小さな幸せのひととき04
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 朝倉とのんびりと週末を過ごしてしばらく。
 従兄弟と朝倉の予定が立ち、二人を引き合わせる日を迎えた。

「兄ちゃん、朝倉さんに失礼な物言いとかするなよ」

「相手による」

 七つ年上の従兄弟は、渋々といったていを隠さない敦生の様子に、ふんと鼻で笑う。
 普段は本当の兄のように慕っている人物だが、こちらも本当の弟、保護者のように敦生を見ているため、妥協してくれない。

 ノブと付き合うと話した時もくどくどと、ノブに対し説教じみた話をしていたのだ。

「敦生、ちゃんと俺の言うことを聞いて、事前情報は話さなかったな?」

「え? 兄ちゃんの話? 特にしてねぇけど。朝倉さんもこれと言って聞いてこなかったし」

(名前と年齢を伝えただけだけど。事前情報って言わないよな?)

 なぜか従兄弟に、自分の詳しい話はするなと言われていたのだが、敦生は理由がいまいちわからない。
 対して朝倉に関する話も聞いてこなかったので、もしかしたら余計な印象を持ちたくないという意味だろうかと、敦生は首を傾げた。

 待ち合わせの場所へ向かうため、一緒に電車を降りた従兄弟をちらりと横目で見る。
 自分とよく似た赤茶色い髪の毛と瞳。

 敦生はクール系な顔立ちをしているけれど、彼は懐こそうなやや垂れ目。なのだが、本当の兄弟と間違えられるくらい顔立ちが似ていた。

 しょっちゅう家に出入りしていた彼が、本当の兄でないと知った、幼き頃の敦生はかなりショックだった。

「あ、もう来てる」

 待ち合わせは駅の近くにあるカフェ。
 最近、少し肌寒いが、これからする話が些か特殊なのでカフェテラスで、と約束していた。季節柄か、朝倉の他に人はいない。

 秋色のコートを着た恋人の姿を見つけ、敦生の瞳が輝く。
 一人、読書をしている彼は休日なので私服だ。
 あからさまな反応を示す弟分に、従兄弟は呆れたため息をついた。

「朝倉さん! お待たせ」

「大丈夫、時間どおりだよ」

 飲み物を注文してから席へ向かえば、視線の合った朝倉が柔らかく微笑む。
 うっかり従兄弟の存在を忘れてすぐ傍に座ろうとし、袖を引っ張られた。

「敦生」

「……朝倉さん、この人が従兄弟の新島陸」

「初めまして、新島くん。僕は朝倉夏彦と言います。今日はよろしく」

「どうも、新島陸です。今日はよろしくお願いします」

 にこやかな朝倉に対し、早くも品定めに入り始めた従兄弟の陸は、敦生を座らせ、自分も隣――朝倉の向かい――に腰を下ろした。

「ふふっ、本当によく似ているね」

 並んで座った敦生と陸を見て、朝倉は小さく笑う。
 ちらっと陸から視線を向けられたが、敦生は自分と彼が似ているとは話していないため、首をぶんぶんと横に振った。

「すごく似ていると話に聞いていたんだけど」

「……調べたんですか?」

「え? あっ、ごめん。誤解を招くような言い方をして。実は僕の姉がね」

 一瞬、二人のあいだ――主に陸――に不穏な空気が流れて、ヒヤヒヤした敦生の気持ちをよそに、ネタばらしは非常に単純だった。

「朝倉さんのお姉さんが上司?」

「以前、敦生くんの写真を見て、この子にすごくよく似た子が職場にいる。兄弟? って聞いてきたんだ。でも名字が違うし、敦生くんは一人っ子って聞いてたし、その時の僕は聞き流してたんだけど」

(朝倉さんって、家族の話を結構な確率で聞き流してるな。過保護みたいだし、過干渉なんだろうな、わりと)

 朝倉と一緒に撮った写真が、私室のデスクに飾られているのは知っている。
 あれを見て会ってみたいと言いだしたのかも知れないな、と敦生は予想した。

「敦生くんから名前を聞いて思い出したんだ」

 にこっと笑みを浮かべた朝倉に、苦い表情を浮かべる陸。
 上司の親族となると無闇に言い募れないのだろう。なんという偶然か。

「ごめんね。僕は警戒させるために言ったわけじゃないんだけど。身元は確かだと言いたかっただけで」

「……うちの上司のご姉弟ならば、朝倉春二先生の息子さんですよね。朝倉一家は悪い噂まったく聞きませんし。――でも、医者じゃない弟さんがいるとは、知りませんでした」

「兄ちゃん、朝倉さんに失礼な言い方をするなって言っただろう!」

「別に失礼な話でもないだろ。事実だし」

「朝倉さんは昔、体が弱くて」

 言外に一家の落ちこぼれなのでは、と言っているように聞こえ、敦生はムッとした気持ちを隠さずに、陸の袖を掴んだ。
 対する彼は悪びれた様子もなくツンとする。

「うーん、一応は成績はそれなりで、留年もせずに大学と、現在の職場までまっすぐと来たけれど。医者としてのステータスを求められると難しいな」

 棘のある陸の物言いに、朝倉は口元へ手を当てながら小さく唸る。
 こんな重箱の隅をつつくようなこと、真面目に取り合わなくてもいいのにと敦生はモヤモヤとした。

「じゃあ、聞くけど。兄ちゃんは、朝倉さんがどんな人だったら納得するわけ? ただ文句を言いたいだけじゃねぇの? どう見たって朝倉さん、真面目で誠実そうで穏やかな人だろ!」

