その瞳に溺れる04
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 その後の竜也と言えば、終始俯きがちに黙々とパンケーキに向かっていた。頬や耳も真っ赤に染めたままで。
 そんなウブな反応が面白くて、のんびりとコーヒーを飲みながら、ずっと眺めていた。けれどそうしているうち視線に、耐えきれなくなったのか「見ないでください」とキレ気味に怒られる。とは言え、視線を向ける先は竜也以外にはないので、その言葉を無視した。

「もうっ、ドキドキして、味がわからなくなっちゃう」

「可愛いな」

「やめてくださいっ」

 しまいにフォークをくわえて完全に下を向いてしまい、少しばかり可哀想になったので、仕方なく視線を窓の向こうへと投げた。店の外ではここに入る前の人の数とは裏腹に、かなり長蛇になっている。
 わりとどこへ出掛けてもそうなのだが、竜也といるとなにかを待つという場面が少ない。タイミングなのだろうが、運がいいとも言える。それに対し彼は大喜びするので、常日頃というわけではなさそうだ。
 かといってこちらがそうなのかと言えば、否と言える。そこまで気に留めるような、運の良さは持ち合わせていない。偶然と言えばそれまで。しかしなにか特別だと思えばそれも楽しいと思える。

「満喫できたか?」

「……はい」

 しばし時間を置いて視線を戻せば、ナイフとフォークを置くところだった。綺麗に食べ終わった皿は、性格が表れているような食べ終わり方だ。ソースやクリームが飛び散ることもなく、文字通り綺麗さっぱり。
 それから最後に注いだ、紅茶を飲み終わるのを待って席を立った。時間を確認すれば、もう少しで十九時になろうかというところだ。さてこの先はと考えるが、いま食べ終わったのでこれから食事というのは厳しい。

「どこか行きたい場所はあるか?」

「そう、ですね」

「日も暮れる頃合いだ。夜景の見えるバーにでも行くか?」

「……あっ、それなら、九竜さんがよく行くお店とか、行きたいです!」

「俺の?」

「はいっ! ……駄目、ですか?」

 見上げてくる目はキラキラとしていて、おねだりの時に見せる期待が含まれている。こちらがNOと言うことを想像していない、ある意味信頼している瞳だ。けれどいくら可愛げのある表情でも、そのおねだりはいささか頷きにくい。
 普段俺が行く店など、ろくな連中が集まっていない。それを考えるとはっきり行って連れて行きたくない、としか言えないが、断ったらおそらくあからさまに気を落とすだろう。
 パチパチと瞳を瞬かせながら見上げてくる視線に、いくつか候補を挙げて考える。客層が落ち着いていて、わりと敷居の高めの店なら、おかしなやつらの目に触れさせることもないだろう。

「わかった」

「わぁっ! ありがとうございます! 嬉しいです」

「浮かれて羽目だけは外さないでくれよ」

「き、気をつけます!」

 飛び上がらんばかりの喜びように、真っ先に釘を刺す。決して酒癖が悪いわけではないが、少々気にかかる部分がある。それがただの杞憂で終わることを願いながら、近づいたタクシーへ手を上げた。
 この場所からならば車で三十分程度だろう。隣でふわふわと笑っている顔に苦笑しながら、店のほうへ連絡を入れた。時間が早いので、人はほとんどいないという返答だったが、休日なので時間が遅くなれば、混むのは間違いないと言われる。

「どんなお店ですか?」

「ごく普通のジャズバーだ」

「……ごく、普通?」

「揚げ足を取るような聞き方をするな」

「普通じゃないお店にも、出入りしてるんですね」

「それはヤキモチか? いまはまったく行っていないぞ」

 身体を傾けて、のぞき込むように見上げてくる、子供みたいなその仕草は可愛いが、視線が余計なところに色々と刺さる。過去の行いを消去することはできないのだから、うろたえても仕方がないのだが、純粋無垢、のような目で見られると居心地が悪い。

「九竜さんだったらどこへ行ってもモテモテですよね」

「それは否定して欲しいのか?」

「……本当なのも妬けちゃいますけど、否定されたら嘘っぽくて嫌です」

「それは複雑な意見だな」

「はい、とっても複雑です。……でもいまこうして隣にいてくれるのは奇跡みたいなことだって思っているので、いまの九竜さんを信じています」

 そんなにまっすぐな目で、いじらしいことを言われたら、この先も離してやれそうもない。その細い身体、細い指先、髪の毛の一筋、余すところなく絡め取って飲み込んで、腹の内に収めてしまいたいような気分になる。

