糖分高めは特別の証し

 しばし沈黙が続き、天希が箸を引っ込めようかと思い始めた頃、ふいに右手を掴まれる。そしてそのまま引き寄せられて、伊上は炊き込みご飯を口に含んだ。
 その瞬間、周りの空気が微かに揺れた感じがした。

「うん、なかなかおいしいよ」

「お、おう。そうだろ」

 ご機嫌な様子でにっこりと微笑んだ伊上に、天希は胸をドキドキとさせる。何度見てもこの笑顔に弱い。
 前にも増して、自分を見つめる目が優しくなったので、なおのこと。

 頬が熱くなっていくのに気づいて、無言で目を伏せた。しかしその場を誤魔化すために、箸でご飯をつまんでから、先ほど彼の口に触れたものだと気づく。

「あまちゃん、ついたよ」

「へっ?」

 一人でどきまぎして、天希が落ち着きのなさを発揮していると、口の端に伊上の指先が触れる。
 驚いて顔を上げれば、彼の指先にはご飯粒。それを目に留め、天希はますます顔を赤らめた。

「小さい子みたいで可愛いね」

 からかうように薄く笑った伊上は、それを舌先で掬って口に入れる。ちらりと見えた、赤い舌がひどくいやらしく見えた。
 だがそれをじっと見つめてから、この場を思い出して天希は我に返る。

 慌てて周りを見回すと、相変わらず無表情の田島と、なにごともない顔で食事を続ける志築。
 この二人の反応は予想通り。そうするともう一人の反応も、予想通りだ。

 頬を染めて、瞳をキラキラさせた成治と目が合い、天希はひどく気まずい気持ちになった。

「あまちゃん」

「な、なんだ」

「ご飯が終わったら帰ろうか」

「ん? ああ」

「もちろん、僕の家だよ」

「そこは別に強調するところじゃねぇだろ!」

「忘れてるのかと思ったから」

 意地悪い顔で笑う恋人に、天希は自分がやかんになったように思えた。沸騰して頭から湯気が立ち上りそうな気分だ。
 さらに頬を撫でたり、耳をくすぐったりしてくる伊上を睨み付けるも、まったく効果がなかった。

 そもそもこうしたスキンシップを、恥ずかしげもなくするのが伊上という男だ。
 しかしアルバイトをしていた当時から、物事に興味がない人だと、周りに言われていた。例にも漏れず成治も同じことを言っていたが、正直天希は信じがたく思っている。

「あまちゃん、キスでもしたいの?」

「は?」

「そんなに見つめられたら、応えないわけには」

「ばっかじゃねぇの! そんなわけあるか!」

 ふいに顎先を指先で掴まれ、天希は近づいてきた伊上の顔を、片手で押しやった。
 いつもであればそのまま強引に、と言う流れも想定できたが、今日ばかりは大人しく離れていく。

 ほっとするような、残念なような気持ち。心に浮かんだ思いに、天希は煩悩を払うようぶんぶんと顔を振る。

「伊上、ちょっと来い」

 そのあとも横であれこれと、悪戯をしてくる伊上だったが、箸を置いた志築が声をかけると、浮かべていた笑みが消えた。
 その変化を見て、天希は少しばかりひやっとする。

 以前に一度だけ見た表情を消した顔、それが思い起こされた。あれ以来そういった場面はなかったけれど、自分の知らない一面を見るようで、不安を覚える。
 それでも立ち上がった彼を見上げれば、振り向いていつもの笑みを浮かべた。

「ゆっくり食べてていいよ」

「……ああ、うん」

 大きな手で優しく頭を撫でられ、緊張した心がわずかに緩む。ひとしきり天希の頭を撫でると、伊上は志築のあとをついて部屋を出て行った。
 見えなくなった背中に寂しさが湧くが、黙って刺身を口に運んだ。

「天希さんの前にいる伊上さん、すごく幸せそうに笑うんですね」

「え? そうか? いつもあんな感じで」

 二人の気配がすっかりなくなると、いままで黙っていた成治が、声を弾ませて話しかけてくる。その表情は先ほどと同様、光り輝いていた。

「ええ? すごい! やっぱり天希さんは特別なんだ」

「どう、だろうなぁ」

「そうですよ! 伊上さんって他人の作った食べ物、ほぼ口にしないんですよ。天希さんの手からだと食べてくれるんですね」

「あ、やっぱりそうなのか。あの人、一緒にいても全然食べねぇの」

 当初は口に合わないだけかと思っていた。それでも付き合って四ヶ月近くも傍にいれば、さすがに天希でも不思議に思う。
 飲み物さえも決まった相手からしか、受け取らないくらいだった。

