バイトが終わり近所のコンビニで酒を仕入れると、店から徒歩十五分程のところにあるマンションにたどり着いた。親戚が海外赴任で家を空けるから、そのあいだ自由にしていいと言われた物件。大学生の一人暮らしには充分すぎるほどに広いリビングダイニングがある間取りだ。
「贅沢だな」
「適当に座って」
部屋に入るなり彼の第一声がそれで思わず笑ってしまう。しかも酔っているからなのか遠慮があまりなく、きょろきょろと部屋の中を見て回っている。そんな様子を横目で見ながら、俺はアイスペールに氷を入れてグラスを戸棚から取り出した。
「やらしい! ダブルだ」
「ちょっと将吾さん遠慮なさすぎ」
寝室に繋がる戸を勢いよく開いた彼の行動に苦笑いが浮かんでしまった。けれどさほど物もなく散らかっているわけでもないので、特別慌てることもない。手にしたアイスペールとグラスをリビングのテーブルに置くと、俺は彼に少しだけ歩み寄った。
「従兄弟の持ち家なんだよ。だからベッドは元々ついてたの。一人でダブルとか広すぎて寂しいくらいだって」
「そんなこと言って付き合ってる人くらいいるんだろう」
「え?」
話の流れでなんとなく呟かれた言葉なのかもしれないが、俺は過剰すぎるほどに反応を示してしまった。なぜそんなことを聞くんだろうと、胸がざわめく。付き合っている人がいたのなら、彼はそれをどう思うのだろうと、そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「いまは、いない。別れた。……好きな人ができて」
けれど駆け引きなどいまの自分には出来そうなくて、ありのままを告げるしかできなかった。そんな俺の言葉に彼は少し顔を俯けてなにかを考えているようだった。
「将吾さん?」
訪れた沈黙に胸が苦しいくらいに締めつけられる。目の前にいる人に触れたい。あなたが好きなのだと伝えてしまいたい。この人の前に立つと自分がわからなくなる。いままでどんな恋愛をしてきたか、そんなことも頭の中から抜け出てしまってどうしたいいのかわからなくなる。
「柚崎さんと付き合ってたのか」
「は? な、んで」
思いもよらない彼の言葉に頭の中が一瞬真っ白になった。彼の口からそんな名前が出てくるとは思わない。なぜそれを知っているのだろう。
「初めて見た時から、パーソナルスペース狭いなとは思ってたんだけど、そういうことかって考えたら納得いった。やたらと啓のこと詳しかったり、店長って枠だけじゃないくらい気安かったり」
「将吾さん、なに言ってんの」
「啓は俺のことどう思ってるんだ」
この展開はどう捉えたらいいのだろうか。いまここで正直に答えることが正しいのか、それとも嫌悪を与えないためにも誤魔化したほうがいいのか。急流にもまれたみたいに頭の中もぐちゃぐちゃになって、判断がつかない。けれど振り返った彼の視線がまっすぐに俺を見つめる。
「答えろよ」
「将吾さん? ちょっ」
ふいに伸びてきた手が俺の頬を包み引き寄せる。驚いて身構える俺のことなど気にも留めずに、顔を寄せた彼は俺の唇を奪った。
触れた唇は思っていた以上に柔らかくその感触に頭が少しくらりとした。唇をなぞるように動く舌先はアルコールの味がして、それだけで酔ってしまいそうになる。身構えていた身体はいつの間にか腕を伸ばし目の前の彼を抱きしめていた。
「……んっ」
唇を割り侵入してきた舌先を吸い付くように絡めとれば甘い声が聞こえた。その声がもっと聞きたくて彼の口内を撫で上げると、しがみつくように腕を伸ばしそれを首元に絡めてくる。
ぴちゃぴちゃと唾液が音を立てるほどに舌先を撫でて擦れ合わせると、下肢がずんと重くなる。無意識にそれを彼に押しつけたら、彼のそれもまた芯を持ち硬くなっていた。
「将吾さん」
耳元で名前を囁き、こめかみに口づけたらぎゅっと強く頭を抱きしめられた。
「好きだ。好き……将吾さん」
「そういうことは、もっと早く言え」
もつれるように寝室のベッドに倒れこむと、俺を見上げる瞳が少し不服そうに細められた。その表情はどこか色気があり、思わず手を伸ばしてしまいたくもなる。手のひらで頬を撫で、首筋を撫で、胸元に滑り落としても彼はその手を払うことはなかった。
「将吾さんってゲイ?」
「違う!」