 自分の気持ちのほうが、大きいと思っている竜也には、俺の中にある独占欲がどれほど強いかなんて、わかりはしないのだろう。

「なんだか隠れ家みたいなお店ですね」

 タクシーを降りたのは、繁華街から逸れた裏路地。賑やかさのない静かな道には、ぽつぽつと店の明かりが灯っている。目的の場所はその一つ。下り階段を下りた先に、木製の扉がありOPENの文字が刻まれた、金属製のプレートがある。

「月夜見の、うた?」

「詩と書いてしらべと読むそうだ」

「なんだか幻想的で素敵ですね」

「そうか? やたらと凝りすぎているようにも感じるが」

「こういう情緒も大切ですよ」

「心に留めておく」

 小さく笑った顔に肩をすくめて、扉を引き開ける。セピア色の照明で照らされた店内は、まだ静けさが漂っていた。正面にカウンター、右手にテーブル席。その奥は一段低くステージになっており、時間になれば演奏や歌が楽しめる。
 早い時間ではあるが、ステージを見に来たのだろう客が数組、テーブル席の前のほうを陣取っていた。店の独特な雰囲気に、隣ではキョロキョロと興味深そうに視線が動いている。腰を抱いて中へ促せば、視線がこちらを振り返った。

「そんなに物珍しいか?」

「こういう大人なお店は初めてです」

「あんたは初めてが多いな。楽しませ甲斐がある」

 向かったカウンターの中には、金髪を撫でつけた、ひょろりと背の高い男が立っている。こちらに気づいて顔を上げるが、目が合った途端に驚いた表情を浮かべた。それを視線で咎めると、やたらとにこやかな笑みを浮かべられる。

「やあ、九竜。久しぶりに来たと思ったら、こんな美人どうしたんだ?」

「加賀原、余計なことは喋らなくていい」

 なにやらうずうずとした雰囲気を見せる男――加賀原に前置きするように、太い釘を刺したがすぐにニヤニヤとされる。そして並んでスツールに腰かけた竜也を見て、やつはさらに顔をにやけさせた。
 けれど俺たちの空気に気づいていない竜也は、不思議そうに小さく首を傾げる。そしてじっと見つめてくる加賀原に、視線を向けて愛想良く笑った。

「はあぁっ、こんな美人そうそうお目にかかれるもんじゃないな。君、笑うとますます可愛いね。初めまして、俺はこの店のマスターで加賀原、九竜とも長い付き合いなんだ。よろしくな」

「あ、長塚竜也と言います。よろしくお願いします」

「まったく来ないと思ったらこんな可愛い恋人といちゃいちゃしてたんだな」

「九竜さん、そんなに長く来ていなかったんですか?」

「ああ、週に一度は来てたのにここ三ヶ月くらいぱったりだったな」

「……あっ、そうなんですか」

 聞かされたその期間に、思い当たることがある竜也は、ぽっと頬を赤く染めた。そしておずおずと視線を持ち上げて、こちらを見つめてくる。
 三ヶ月――それは竜也と出会ってからの期間だ。遊び歩いていないと言った言葉が本当だったと、信憑性の有無を答え合わせできたというところか。伸びてきた指先が、ジャケットの袖をきゅっと握り、嬉しそうにはにかんだ。
 その顔に手を伸ばして、指先で頬を撫でると恥ずかしそうに目を伏せる。あらわになっている左耳をくすぐれば、袖を握りしめている彼の指先に、力が入った。

「はいはいはいはいっ! いちゃつく前に注文どうぞぉ」

 せっかくの空気をぶち壊すように、加賀原はテーブルにメニューを広げ、おしぼりを押しつけてくる。それに眉をひそめて視線を送るが、素知らぬ顔で竜也には恭しく差し出した。

「なにか好みはあるか?」

「できたら甘めのものがいいです。柑橘系とか」

「じゃあ、それといつものロック」

「んー、それなら飲みやすくカシスオレンジにしておこうか」

「はい、好きです」

 これまで酒を飲むのは、食事のついでのようなものだったから、実際竜也がどれほど飲めるのかまだ把握していない。けれど顔には出るがそこまで弱いという印象はないので、加賀原に任せておけば酔い潰れることはないはずだ。
 しかし店が混雑してきた頃に引き上げて、自宅に送り届ければいいだろうと、思っていたのが覆されるのはもうしばらくあとの話だ。

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