レンアイモヨウ02

 いま自分の中にある感情がなにか、それは自覚しているつもりだ。しかしその感情は、それほど珍しいものではない。
 いままでだって相手に好意を持っていたし、付き合っていればこれは当たり前の感情だろう。

 それでもいままでとは、どこか違うような気はしている。けれどそう思うのと同時に、あいつには一生言ってやらない、と言うひねくれた気持ちが湧いてくる。

 相手に好かれている、と言う状況はほかとなんら変わらないはずなのに、自分でもその感情はわけがわからない。

「春日野さん、おはようございます」

「ああ、おはよう。朝から元気だな」

 事務所に着くと、なにやら女子社員が固まって騒いでいた。話を聞けばそのうちの一人が誕生日らしい。
 そんなにめでたいものかと思ってしまうが、そういやあいつも大層喜んでいたな。

 しかしこちらは翌日散々で、恨み言しか出てこなかった。
 そんなことを考えていると、その元凶が後ろからやってくる。思わず睨み付けてしまい首を傾げられた。

「なんだよ。今日はご機嫌斜めか?」

「なんでもねぇよ」

「九条さん、おはようございます!」

「奈々ちゃん、ほら、プレゼント。おめでとうさん」

「わー! 毎年ありがとうございます!」

 上司である九条は、社員が十数人と少ないとは言え毎回毎回、忘れずにプレゼントを買ってくる。
 俺に対する態度と、この男に対する態度の違いは、こういうところから来るのだろう。性格に難があるのに、ちやほやされ放題だ。

 こちらは寄られても、面倒くさいと思うので別段羨ましくはない。けれど食事をねだられて、二つ返事で答える男の気持ちが知れないとは思う。
 俺とは違いどちらでもいい、と言う男ではなかったはずだ。

 けれどそんな性癖を、さして親しくもない相手にオープンにするほうがどうかしている。
 こうやって擬態をするのは、よくあることだ。脳天気な男のせいで、線引きが曖昧になるところだった。

「どうした?」

「……いや、毎度よくやるなと思っただけだ」

「大丈夫だぜ。誰も広海には期待してねぇよ」

 ニヤリと笑った九条に、周りに集まった女子たちはクスクスと笑う。そして気を使われたら雪でも降りそう、と言う声にみんな揃って同意してくれた。
 まあ、そんなの期待されても困る。

「お、おはようございます!」

 ますます賑やかになった、その場を横目にデスクに向かうと、しばらくしてまた後ろのほうから人の気配がする。視線を向けると見慣れた青年が駆け込んできた。
 息も絶え絶えといった様子の彼に、その場の全員が目を丸くする。

「冬司、大丈夫か?」

「す、すみません。だ……いじょうぶ、です」

 膝に手を突いて、肩で息する彼に九条が声をかけると、青い顔をしながら頷く。
 無理をしているのが一目瞭然だが、彼が自分で大丈夫と言った時は、こちらは深く干渉しないことになっている。

「あんまり時間は気にするな。お前はいつも早いくらいだしな」

「いや、でも、やっぱり遅れるわけにはいかないので」

 息を整えると彼は集まる心配そうな視線に小さく笑う。明るい髪色に少しばかりつり気味なきつい瞳。
 一見するとやんちゃな印象を与えるが、見た目の印象より細い身体の通り、彼はさほど丈夫ではない。

 ここに来た当初は、よく熱を出したり体調を崩したりで不安定だったが、最近はだいぶ仕事が身体に馴染んできた様子があった。だがそれ以前に時間ギリギリは初めてではないだろうか。

「穂村、熱でもあるのか? 顔が赤くなってきたぞ」

「あ、いや、たぶん走ってきたからそれでだと思います」

「具合が悪くなったら言えよ」

「はい、ありがとうございます」

 斜め向かいのデスクで一息ついた穂村は、こちらの視線に笑みを浮かべる。いつもは九条が言う通り、彼は誰よりも出勤が早い。
 事務は通常九時から十八時が就業時間なのに、八時くらいにはここへ来て掃除に勤しんでいる。

 自分の身体が弱いと言うマイナス点や、所長の親戚という縁で入ったことを気にしているのだろう。
 頑張りすぎても長くは続かないと思うのだが、もうすぐ一年になるのか。着られていたスーツも様になってくるはずだ。

「そうだ、穂村、この伝票。……おい、穂村」

「……えっ? すみません。なんですか?」

「先週出したやつとこれ入れ替えてくれ」

「は、はい!」

 今日はやはりちょっとおかしいかもしれない。仕事が始まったのにぼんやりしている。
 書類を持って傍まで行けば、積み上がったファイルをパタパタとめくる。けれどこれは体調が云々の前に、女子はこいつに仕事を振りすぎじゃないのか。

