思い出の中の彼01
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 ベッドの上。けだるさの残る体で寝返りを打つと、すっと伸ばされた腕に抱き寄せられた。
 僕を腕に抱き込み、優しく微笑んでいるゆうは、何度も何度も薄茶色い僕の髪を撫でている。

さん、大丈夫?」

「うん。大丈夫ではあるんだけど」

「眠くなってきたんですね。ふふっ、可愛い」

「体力のなさは歳かなぁ」

 二人で一緒にベッドに入ったのは、日付が変わる頃だったか。
 いつもとさして変わらない時刻ではあったけれど、今夜は優哉のそういう気分な日だったらしく、誘われるままに身を任せた。

 とはいえ僕は明日も仕事があるので、彼は随分とセーブしてくれたように思う。
 優哉は二十代半ば。まだまだ若いのに、四十路に向かい始めた僕が相手で、満足できているのかと些か不安だ。

「なにを考えてるんですか?」

 急に押し黙った僕の額におでこをくっつけ、覗き込んでくる優哉はわずかに苦笑している。
 きっと僕の考えなどお見通しに違いない。

「優哉のこと」

「そう言えば俺がほだされるって、思ってるでしょう?」

「うん」

 わざと言葉にしなかった僕に対し、少しだけ優哉は眉を寄せた。
 だが怒っているというよりも、呆れているほうが正しい。開き直って返事をすれば、鼻先にキスをされた。

「俺は佐樹さんを抱きしめているだけでも幸せだよ」

「でも、やっぱりほら、さあ」

「そこまで俺は性欲強くないですよ?」

「忙しいから疲れてそれどころじゃない、が正解だと思うぞ」

 優哉の回遊魚のマグロみたいな性質、実は昔からあまり変わっていない。
 学生時代も学業とアルバイトで、ほぼ隙間時間のなかった彼。

 現在は自分のレストラン経営兼シェフをしており、休みは週一。
 隔週は連休にしているものの、休みでもなにかと忙しい日々を送っている。

 本当に止まったら息ができなくなるのでは、と疑いたくなるほどだ。
 若いうちはいいけれど、もう少し落ち着いたら営業、管理形態を見直してほしい、というのが僕の正直な意見。

「オープンして一年経っていないですからね。体制を整えるにしても、まだデータが足りないですし」

「新しく入ったバイトの子は続けて行けそうな感じか?」

「そうですね。覚えも早いし、バイト慣れしているから。続くといいですけど」

 オープン当初はオーナーシェフの優哉、サブとしてフォローするエリオ。
 ホールにあかりさん、という三人体制だったが、あかりさんの負担が大きいので最近、アルバイトを一人雇ったと聞いた。

「大学生の男の子だっけ」

「そうです。いまは夕方からメインに入ってるので、そのうち佐樹さんにも紹介します」

 長く続きそうなら紹介します、かな。
 そんなことを思いながら、僕は優哉の胸元にすり寄るみたいにくっついた。

「寝てもいいですよ?」

「うん、でも、もうちょっと。優哉と話がしたい」

「そう言いながらも声がゆったりしてますよ?」

「優哉の声が、いい声すぎるから、かな」

 イケメンは骨格からして整っているゆえ、声がいいのだろうか。
 低すぎず聞き取りやすい優しい声音。
 見た目も、性格も声も良いとは、橘家の遺伝子が素晴らしい。

「もっと歳を重ねたら、時雨しぐれさんみたいな渋みが出るのかな」

「……佐樹さん、俺と時雨を比べないでください」

「そういうつもりじゃないんだけどな」

 父親の弟、叔父である橘時雨は現在、優哉の保護責任者。
 戸籍上では義理の親子になっている。
 本当にあの人が実父と言っても、信じてしまいたくなるほど、優哉にそっくりな人だ。

 顔も声も、話し方も似ている。
 二人が出会ったのは優哉が十八歳の時で、互いに存在を知らなかったのに、不思議でならない。

 そんな彼のことを密かに敵視している優哉。
 おそらく小さなヤキモチだろう。
 だがあそこまで似ていると、優哉の未来を目の前で見ている気になって、少しだけドキドキしてしまうのは許してほしい。

