その瞳に溺れる02

 大体休日はデイトレードで値動きを見ながらの一服と読書、さもなくば休日出勤。そして夜には飲みと遊びに向かう。しかし最近は昼間の時間を潰したあとは竜也の仕事を見計らって彼の元へ向かうことがほとんどだ。
 相手の家で食事をしてのんびりと甘ったるい時間を過ごすのは、これまでを振り返っても一度もない。手料理なんて用意されて待っていられたら重くて関わりたくない、くらいは思っていた。人間変わる時は変わるのだなと思う。

 そして陽の明るいうちに出掛け歩く生活なんて何年ぶりだろうかと考える。けれどあれがしたいあそこへ行きたい。そんなおねだりを聞いていたらそれもだいぶ慣れてきた。今日も仕事を張り切った竜也から昼前にメールが来て、機嫌良く出掛ける支度をしてしまった。
 現在時刻は十三時を少し回ったところ。普段なら竜也のマンションまで迎えに行くのだが、今日は待ち合わせがしたいというおねだりのため駅前で落ち合う約束になっている。時間にはまだ早いけれど、あいつのことだからきっと早くから待っているだろうと思った。

 そうしたら案の定、駅前の時計台の下に立っている姿があった。ざっくりとした白いニットにぴったりとしたスキニーのデニムは、彼の線の細さを強調しているように見える。長い袖で手の平が隠れるのをなんて言うんだったか。
 少し長めのミルキーブラウンの髪に大きめの瞳。ぱっと見た感じ女にも見えるせいかやたらと男が振り返っていく。けれど当人は握った携帯電話に気を取られていてそれどころではないようだ。

 約束の時間が待ち遠しい、そんな様子がありありとわかるそわそわした表情。時折髪へ手をやったり鏡をのぞいてリップを塗ってみたり。すぐに声をかけてやろうと思っていたのに、その姿があまりにも可愛くてつい眺めてしまう。
 しかししばらく眺めていたが、少し前から行ったり来たりウロウロしていた男たちが近づいたのを見て足を踏み出す。

「竜也」

「……あっ! 九竜さんっ」

 話しかける男たちに怯えた様子を見せていた竜也は呼びかけた声に反応してぱっと顔を上げる。そんな表情の変化に口が思わず緩みそうになって意識して引き締めた。しかし花が開いたみたいな喜び溢れた顔はキラキラと輝いていて、その眩しさに目を細めてしまう。
 ゆっくりと近づいていくと竜也を取り囲んでいた男たちへ視線を向ける。こちらに気づいたやつらは肩を跳ね上げると後ろへ飛び退いて、よくわからない言い訳をしながら逃げ去っていった。

「化け物でも見たような反応だな」

「うふふ、きっと九竜さんが格好良すぎて圧倒されちゃったんですよ。今日も素敵です。いつもダーク系が多いですけど、こういうナチュラルな色合いも似合いますね。髪を下ろしたらきっとぐんと若く見えますよ」

「そんなに俺は老けてるか?」

 昼間の映画デートをするのにいつもの黒ずくめでは目立つだろうと気を使ったつもりだったが、そう返されるとは思っていなかった。けれど少し眉をひそめたら竜也は大げさなほど首を振った。

「そ、そういう意味じゃないです! 年相応に男らしくて格好いいです」

「まあ、あんたにそう思ってもらえるならそれでいい」

 見上げてくる視線にかけていたサングラスを外して胸ポケットへ引っかける。そしておもむろに手を伸ばして目の前の身体を抱き寄せるが、途端に驚いた顔をして頬を染めた。俯いた視線をのぞき込むように身を屈めれば、ますます白い肌が朱に染まる。

「駄目です。……ここ駅前で、人が、見てます」

「見たいやつに見せておけばいいだろ」

「だっ、駄目ですっ」

 指先で顎を持ち上げて顔を近づけたが、触れる寸前で両手に押し止められた。添えていた指を離すと思いきり顔をそらすように俯く。けれどあらわになっている左耳が赤い。素直な反応が可愛くて、にやついたままそっとそこに唇を寄せた。

「あっ」

 ビクリと跳ねた細い肩を抱き込めば抵抗もないまま腕の中に収まる。けれどそれに気づくとジタバタとし始めて、余計に離したくなくなった。柔らかい髪に鼻先を埋めるといつものコロンの香りを嗅ぐ。
 ローズの香りだが竜也が身につけるとやたらと甘い匂いがする。しかしなにも付けていない時でも柔らかく甘い香りがするので体臭が混ざっているのかもしれない。草食系で果物好きなせいか精液も甘いくらいだ。