一ミリの抵抗も見せない彼に首を傾げたら、間髪を入れずに思いきり否定された。眉をひそめてこちらを見上げる視線に俺は驚いて目を瞬かせてしまう。確かに初めて出会った時に「非生産的」だと言っていたけれど、まったく抵抗をされないことに戸惑う。
「え、じゃあ、なんで」
「なんでは俺の台詞だ! 散々俺のことを見ていたくせに一向になにも言わないから、俺のほうが啓を好きみたいになってしまっただろ」
「え?」
少し頭が混乱してきた。それはどういう意味なんだろうか。これは都合のいい解釈をしていいのか。そもそもこのシチュエーションで期待をするなというほうが無理だ。じっと黒い瞳を見つめたら伸びてきた腕にゆっくりと引き寄せられた。そっと唇が触れ合った感触に胸が高鳴った。
「気づけよ。もっと頭を使って考えろよ」
「それはうぬぼれてもいいってこと? 俺、すごく将吾さんが好きだ」
「ここまでしてやったんだから、ちゃんとうぬぼれろよ」
ついばむような口づけをかわし、俺は誘われるように首筋に噛みついた。服の裾から忍ばせ触れた彼の肌はしっとりと手に馴染み、あますことなく触れたい気分になった。身体をなぞるように手のひらを滑らせれば、ぴくりと彼の肩が震える。
「俺、少しまわりが見えてなかったかも」
いつも彼は目の前にいてくれた。ふらりとやってくるようでいてそれは決められた法則のようだった。俺の休みの日にきたことは一度もなくて、俺が出勤する一時間後には目の前に現れる。「次の休みはいつ?」それが帰り際の口癖のようなものだった。けれど「君がいる日に来るよ」――そう言われているのだと、どうして気がつかなかったのだろう。
「あっ……ん、はっ」
こんな時になってから気づくなんてあまりにも自分が鈍くて馬鹿すぎて嫌になる。「砥綿さんは一言目が啓、ですよね」――そんなことを言っていたのは誰だったろうか。
「啓っ、啓、やぁ……ん」
「将吾さん、嫌っていうわりにしっかり反応してるよ」
「あ、あっ、イクもう、や、啓」
自分を戒めることばかり考えて彼の言葉が届いていなかった。もっと彼の奥深くで繋がりあえたらいいのにと、そう思っていたのに――。
「将吾さん、好きだよ」
「そればっか、り」
「ほかになにがいい?」
素肌を外気に晒すたび、頬を染め恥じらう彼に俺の気持ちは高ぶるばかりだった。初めてなのだからとうんと優しくしてやらねばとそう思っていても、快楽に従順な身体をぐずぐずに溶けるまで指先や舌先で追いつめてしまう。自身の欲望を埋める頃には彼の瞳は涙で潤み、色香が溢れんばかりに漂っていた。
「将吾さん、色っぽすぎ。俺、獣になりそう」
初めて会った時から感じていた。彼のなにげない表情や仕草から感じる色気――それが媚薬のように染み渡り意識も感覚さえも麻痺させる。肌を重ねるたびに立ちのぼるように濃くなるそれは、しびれるような快感を呼び起こしぶるりと身体が震えた。
「啓、キス」
「可愛い」
ゆるりと差し伸ばされた腕に応えるように彼の身体を抱き寄せると、俺は薄く開いた唇に口づける。柔らかなそれを堪能しながらも、腰を突き動かせば小さな喘ぎが口元からこぼれて耳に心地よく響く。
「あっ、啓……もう、イキたい」
「ん、ごめん。ちょっと調子に乗りすぎた」
快感をねだるように揺れる腰に口元を緩めながら、張りつめた彼の中心を握る。そしてゆるゆると輪にした指先で上下してあげれば、彼の口からもれる声は切羽詰ったように短くなった。
「あ、その声やばい。俺もイキそう」
「ひっ……ぅんっ」
漏れる声を塞ぐように口づけられるが、必死に快感を過ごそうとするその様があまりにも可愛くて、煽るようにぐりぐりと先端を指先でこね回してまった。するともう限界だったのか、勢いよく白濁が手の内からあふれた。
「将吾さん、大丈夫?」
くたりと力なく身体を預けてくる彼の顔を覗き見ると、まぶたは閉じられ小さな寝息が聞こえてきた。
「そういえば酔っ払ってたんだっけ」
あまりにも無防備な寝顔に思わず声を上げて笑ってしまった。起こさぬようゆっくりとベッドに身体を横たえると、頬にかかる前髪を指先ですくい上げた。
「好きだよ。これからはちゃんと見過ごさずに将吾さんを追いかけるから、覚悟してて」
囁きにも似た小さな声で言葉を紡ぐと、俺はそっと彼の額に口づけを落とした。
end