「それと、それと、それ、寄こせ」

「え、え?」

 確かに仕事は丁寧で速いけれど、数が違いすぎるだろう。机のみならず足元の棚までびっしりだ。
 舌打ちして数冊見繕って抜くと、それを暢気にお喋りしながら仕事をしているやつらのデスクに割り振った。

「えー、春日野さん!」

「なにがえーだ。穂村の机が山になってんのに、お前らのデスクは綺麗だな」

「……あー、穂村くんに任せたほうが早いし」

「職務怠慢だ」

「す、すみません」

 ついでに仕事をさらに上乗せしてやれば、悲鳴を上げながら彼女たちはパソコンに向かい始める。その様子を見ていた穂村は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「溜めてしまってすみません」

「あんたが悪いんじゃない。伝票あったか?」

「はい、これですよね」

「そう」

「今日の分とまとめておきますね」

「ああ、頼む。……ん、なんか落ちたぞ。なんだこれ、ゴミか?」

 少しばかり片付いた机の上で、ファイルを広げた彼の手元を覗くと、それとともに隙間からひらりと、糸くずのようなものが滑り落ちた。
 より糸を輪っかにして、結んであるそれを拾い上げれば、穂村は珍しく大きな声を上げる。

「ゴミじゃないです!」

 ぱっと指先から奪い取るように、それをさらっていった本人は、なぜか顔を先ほどより真っ赤に染めていた。
 その反応にどう対応するべきかわからず、こちらはまじまじと見つめ返してしまう。

 けれど糸の輪っかを、きゅっと大事そうに握る姿を見ると、揶揄するような場面はないのはわかる。とはいえその意味がわからないこちらは、首を傾げるしかできなかった。

「なに二人で見つめ合ってんだよ」

 しばらく言葉が見つからないまま顔を見合わせていたら、様子を窺いに来たのか九条が後ろから顔を出した。もたれかかるように背中にくっつかれて邪魔くさい。
 身をよじって肩に置かれた手をどけると、ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべられた。

「あ、えっと、なんでも、ないです」

「んー、なんでもない雰囲気じゃねぇけど。って、それ指輪? 恋人にプレゼントでもすんの?」

「指輪? これが?」

「広海やったことねぇの? 寝ているあいだにこっそり恋人のサイズ測ったり」

「ない」

「お、それ、ぴったりじゃねぇか?」

 指輪なんぞ買ってやった覚えもないのだから、あるわけがない。そう思って目を細めたら、ふいに九条は楽しげな声を上げて、穂村の手にある輪っかを摘まむ。
 そしてなにを考えているのか人の手を取った。

「13号ってところだな」

 より糸の輪っかが、するりと左手の薬指に収まる。それを見て満足げに笑う九条と、目を瞬かせて驚く穂村。
 こちらは若干ドン引きだ。その輪っかが指輪だというのはよくわかったが、見ただけでサイズを当てる男なんてろくでもない。

「穂村、こういう大人にだけはなるなよ」

「え?」

「なに言ってんだ。大人の男のたしなみだろ」

「あんたはどう見ても胡散臭い」

 黙っていれば精悍な男らしい顔立ちなので、周りの受けはいいが、いつもなにかを企むような雰囲気や態度があって、あまり信用ならない。
 俺に対してどうやってからかってやろうか、という考えをあからさまに感じる。

 けれどまあ、面倒見は悪くはないんだよな。

「誕生日かなにかか?」

「いえ、その、記念日が近いので、色々と考えていて、……すみません、仕事中に!」

「まあ、いいんじゃねぇの。そわそわしちゃうよな、そういうの」

「……でも、正直言うと贈るかどうかも悩んでいて」

「記念日なんだろ?」

「そうなんですけど、ちょっと最近あまりにもあの人を優先しすぎて、もっと自分の時間を大切にしなさいって怒られたばかりで。そんなことしたら、ますます機嫌を損ねてしまいそうな気もして、どうしたらいいか」

 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐたびに、穂村の口からはため息がこぼれて、こんな調子じゃ朝は遅刻しそうになるし、仕事に身も入らないわけだ。
 いまはまだ二十歳だし、まだまだ恋愛ごとに振り回される時期だな。

 俺はそれが面倒になって、片っ端から縁を切ったタイプだが、どう見たって穂村は実直だから、それはおろそかにはできないだろう。
 そういう青さは少しだけ、あいつと似ているような気がした。

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