その瞳に溺れる02
6/12

 大体休日は、デイトレードで値動きを見ながらの一服と読書、さもなくば休日出勤。そして夜には飲みと遊びに向かう。しかし最近は昼間の時間を潰したあとは、竜也の仕事を見計らって、彼の元へ向かうことがほとんどだ。
 相手の家で食事をして、のんびりと甘ったるい時間を過ごすのは、これまでを振り返っても一度もない。手料理なんて用意されて待っていられたら、重くて関わりたくない、くらいは思っていた。人間変わる時は変わるのだなと思う。

 そして陽の明るいうちに出掛け歩く生活なんて、何年ぶりだろうかと考える。けれどあれがしたいあそこへ行きたい。そんなおねだりを聞いていたら、それもだいぶ慣れてきた。今日も仕事を張り切った竜也から、昼前にメールが来て、機嫌良く出掛ける支度をしてしまった。
 現在時刻は十三時を少し回ったところ。普段なら竜也のマンションまで迎えに行くのだが、今日は待ち合わせがしたいというおねだりのため、駅前で落ち合う約束になっている。時間にはまだ早いけれど、あいつのことだから、きっと早くから待っているだろうと思った。

 そうしたら案の定、駅前の時計台の下に立っている姿があった。ざっくりとした白いニットに、ぴったりとしたスキニーのデニムは、彼の線の細さを強調しているように見える。長い袖で手の平が隠れるのを、なんて言うんだったか。
 少し長めのミルキーブラウンの髪に、大きめの瞳。ぱっと見た感じ女にも見えるせいか、やたらと男が振り返っていく。けれど当人は握った携帯電話に気を取られていて、それどころではないようだ。

 約束の時間が待ち遠しい、そんな様子がありありとわかる、そわそわした表情。時折髪へ手をやったり、鏡をのぞいてリップを塗ってみたり。すぐに声をかけてやろうと思っていたのに、その姿があまりにも可愛くて、つい眺めてしまう。
 しかししばらく眺めていたが、少し前から行ったり来たり、ウロウロしていた男たちが近づいたのを見て足を踏み出す。

「竜也」

「……あっ! 九竜さんっ」

 話しかける男たちに、怯えた様子を見せていた竜也は、呼びかけた声に反応してぱっと顔を上げる。そんな表情の変化に、口が思わず緩みそうになって、意識して引き締めた。しかし花が開いたみたいな喜び溢れた顔は、キラキラと輝いていて、その眩しさに目を細めてしまう。
 ゆっくりと近づいていくと、竜也を取り囲んでいた男たちへ視線を向ける。こちらに気づいたやつらは、肩を跳ね上げると後ろへ飛び退いて、よくわからない言い訳をしながら逃げ去っていった。

「化け物でも見たような反応だな」

「うふふ、きっと九竜さんが格好良すぎて圧倒されちゃったんですよ。今日も素敵です。いつもダーク系が多いですけど、こういうナチュラルな色合いも似合いますね。髪を下ろしたらきっとぐんと若く見えますよ」

「そんなに俺は老けてるか?」

 昼間の映画デートをするのに、いつもの黒ずくめでは目立つだろうと気を使ったつもりだったが、そう返されるとは思っていなかった。けれど少し眉をひそめたら、竜也は大げさなほど首を振った。

「そ、そういう意味じゃないです! 年相応に男らしくて格好いいです」

「まあ、あんたにそう思ってもらえるならそれでいい」

 見上げてくる視線に、かけていたサングラスを外して、胸ポケットへ引っかける。そしておもむろに手を伸ばし、目の前の身体を抱き寄せるが、途端に驚いた顔をして頬を染めた。俯いた視線をのぞき込むように身を屈めれば、ますます白い肌が朱に染まる。

「駄目です。……ここ駅前で、人が、見てます」

「見たいやつに見せておけばいいだろ」

「だっ、駄目ですっ」

 指先で顎を持ち上げて顔を近づけたが、触れる寸前で両手に押し止められた。添えていた指を離すと、思いきり顔をそらすように俯く。けれどあらわになっている左耳が赤い。素直な反応が可愛くて、にやついたままそっとそこに唇を寄せた。

「あっ」

 ビクリと跳ねた細い肩を抱き込めば、抵抗もないまま腕の中に収まる。けれどそれに気づくとジタバタとし始めて、余計に離したくなくなった。柔らかい髪に鼻先を埋めると、いつものコロンの香りを嗅ぐ。

