幸せは不安を呼ぶ
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 普段は自分より華奢に見えるけれど、実際の彼はしっかりと筋肉がついていて、幸司の大きいばかりで薄っぺらい身体とは歴然の差だ。
 抱きしめられるとそれをよく感じる。男の人の腕、その中にいる、それを強く実感させられた。

 そして彼の匂いと体温を感じるだけで、幸せな気持ちになる。

「……ん」

 ふっと眠りから覚めて、幸司は隣にいる人を無意識に探した。しかしそこに彼はおらず、シーツが冷たい。それでも手を伸ばして探ると、頭を撫でられる。
 あやすみたいに優しく触れる大きな手。その感触にまた、まどろみの中に落ちそうになった。

 だがふいに嗅ぎ慣れない匂いを感じて、意識を浮上させる。独特な香り、それは煙草だ。
 いままで吸っているところなど、見たことがなかった。物珍しさに、重たいまぶたをこじ開ける。

「それはてっちゃんに任せる。俺は午後からあっちに行くから。……そのくらい、たまにはいいだろ」

 目を瞬かせて視線を声の先に向けると、バスローブ姿の真澄が、ベッドの縁に腰かけているのが見えた。
 聞こえてくる声はいつもよりも一段低い、男性の声音。こちらが本当の真澄なのだろうかと、幸司は聞き耳を立ててしまった。

 さらにはこの声で名前を呼ばれたら、そんなことを考えてぞくりとする。想像するだけで身体が甘く痺れて、これまで以上に胸の音が激しくなるのは、手に取るようにわかった。

「はいはい、じゃあな」

 話し声が途切れると、彼は手にしていたスマートフォンを、サイドボードに投げ置いた。その音に幸司は慌てて目を閉じる。
 しばらくすると、真澄がベッドに潜り込んできて、幸司の身体を抱き寄せた。

「はあ、癒やされる」

 すり寄るように、髪へ頬を寄せる彼。完全に起きるタイミングを失って、どうしようかと幸司は考えを巡らせた。そのあいだにも、恋人は自分をきつく抱きしめてくる。
 さらには、胸元から聞こえてくる緩やかな心音が、また眠気を誘う。

「可愛い」

 ウトウトとしたところで、顔を覗き込む気配を感じた。幸司の額や鼻先にキスをして、最後に唇をさらわれる。
 やんわりと触れる彼の唇。重なるたびに胸がドキドキとして、熱が灯る。

「起きないと食べちまうぞ」

 優しい口づけは次第に深くなっていく。身体を仰向けにされて、覆い被さるようにキスをされた。頬を撫でる手にゾクゾクとさせられる。

「んっ、ます、みさ、ん」

「起きた?」

「お、起きた」

「おはよう」

「おはようございます。……あれから、泊まっちゃったんだね」

「こうちゃん、完全に落ちたからね」

 頬から滑り落ちた手が、身体のラインを辿って、まだ自分が裸であることに気づく。それに頬を染めると、首筋に顔を埋められた。

「え、真澄さん?」

「可愛いこうちゃんで充電」

「えっと、充、電……」

 そろりと手を伸ばして、広い背中に腕を回す。ぎゅっとバスローブを握れば、首元をきつく吸われた。
 顔を離した彼は、にんまりと満足げに笑う。

「よし、これで今日も頑張れる」

「そっか」

「起きられる? お風呂、入ってきな」

「う、うん」

 両手を引いて起こされ、バスローブを手渡された。もそもそとそれを羽織ると、幸司はそろりとベッドを降りる。
 昨日の行為で少々腰がだるいが、我慢できないほどではない。

 ほっと息をついて、そそくさとバスルームへと足を向けた。
 広い浴室は、部屋に面した部分がクリアになっている。けれどベッドの位置からはさほど見えない。

 ただ大きな鏡があって、いささか落ち着かない気持ちになる。

「ちょっと、恥ずかしいよな」

 シャワーも目の前が鏡張りで、映る自分の姿に目が泳ぐ。
 首筋や胸元、脇腹や太もも――そこに散る赤い痕が、昨日の情事を思い出させる。

「なんか昨日は、すごく気持ち良かったな。久しぶりにしたからかな?」

 自分の乱れっぷりには恥ずかしさしか覚えないが、真澄に抱かれるのはたまらなく満たされる。
 ふと前回はいつだったろうかと、指折り数えてしまった。記憶が間違いでなければ、二週間ほど。
 もっと長く感じたけれど、そんなものかと驚く。

 回数を重ねるたびに、身体が真澄を求めて、足りない気分にさせられる。彼に出会うまで、経験がまったくなかった。
 自分でするのも滅多になく、あんなにも気持ちがいいことを、知ったのも初めてだ。

 この関係に溺れている自覚はある。
 手を離されたら、どうなってしまうだろうと、想像するだけでも怖い。真澄の気まぐれ、ではないことを信じたかった。

「執着、……が、愛情に変わったって、思っていいんだよな?」

 初めの頃の真澄は、おもちゃを見つけたという、遊びの感覚であったことは否めない。都合良くセックスができる関係。
 することが目的で、いつでも替えの効く、セフレよりも劣るような。

 それでも少しずつ変化はあった。
 最初は容赦なく縛り上げられていたけれど、回数を重ねるごとに、幸司が痛がったり嫌がったりすれば、無理を強いることがなくなった。

 情が移ったとでも言うべきなのか。

「こうちゃん?」

「……っ、あっ、なに?」

 ぼんやりとお湯を被っていると、突然声が聞こえ、肩が跳ね上がる。とっさに顔を持ち上げて、入り口に視線を向ければ、心配そうな顔があった。

「遅いから、寝てるのかと思った」

「だ、大丈夫!」

「洗ってあげようか?」

「へ、平気!」

「ふぅん、そっか。……残念。じゃあ、早く上がっておいで。モーニングを食べに行こう」

「うん」

 ふんわりと笑みを浮かべた彼を見ると、いま考えても、答えは見つからないと思えた。少なくともこの瞬間、この時間――真澄は自分のものだ。
 うじうじ考えるのは、もしもの時に考えればいい。気持ちを切り替えると、幸司は慌ただしくシャワーを済ませた。

「こうちゃん、フレンチトーストと和食はどっちがいい?」

「フレンチトースト!」

「こうちゃんはやっぱり甘いものが好きだね。前に食べたクリーム盛々の三段パンケーキも、ぺろっと食べたよね」

「うん、甘いもの食べると気持ちが満たされるんだよね」

「へぇ、そうなんだ。それならとっておきのところ行こう」

「やったっ」

 スマートフォンを手にした彼がにっこりと笑う。その笑顔に気持ちが簡単に浮き上がった。
 いつものように腕を取られて、歩き出した時には、先ほどの悩みなどどこかへ行ってしまっていた。

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