすげぇ惚れてると思うぞ。幸司のことが知りたい、って気持ちがビシバシ感じるし」

「聞いてくれたら、なんでも答えるのに」

「サプライズ的な? 驚かせたいとかじゃないの?」

「うーん」

 やはりそう考えるのが自然だ。幸司も真澄のことが知りたくて、野坂に相談しようかと思った。
 人の心理としては至極真っ当だろう。誕生日や好きな作家を知っていたのも、友人たちにあれこれと聞いていたなら、納得できる。

「やっぱり深く考えすぎかな」

「誤解が解けたのなら、なによりだ」

「うん、富くん、ごめん。ちょっと真澄さんの考えてることがわからなくて、疑り深くなってた」

 出会うより以前のことは、いまだにまったくわからない。誰にでも指輪をプレゼントするような人、だったのかもしれないが、いまはきっと違う。
 特定の人はいなくて、誰彼構わず付き合っていたとしても、いまは自分だけだと思いたい。

「そういう時はあれだ! 電話して声を聞けば安心するぞ」

「でもいま仕事中だし」

「だったらメッセージでも送っとけ。アイラブユーって」

「えー、富くんそんなの送るタイプなの?」

「これでも俺はロマンチストだ」

 得意気に胸を反らす富岡に、思わず幸司はぷっと吹き出すように笑ってしまった。さらに腹を抱えて笑えば、少しばかり肩が軽くなる。

「馬鹿にしてるな」

「してないよ」

 ひとしきり笑ってから、メッセージくらい送っても、罰は当たらないだろうと、ポケットのスマートフォンを掴んだ。
 そうするとタイミング良くそれが震えた。

 もしやと期待が湧いて画面を見るが、妹からの着信だ。
 だが示し合わせたように電話が来るなんて、ドラマや映画でなければ、そうそうない。

「小春? どうかした?」

『こう兄! 今日は遅いの?』

「いま授業、終わったところだけど」

『真澄さんが来てるよ。約束してたんじゃないの?』

「え? ……なんで? えっ? ちょ、ちょっと待って!」

『なんでって、こう兄が』

 小春の声を遮って電話を保留にすると、幸司は傍にいる富岡の顔を見た。いきなり凝視された彼は、不思議そうに目を瞬かせる。

「富くん、真澄さんに……住所とか教えたことある?」

「え? 最寄り駅くらいなら」

「そっか、そうだよね。変なこと聞いてごめん。俺、用事ができたから先に帰る」

「え? 鳩時計で、原田が待ってるけど」

「ほんとごめん。原ちゃんにもよろしく言っておいて」

「お、おう」

 突然の予定変更に富岡は目を丸くする。けれど理由を説明する余裕もなく、幸司はすぐさま駆けだした。
 学校を飛び出してから、電話が保留のままだったことを思い出し、短く帰るとだけ告げる。

「今日が休みだって聞いてない、ってそれはどうでもいい。なんで俺の家、知ってるんだよ」

 最寄り駅、そのくらいならば真澄も知っている。もしかしたら原田が――そこまで考えて、幸司はかぶりを振った。

 富岡よりも原田のほうが、性格的に硬い部分がある。自宅の住所はおろか、最寄り駅すら本人に了承もなく教えないだろう。
 野坂に駅で会いはしたが、家のことは教えていない。芽依は論外で、利用する沿線すら知らないはずだ。

 では誰に聞いたのか?

「どういうこと? 意味がわからない」

 話をしたくて真澄にメッセージを送るも、既読にならなかった。しかしいま幸司の家にいるのだとしたら、きっと母親や弟妹たちが構い倒す勢いだ。
 メッセージを見ている暇は、ないかもしれない。

 電車に飛び乗れば、あとは駅に着くまで悶々とする。
 自分に飽きて手を離されたら、と言う心配はした。破天荒な彼なら十分にあり得ることだからだ。けれど実際は幸司の考えの、さらに斜め上をいく。

「いくら恋人だからって、家を調べて訪ねるって。ちょっとストーカー紛いすぎるよ」

 考えの読めない真澄の行動に、頭がひどく痛んだ。ため息をつくと、幸司は相変わらず既読にならないスマートフォンを見つめた。

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