極甘彼氏を喜ばせる方法

寂しくないって言ったら嘘になる

 春うららと言った心地の中、天希はあくびを噛みしめた。葉桜になった木々の隙間から、陽射しが降り注いで眠気を誘う。
 今日の予定は大学の講義が終わり、あとはまっすぐ家に帰るだけ。

 年末にしていたデータ打ち込みのバイトは、年が明けたあとしばらくして辞めた。人騒がせな幼馴染みが逃亡を諦め、真面目に仕事をし始めたからだ。
 帰ってきたらお金も返すと言われていたが、それはそのまま返済に充ててもらった。

 納めた額も大きかったので、そんな大金を手にしても正直困る、という気持ちがあった。
 欲がないと言われたけれど、逆に変な欲が出るのも困りもの。

 見た目に寄らず、真面目な天希ならではの考えだった。
 友人や一緒に仕事をした社員たちでなければ、信じてもらえない話かもしれないが。

 相変わらず天希の見た目は派手だ。
 色の抜いた金髪に、ピアスは左右合わせて十三個。加え三白眼の目つきの悪さ。

 肩で風を切って歩きそうな風格があり、大抵の人は天希を避けて通る。中身はいたって真面目なので、友人たちには見た目で損をしていると、いつも笑われていた。

「あれ、今日も仕事か」

 スマートフォンに視線を落とした天希は、目に留めた文字に、落胆したようにため息をつく。クリスマスイブから付き合い始めた恋人は、最近なにやら忙しそうだ。
 少し前まで、毎日のように顔を合わせていたのに、近頃では週に一回くらいしか会えない。

 だがそもそも大人と子供。生活環境も大きく違うのだから、いままで会えていたのが不思議なくらいだ。
 これまではあの人がすべて、時間を合わせていてくれた。そう考えるのが妥当だろう。

「でも今日は午前様じゃないのか。それにしても仕事って、一体なにしてんだろうなぁ」

 十八個年上の恋人は堅気な職業ではない。普通に生活していたら出会うことがないような、珍しい職種。
 いや、あれは職業なのか――つい首を傾げたくなる天希だが、ほかに例えようがなかった。

「あの人のこと、いまだによくわかんねぇなぁ」

 それでも時間があれば電話をくれる。なくてもこうしてマメに、メッセージを送ってくれるのだから、ありがたいと思うべきか。
 第一、事細かに説明されても、天希は理解できない自信があった。

 ドラマや映画で見聞きするくらいで、その詳細までは知らない。調べればそれなりのことはわかる気がしたが、そういうことをされるのはきっと迷惑だろう。
 現に彼は仕事に関することは一切、口にしない。おかげでその現実を忘れそうになる時がある。

 黙って笑っていれば、人の良さそうな顔をした、人畜無害な大人――に見えた。
 立ち振る舞いや貫禄は、常人とはいささかかけ離れるが、上流階級の人なのだな、くらいで済ませられる。

 その筋の人がすべて、厳めしい顔をしているわけではないけれど、彼は出会う場所が違っていたら、絶対にわからなかった。
 だがもし出逢いがあの場面でなかったら、付き合えることもなかっただろう。

 ――今日会えるなら、いつものところで待ってる。

 届いていたメッセージに返信して、スマートフォンを上着のポケットに突っ込んだ。
 そして今日は何時に帰ってくるのだろう、そんなことを思いながら、立ち止まっていた歩みを再開させる。

「いつもしてもらってばかりだから、なんかしてやりてぇけど。俺ができることなんてたかがしれてるしなぁ」

 クリスマスのランチもディナーも、そのあとのデートも完璧だった。
 バレンタインには、一粒千円以上はするらしいチョコをもらい。ホワイトデーにネクタイをプレゼントしたら、有名な焼き肉店に連れて行ってくれた。

 なにかすると、その何倍ものお返しが帰ってくる。とことん甘やかされている現状、彼にしてあげられることがほとんどない。

「たぶん、ものじゃないんだろうな。そういうのは慣れてそうだし。だけど喜ぶことってなんだ」

 本人に聞いても天希が隣にいるだけでいい、とにこやかに微笑まれる。適当なことを言っているわけではなく、本当にそう思っているのだろうが。
 天希としてはされるばかりは落ち着かない。

「くそ、隙がなさ過ぎるってのも良くないな。……ん、あ、電話」

 悶々としていると、ポケットでスマートフォンが震える。長い着信に期待を込めて取り出せば、くだんのその人だ。
 いそいそと通話を繋げたら、柔らかな低音が耳に届いた。

『あまちゃん、もう帰り?』

「ああ、いま駅に向かってるところ」

『今日もごめんね。迎えに行きたかったんだけど、抜けられそうになくて』

「別に迎えに来なくても平気だ。お子様じゃねぇよ」

 会いたかったのに――なんてぽろっと口にしたら、本当に来てしまいそうで言葉にできない。
 おかげで素っ気ないことを言ってしまい、天希は自分の言葉にもやっとする。

『僕はあまちゃんに早く会いたいけどね』

「あ、会いたくないとか言ってないだろ」

『今度ビデオ通話しようか』

「そんな暇あんの?」

『時間と暇は作るものだよ。あまちゃんの顔が見られるなら苦じゃない』

「そ、そうかよ」

 甘いことをさらりと言ってのけるのは、相変わらずだ。首の後ろがむずむずして、恥ずかしさで天希の耳に熱が灯る。
 誤魔化すように指先でピアスを引っ掻いて、もごもごとしていると、小さく笑われた。

「そうだ、伊上」

『ん?』

「今日は、その、明日休みだから」

『泊まってく?』

「忙しかったら別に」

『いいよ。寝かせてあげられないかもしれないけどね』

「……うん」

 ふいに低音に磨きがかかって、返事が自然と小さくなる。
 それとともにビデオ通話は、やめたほうがいいのでは、などという考えが浮かんだ。それでなくとも天希は顔に感情が表れやすかった。

 自分の反応をまじまじと見られるのは、恥ずかしさしかない。しかし伊上の顔を見たい気持ちも捨てきれない。
 いっそ録画したいとまで思うのだが、職業柄なのか、あまり形に残すことは許可してくれない。以前、写真もやんわりと遮られた。

『そうだ、あまちゃん』

「な、なんだ?」

 うっかりぼんやりしていて話半分だった。無意味に背筋を伸ばした天希の声は、少しだけ上擦り、まったく誤魔化せていない。
 しかしそんなことはお見通しだったのだろう。伊上はふっと息を吐くように笑った。

『うん、さっき伝え忘れていたんだけど』

「なに? なんか用……あっ」

『あまちゃん?』

「いや、車が来たから避けただけ」

 駅まで向かうこの道は、車一台が通り抜けるのがやっとだ。後ろに感じた車の気配に、天希は道を譲るべく端に寄った。

『あまちゃん、その車』

「新庄天希さん」

「え?」

 伊上の声に重なって聞こえた、自分を呼ぶ声、それに天希は思わず振り返ってしまった。
 気づけば通り過ぎると思っていた車が、すぐ傍で止まっている。助手席の窓の向こうから感じる視線に、天希は無意識に唾を飲み込んでいた。