 自分の手からでないと食べない、と言われると、嬉しい気持ちが湧くが、まるで伊上が野生動物のように思えてきた。
 とはいえ普段懐かない動物が懐く感覚は、感動すら覚える。特別の言葉が天希の中でやけにキラキラたものに感じた。

「この界隈の人はみんなあんな感じなのかと思ってた」

「んー、あそこまで徹底してる人は伊上さんくらいです。ほかの皆さんはよく飲んだり食べたりしますよ。父さんは色々あるから、としか教えてくれなくて」

「ふぅん」

 食べたり飲んだりすることを避けるのは、車を預けないことにも共通しているのだろうか。
 なにも言わないので、すべて天希の憶測でしかない。それでも伊上ほどの立場になると、色々と身の回りに気遣うことが多い、のかもしれない。

 自分に気を許してくれるのは嬉しい。だがその分だけ色々――がおろそかになるのではと、胸の内が複雑になる。
 とはいえ天希が一人悩んだところで、どうにかなるようなことにも思えなかった。

「天希さん、甘いものはお好きですか?」

「あ、うん。好きだけど」

「デザート、食べませんか?」

「食べる。成治の手作り?」

「はい」

 少し重くなった空気を拭うように、話題を変えてくれた成治は、田島に視線を送る。そうすると彼は、なにも言わずに隣の部屋へ姿を消した。
 本当に余計なことを喋らない男だ。

「甘いもの好きなら今度、カフェに行きませんか?」

「俺といると目立つぞ」

「俺が一人で行っても目立ちますよ」

「成治のは俺とは別の理由だ。でもまあ、いいか。さすがに伊上とは行けないから」

 一緒に行くのはまだいい。ただ紳士系イケメンが、ヤンキー崩れの男をガン見している図、はどうしたって目立つこと請け合いだ。
 恥ずかしさでなにも喉を通らなくなるだろう。そう考えれば、可愛いわんこ系少年とお茶をするほうがマシである。

 さっそく成治の連絡先を教えてもらい、月末に予定を入れた。
 また相談に乗ってください。こっそりそんなメッセージが来て、どうするべきかと思ったが、天希もほかに伊上の話をできる相手がいない。

 役に立つかは保証しない、と前置きしつつ、了解した。

「天希さん、いいなぁ」

「そうか?」

「俺もいちゃいちゃしたい」

 デザートのバナナシフォンケーキを食べながら、成治の恋バナに花が咲く。
 田島が傍にいるので、スマートフォンでメッセージを交わしながら、会話をすると言う妙なことをしている。

 そんな秘密の会話が楽しいのか、成治のメッセージは話す以上に、テンションが高めだった。

「成治、帰るぞ」

 しばらくそんなことをしていたら、戻ってきた志築が顔を見せた。かけられた声に顔を上げた成治は、スマートフォンを見て、ぱっと立ち上がる。

「あ、もうこんな時間。天希さんまた来てくださいね。あっ、父さん待ってください!」

「ん? 帰るってどこに? って、行動早いな」

 慌ただしく成治が出て行ってしまい、天希は急な展開に戸惑う。ぽつんと取り残されて、答えを求めるように田島を見た。

「お二人は本宅にお帰りになります」

「ああ、そういやここ、別邸って言ってたっけ。母親はそっちにいるのか?」

「奥様は仕事で海外にいらっしゃいます」

「キャリアウーマンってやつ?」

「はい。自分はお二人を送るので、ここで失礼します」

「マジで? 俺は?」

「あまちゃん、帰ろうか」

 田島まで、と途方に暮れそうになったところで、伊上の柔らかい声が聞こえた。それに振り向くと、入り口に立つ彼が握ったキーケースを揺らす。

「おいで、早く帰ろう」

 やんわりと恋人に微笑まれて、手を差し向けられると、誘われるまま近づかずにいられない。
 傍まで行くと肩を抱き寄せられ、ふいに伊上の顔が近づいた。その先の展開はすぐに想像できたが、天希は黙ってそれを受け入れてしまった。