「それはお前の欲目だろ! もし腹の底が真っ黒で、紳士面した変態だったらどうするんだよ」

「朝倉さんがそんな人なはずないだろ!」

「大体、敦生だってこの人と数ヶ月程度しか一緒にいないんだから、本性とかわかんないだろうが! 信弘とは交流が続いたのちだったから、俺も安心できたけど」

「ノブはノブ、朝倉さんは朝倉さんだ! なんでもノブと比べるな!」

(最近はなにも言わないけど。朝倉さんは自分とノブの違いに苦しんで、傷ついて、涙をこぼすくらい優しい人なんだ)

 その話はここで大っぴらにするものではないと、敦生も理解しているので、言葉を飲み込んでぎゅっと拳を握る。

 だがノブと自分が大きく違う。敦生を理解しきれない自分では幸せにできないのでは、そんな風に悩む人が、陸の言うような人間だとは思えない。

「敦生くん、大丈夫だよ。落ち着いて。新島くんも敦生くんを心配しているだけだから」

「心配してたら相手を傷つけてもいいのかよ。俺、朝倉さんが誰かに悪く言われるの、嫌だ」

 なだめる朝倉の声に敦生はきゅっと唇を結ぶ。
 気を抜いたら涙が浮かんでこぼれてしまいそうで、両拳を強く握った。

「だって朝倉さんは、ノブがいた頃。俺に対して一度もそんな素振りを見せなかっただろ? 周りはなんとなく気づいてたみたいだけど。俺には気づかないように接してくれてた。初めて告白された時、驚きすぎてなにも言えないくらいだったんだ。告白だって、俺がいつまでも……」

「敦生くん」

「いつだって俺のとろすぎるペースに合わせてくれて、ノブのこと忘れなくていいとか――俺だったら絶対嫌だ。朝倉さんが元カノを忘れないでいたら、すげぇ嫉妬する。一生、二番目でも構わないって思うような人が、兄ちゃんの言うような人間なわけないだろ!」

「敦生くん、ごめんね。泣かないで」

 さっと席を立った朝倉が傍へ来て、敦生の頭を自身に引き寄せ、背中をトントンと叩いてくれる。
 ボロボロとこぼれ出した涙がコートに染みるけれど、彼は敦生の泣き顔を隠すようにし、黙って抱きしめ続けた。

「朝倉さんが謝るな!」

「うんうん」

 涙声で怒る敦生の頭を何度も撫でて、朝倉は文句をさらりと受け流す。
 こんな場面でスルースキルを発揮するなと、続けて文句を言いたくとも、敦生はしがみつくみたいに彼のコートを掴むので精一杯だった。

「最初からその勢いでおじさんやおばさんに訴えたら、あの人たちだって無下な対応はしない」

 ぶすっとした陸の声に敦生が顔を上げたら、彼はテーブルに頬杖をついてふて腐れた表情をしていた。

「俺もおじさんもおばさんも、敦生が心配で幸せになってほしいだけだ」

「兄ちゃんこそなんで最初からそう言わねぇんだよ!」

「お前が口を開けば、相手のことを必死で持ち上げるような言い方しかしないからだろ! 言いくるめられてるんじゃとか、騙されてるんじゃとか思うだろうが!」

「そ、それは……だって、朝倉さんはほんとに優しくていい人で。だからちゃんと知ってほしくて」

「もういい! わかった!」

 半ば逆ギレされている状態な気もするけれど、陸の言い分もわかる。
 もごもごとし始めた敦生に、彼はふいっとそっぽを向く。

 せっかく味方になってもらおうと思っていたのに、これでは意味をなさないのでは。
 けんか腰になった自分に反省し、しゅんとする敦生だが――

「二人とも、なんだか本当によく似ていて可愛いね」

「えぇ? 朝倉さん、いくら似てても兄ちゃんを」

「敦生くん。それこそいくら似ていても、似ているだけで移り気になる男じゃないよ、僕は」

 二人のやり取りに笑った朝倉を慌てて見上げれば、彼は少し困った表情を浮かべながら、敦生の涙をハンカチで拭った。

「それに新島くんも大切な人がもういるみたいだし」

「へ?」

「だから余計に心配していたんだよ」

「情報格差。まったくもってフェアじゃない」

 朝倉が小声で、敦生に言った言葉が聞こえたのだろう陸は、片眉を跳ね上げて不服そうな顔をする。

「兄ちゃん、恋人がいるのか? え? いつから? どんな人だ?」

「うるさいな。お前はそんな話より、自分のこれからを考えろよ」

「ケチ。……俺は、これからもずっと朝倉さんといるって決めたんだ。誰がなんと言おうと、それだけは変わらない」

「ふん、じゃあ、今度おじさんとおばさんに話をするとき、付き合ってやるよ」

「やった! 兄ちゃん、大好き――あっ、朝倉さんの次にだけど」

「一言多い!」

 ぐっと拳を握ってガッツポーズをしたら、陸の指先で額を弾かれた。
 思わず「痛い」と文句が出たものの、敦生の顔は泣きあとが残っていても満面の笑みだ。


 気を取り直して三人で食事へ行ったあとは、「いいか、段階をちゃんと踏めよ」と小言を繰り返す陸と別れて、朝倉の家でのんびりと過ごせた。

「朝倉さん、好き」

「僕もだよ」

 優しい微笑み、愛のこもった口づけ。
 抱き寄せてくれる大きな手のひら――
 朝倉との小さく些細なやり取りが、なによりも敦生の心を満たす。


 なんだかんだと丸く収まったけれど、最終的にあの場を掌握したのは朝倉なのではと、のちのち敦生は気づいた。

 

end

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