 ローズの香りだが、竜也が身につけるとやたらと甘い匂いがする。しかしなにも付けていない時でも、柔らかく甘い香りがするので、体臭が混ざっているのかもしれない。草食系で果物好きなせいか、精液も甘いくらいだ。

「く、九竜さんっ、恥ずかしいです」

「別になにもしてないだろう?」

「なにかされたら、恥ずかしすぎて死んじゃいます」

「それは困るな。……行くか。時間があるからな」

 もうしばらく抱きしめていたかったが、これ以上は無理をさせるわけにはいかない。沸騰したみたいに、首筋まで赤くしている竜也の頭を撫でて、そっと身体を離した。するとバネみたいに、勢いよく離れていく。

「それはそれで傷つくぞ」

「ご、ごめんなさい」

 ため息をつけば、恐る恐ると言った様子で近づいてくる。ちらりと視線を向けられて、促すように目線を動かせば、示した先、すぐ隣までやってきた。それに満足して腰へ手を回すと、困ったように眉尻が下がって、恥ずかしさを誤魔化すみたいに目が泳ぐ。

「もうっ、みんなが振り返ってるじゃないですか。それでなくとも九竜さん格好いいのに」

「あんたが可愛くてみんな振り返ってるんだろう」

「違いますよ! 九竜さんです」

 どうでもいいことを、こんな風に言い合うなんて、随分と恋人らしいなと笑えてくる。けれど隣で真面目な顔をして力説している、竜也の顔を見ているほうがより楽しくなる。こんな気持ちになる日が来るなど、考えもしなかった。
 いい加減で適当な俺の傍にいてくれる、それに感謝しなければいけないと思わされる。この出逢いは運が良かったその一言に尽きる。

「それで、主人公は彼女の言葉に救われて踏み出す決意をするんです」

「ふぅん」

「すごく人気の小説らしいですよ」

「読んだことはないのか?」

「まだ読んでません。今日映画を観てから読もうと思っててあらすじだけ。九竜さんはこういうお話は、読まないですよね」

「読まないな」

 SF要素も含んだ恋愛小説、娯楽小説自体ほとんど読まない俺には、まったくの専門外だ。なので映画は大して興味はないが、隣で期待に目を輝かせている顔を見ていられれば十分だ。
 事前に予約しておいたチケットを発券して、スクリーンに向かえば、人気と言うだけあってかなり席が埋まっている。

「本当に飲み物は良かったのか?」

「大丈夫です! いつも見るのに夢中になって飲むの忘れちゃうんで」

 席に着くと早速と、鞄からハンカチとティッシュが取り出された。レビューを見てかなり泣けると評判だったらしく、前準備は万端だ。場内が暗くなり、流れる予告ムービーを見つめる横顔を眺める。反応がいいものは、そのうちまた観に行きたいとおねだりされるだろう。
 さてこれからの二時間あまりを、どうやって潰そうかと思いながら、オープニングが始まった頃に、隣の肘掛けに載せられた手を握る。すると驚いた様子で振り向くが、スクリーンが気になるのかすぐに前を向いてしまう。

 その反応がつまらなくて、指を絡めて繋いでみたり、指先で指の股を撫でてみたりしていたら、今度はムッと口を尖らせて振り向く。そして少し眉をひそめて、繋いでいた手を解くと俺の手の甲を叩いた。
 これ以上の悪ふざけは、さすがに怒らせそうだと思って諦めたが、しばらくして離れた手が重なり、俺の手を押さえ込むように握られる。どうやらこの先の悪戯を阻止するためのようだが、にやつかずにはいられない。

 誤魔化すようにコーヒーを口に運ぶが、それで収まるわけもなく、隣の顔を盗み見ながらさらにニヤニヤとした。
 時間が経つと、すっかり映画に入り込んだ竜也の手は、こちらの手を握りしめたり、自分の手を握りしめたり。しまいにはハンカチを握りしめて、ボロボロと泣き出した。喜怒哀楽がはっきりとした、子供みたいな純粋さは彼らしさだと思う。

 思えばこういうタイプは、いままで周りにいなかったかもしれない。少しおっとりしていて、表情がよく変わる素直な性格で、几帳面だがわりと抜けていたりもする。いままで視線を落としてこなかった、道ばたの花に惹き寄せられたような感覚だ。
 摘んでしまったら、萎れてしまうんじゃないかと思うくらい可憐だが、意外と根太く丈夫そうでもある。そのギャップも魅力の一つだ。

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