飴玉

 カチカチと時計の秒針が静かな部屋の中に響く。一分、二分、三分――しばらくするとその音に小さな唸り声が混じった。そしてうー、うー、と低い声が続くと、それが爆発するように大きな叫び声に代わる。

「あー、もう! わっかんねぇ!」

「……マキ、叫ぶ前に見直して」

 部屋の真ん中にある机に被りついていた蒔人が、黄色い頭を両手でかき乱しながら後ろへひっくり返った。その真向かいに座っていた雪也はそれを呆れたように目を細めて見つめる。二人で向かい合って三十分、これで三度目だった。
 五つ下の幼馴染みは昔から本当に堪え性がない。興味が湧かないことはからっきし駄目なのだ。しかも端からやる気がないので広げられた教科書もノートもちっとも先に進まない。

「ユキと二人っきりでいんのに、なにこの沈黙! 耐えらんねぇ。マジ、もうムラムラしかしねぇし!」

「ほら、無駄口叩かないでこの問題解いて」

 恐竜の如き雄叫びを上げながら蒔人はゴロゴロと床でのたうつ。けれどそんな子供のような行動はすでに予測済みだ。雪也は彼が叫び飽きるまでシャーペンで教科書を叩く。

「ご褒美くれよ」

 唸るのも叫ぶのも疲れたのか、蒔人はゆるりと身体を持ち上げる。そしてテーブルに顎をのせると、じっと目の前にあるアンバーの瞳を見つめてきた。そんな真っ直ぐと向けられる視線に大きく瞬きをして、雪也は鞄から取り出したものをテーブルの上に転がす。

「……はい」

「はい、じゃねぇ! 飴ちゃん如きで納得できるか!」

「えー、マキもイチゴ飴好きでしょ」

 眉間にしわを寄せてふて腐れる蒔人に満面の笑みを返して、雪也は小さな包みから取り出した飴を口に放り込んだ。そしてもの言いたげな視線に小さく首を傾げると、口の中で転がした飴を舌先にのせて見せた。

「いまから十五分以内に問題を十問解けたらこの飴ちゃんあげる」

「……三十分!」

「駄目」

「二十分!」

「早くしないとなくなっちゃうよ?」

 ゆるりと口の端を上げた雪也に蒔人の目の色が変わる。頬杖をついてその燃え立つ瞳を見下ろせば、勢いよく身体を持ち上げた。そして宣告するように真っ直ぐとシャーペンを向けてくる。

「その澄ました顔、すぐに黙っていられねぇようにしてやる!」

「んふふ、楽しみだね」

 急にやる気をみなぎらせ息巻いた蒔人に、やんわりと目を細めて雪也は笑った。昔から本当に変わらない。頭に血が上りやすくて、単純で、本能だけには忠実で、彼はいつだって雪也のことしか頭にない。
 奥の手はもう少し後出しするつもりでいたけれど、駄々をこね出したら蒔人は言うことを聞かない。あと何回、この手が使えるだろうかと雪也は考えた。そのうちもっともっとと欲が出て、我慢が利かなくなるだろう。
 その前に躾けておかなければと、必死になっているお馬鹿で素直な恋人に笑みを深くした。

 カチカチと時計の秒針が静かな部屋の中に響いている。その中にノートの上を滑るシャーペンの音が紛れていたが、ふいにその音が止んで強くテーブルに叩き付けられた。
 目の前でその様子を見ていた雪也は、数式で埋まったノートを指先で引き寄せる。そしてゆっくりゆっくりと目を通して、一つずつ赤いボールペンで丸を付けていった。

「うん、まあ、最後のちょっとやり方違ってるけど。駄目ではない」

 小さく頷いて雪也がボールペンを置くと、のっそり立ち上がった蒔人が大股で近づいてくる。三歩も歩かぬ内に傍まで来ると、勢いのまま覆い被さるようにのし掛かって来た。長い前髪の向こうに見える目は子供らしくない飢えた目をしている。それをじっと見つめ返せば、荒々しく唇を重ねられた。

「もう、飴ちゃんないよ?」

 おどけて舌を見せる雪也に蒔人は苛ついたような表情を浮かべる。けれどその顔に雪也はほくそ笑んだ。目の前にあるものしか見えていない彼が可愛いと思う。
 余裕など欠片もなくキスをされて、甘い残骸を舐め取るみたいに口の中を撫でられるとゾクゾクとした。伸ばされた手が脇腹や胸を撫でる。その感触に肩が震えてしまった。けれど雪也はちらりとテーブルの上に視線を向ける。そしてゆるりと手を上げた。

 時計の針が二十時を指すと甲高いアラーム音が鳴り響く。その音に身体を跳ね上げた蒔人を押し退けると、雪也はゆっくりと起き上がった。

「マキ、タイムオーバーだよ。今日のお勉強は終わりです」

「はっ? ……ざっけんなっ!」

 楽しげな雪也の笑い声と共に、時計が勢いよく壁に叩き付けられた。

飴玉/end