「く、九竜さんっ、恥ずかしいです」

「別になにもしてないだろう?」

「なにかされたら、恥ずかしすぎて死んじゃいます」

「それは困るな。……行くか。時間があるからな」

 もうしばらく抱きしめていたかったが、これ以上は無理をさせるわけにはいかない。沸騰したみたいに首筋まで赤くしている竜也の頭を撫でてそっと身体を離した。するとバネみたいに勢いよく離れていく。

「それはそれで傷つくぞ」

「ご、ごめんなさい」

 ため息をつけば恐る恐ると言った様子で近づいてくる。ちらりと視線を向けられて促すように目線を動かせば、示した先、すぐ隣までやってきた。それに満足して腰へ手を回すと、困ったように眉尻が下がって恥ずかしさを誤魔化すみたいに目が泳ぐ。

「もうっ、みんなが振り返ってるじゃないですか。それでなくとも九竜さん格好いいのに」

「あんたが可愛くてみんな振り返ってるんだろう」

「違いますよ! 九竜さんです」

 どうでもいいことをこんな風に言い合うなんて随分と恋人らしいなと笑えてくる。けれど隣で真面目な顔をして力説している竜也の顔を見ているほうがより楽しくなる。こんな気持ちになる日が来るなど考えもしなかった。
 いい加減で適当な俺の傍にいてくれる、それに感謝しなければいけないと思わされる。この出逢いは運が良かったその一言に尽きる。

「それで、主人公は彼女の言葉に救われて踏み出す決意をするんです」

「ふぅん」

「すごく人気の小説らしいですよ」

「読んだことはないのか?」

「まだ読んでません。今日映画を観てから読もうと思っててあらすじだけ。九竜さんはこういうお話は、読まないですよね」

「読まないな」

 SF要素も含んだ恋愛小説、娯楽小説自体ほとんど読まない俺にはまったくの専門外だ。なので映画は大して興味はないが隣で期待に目を輝かせている顔を見ていられれば十分だ。
 事前に予約しておいたチケットを発券してスクリーンに向かえば、人気と言うだけあってかなり席が埋まっている。

「本当に飲み物は良かったのか?」

「大丈夫です! いつも見るのに夢中になって飲むの忘れちゃうんで」

 席に着くと早速と鞄からハンカチとティッシュが取り出された。レビューを見てかなり泣けると評判だったらしく、前準備は万端だ。場内が暗くなり流れる予告ムービーを見つめる横顔を眺める。反応がいいものはそのうちまた観に行きたいとおねだりされるだろう。
 さてこれからの二時間あまりをどうやって潰そうかと思いながら、オープニングが始まった頃に隣の肘掛けに載せられた手を握る。すると驚いた様子で振り向くが、スクリーンが気になるのかすぐに前を向いてしまう。

 その反応がつまらなくて指を絡めて繋いでみたり、指先で指の股を撫でてみたりしていたら、今度はムッと口を尖らせて振り向く。そして少し眉をひそめて繋いでいた手を解くと俺の手の甲を叩いた。
 これ以上の悪ふざけはさすがに怒らせそうだと思って諦めたが、しばらくして離れた手が重なり俺の手を押さえ込むように握られる。どうやらこの先の悪戯を阻止するためのようだが、にやつかずにはいられない。

 誤魔化すようにコーヒーを口に運ぶがそれで収まるわけもなく、隣の顔を盗み見ながらさらにニヤニヤとした。
 時間が経つとすっかり映画に入り込んだ竜也の手はこちらの手を握りしめたり、自分の手を握りしめたり。しまいにはハンカチを握りしめてボロボロと泣き出した。喜怒哀楽がはっきりとした子供みたいな純粋さは彼らしさだと思う。

 思えばこういうタイプはいままで周りにいなかったかもしれない。少しおっとりしていて表情がよく変わる素直な性格で、几帳面だがわりと抜けていたりもする。いままで視線を落としてこなかった道ばたの花に惹き寄せられたような感覚だ。
 摘んでしまったら萎れてしまうんじゃないかと思うくらい可憐だが、意外と根太く丈夫そうでもある。そのギャップも魅力の一つだ。