「僕は優哉以外によそ見したりしないぞ」

 ご機嫌を取るように両手で優哉の頬を撫でて、そっと唇にキスを贈ると、不服そうな表情になった。
 なぜだろうと思いつつ、じっと見つめたら、体勢を変えた優哉にのし掛かられる。

「ゆ……っん」

 ベッドに背中を押しつけられ、名前を呼ぶ前に口を塞がれた。
 僕のした可愛いキスとはほど遠い口づけで、勢いに負けて抵抗をする間もない。

「い、いきなりどうしたんだよ」

 散々口の中を荒らされて、唾液が溢れた唇を拭い、僕は自分へ影を落とす優哉を見上げた。
 そこには子供みたいにふて腐れた顔がある。

 顔面が男前すぎて、幼いとは言い切れないが、拗ねた子供みたいなのは確かだ。
 ぼんやりと見つめ、学生時代から比べると優哉もかなり大人になったなぁ、なんて考えてしまった。

 当時も十代とは思えないほど、大人びていたけれど。
 まず顔も体も大人の骨格になったので、印象がやはり違う。
 顎や体のラインは華奢さもなく、男性らしい。

 首筋とか、腕まくりをしたときに見える筋もまた、なかなか色気があっていいのだ。
 ただ勘違いはしてほしくない。

 男性である優哉の体に、こうして適度な興奮を覚えるものの、ほかの人の体がいかに鍛えられ逞しくても僕はなんとも思わない。

 そのあたりが優哉の感覚と、少々噛み合っていない気がする。

「なんでぶすくれているんだよ。僕には優哉だけって、いつも言ってるだろ? なにがそんなに不満なんだ?」

「そうやって俺を子供扱いしないでください。飴でつったらなんでも納得するとか、思わないでください」

「そんなことは」

「あります。佐樹さんが気にしているのと同じくらい。俺だって気にしているんです。いつまでもあなたにとって俺は十五も年下の子供なんだって」

 なにげない僕の行動が、思った以上に優哉のプライドを傷つけていた。
 自分が老いていく感覚ばかりに気を取られていたと、気づかされる。

 優哉からしてみれば、まだ若い=まだ子供、と言われている気分になるのかもしれない。
 僕は決してそう思っていないし、可愛いなと思っても子供っぽいとは思わない。

 だとしても受け取る側は違う場合もあるのだ。

「優哉……」

「謝ってほしいわけではないので」

 口を開こうとすると、指先で押し止められた。
 いまは言い訳をしても仕方がない。
 じっとこちらを見る黒い瞳を見つめ返し、僕はただ黙って小さく頷く。

「佐樹さん、好きです」

「僕も好きだよ」

「一生追いつかないけど、見放されないように頑張ります」

「バカだな。僕が優哉を見放すわけないだろ」

 ぎゅうっと抱きついてきた優哉の背中をぽんぽんと叩く。
 ずっと大人と同じ歩幅で歩いているというのに、この不安症な部分もずっと変わらない。

 彼は僕へ片想いしていた期間がものすごく長いし、ジェットコースターのような出来事もあり、両想いになってから四年も離れた。
 時間は途方もなく流れているのに、一緒にいられるようになってようやく一年になる程度。

 不安な部分がなくならないのも致し方ないのだろう。
 それでも生き急いでほしくないと言いたい。

「優哉、ゆっくり歩いていこう。僕たちはこれからなんだから」

「……はい」

「もう一回、する?」

「朝、起きるの辛くなりますよ?」

「じゃあ、辛くならない範囲で」

「ご注文、承りました」

 至極真面目な声で返してくるものだから、思わず吹き出してしまった。
 僕の笑みを見た優哉も嬉しそうに目を細めて、今度はゆっくりと優しいキスをくれる。

 優哉のキスは愛おしい、愛おしいと口先から伝わる。
 さらさらの黒髪に指を通して、僕はぐいと彼を引き寄せた。

 自分と同じ、爽やかなシャンプーの匂い。
 首筋に優哉が顔を埋めてくると、毛先が僕の頬をくすぐった。
 反射的に抱きつき、彼の髪に鼻先を埋めたら、僕とは違いやけに甘やかな香りに感じる。

 汗の臭いが少し混じっているのだ、と気づいた時にはもう――
 優哉の背中にしがみつくので精一杯になっていた。

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