陽が傾き、オレンジ色の陽射しが降り注ぐ室内で、ページを捲る音やシャープペンが紙の上を滑る微かな音が響く。
しかし目の前で教科書に視線を落としている二人へ視線を向けながら、僕は自分の後ろで感じる気配が気になって仕方がなかった。
「先生、これはあそこの棚で良いですか?」
「……っ! え、あぁ、うん」
突然耳元で聞こえた声に、情けないくらい身体が大きく跳ね上がった。その拍子に机の裏に勢いよく膝がぶつかる。
ガタンと音を立てた机に、目の前の二人も驚きをあらわに顔を上げた。
「西岡先生、大丈夫ですか?」
「先生、顔が赤いよ」
「ちょっと驚いただけだ」
訝しげな表情を浮かべる二人の言葉に変な汗が出た。
けれどその主原因である藤堂は、肩をすくめて笑うだけでちっとも悪びれた様子はない。
「いきなり声をかけたりしてすみません」
しかもじとりと睨むと、口先ばかりの謝罪が返ってきた。
「いや、こっちこそ一人で作業させて悪い」
とはいえ、準備室の半分以上を占めるびっしりと本が収められた背の高い本棚。そこにある蔵書を整理するのはかなり骨が折れる作業だ。
「大丈夫ですよ。俺のことは気にしなくても」
「……あぁ」
本棚の整理をしなくてはいけないのは本当で、そのうち時間を作ろうとは思っていたが、成り行きとはいえそれを藤堂に任せきりにしているのは正直気が引けた。
「でも、なんか先生の気持ちわかるなぁ」
「は?」
「うん、わかる気がする」
再び本棚の整理に戻った藤堂の後ろ姿を見ていると、急になぜか目の前の二人がため息混じりで大きく頷き、藤堂を視線で追った。
「なにがわかるんだ」
ほんのり頬を染める二人の表情に自然と眉間にしわが寄ってしまうが、それに二人が気づく様子はなく、いまだ藤堂の後ろ姿を見つめていた。
「あたしも王子にあの声で耳元に囁かれたいなぁ」
「藤堂先輩、格好いいもんね」
「あんたは西岡先生でしょ」
「ちょっと、なにを言ってるのよ馬鹿」
「は?」
肘で隣からつつかれた委員長は、突然肩を跳ね上げ顔を真っ赤に染めた。思いがけず出てきた自分の名前に、僕はただぽかんと口を開けてしまった。
「この子好きなんだって、西岡先生のこと」
「……そう、か」
委員長の態度から、なんとなくそんなことではないかと気づいていたが、こう面と向かって言われるとどう答えていいのかためらわれる。
「言わなくて良いのっ! こっそり見ていられれば良かったんだから」
「結婚するなら絶対に西岡先生みたいな人が良いって言ってたくせに」
「きゃーっ! さらに余計なこと言わないでっ」
「はあ、それは……なんと言うか、ありがとう?」
としか言いようがない。
そんなことよりも、いまは近くにいるであろう藤堂のことが気になって仕方がない。そわそわとした気持ちを抑えながらさり気なく藤堂の姿を探せば、僕の視線を察したかのように藤堂は振り返った。
「先生やっぱりモテますね」
しかしこちらの予想に反し、藤堂はさして気にした様子もなく至極にこやかに笑う。
「は?」
「先生が知らないだけで、結構モテてるんですよ。先生が好きだって言う女子は少なくない」
「そ、そんなわけないだろ。藤堂や峰岸じゃあるまいし」
いくらなんでもモテるなんてありえない。
「あるよ。この子のほかにも言う子は多いもん。王子とか会長は憧れるけど、西岡先生は優しいし、一緒にいたら幸せになれそうだよねぇって」
「……うん」
藤堂の言葉に畳みかけるような二人の話は、僕を脱力させるのに充分な威力だ。急に全身の力が抜けた気がする。
「あ、そう」
それにしても、二人はともかく藤堂にまでそんなことを言われるとは、ひどく落ち込む。自分が思っているほど気にされていないのか。
「みんなが想像しているほど、先生は優しくはないけどな」
学校にいる間は確かに生徒のことを一番気にかけているけれど、普段の僕は自分のことしか考えてない。他人のことに無頓着だし、気が利かないと言われたことだってある。
いまだって委員長の気持ちよりも、藤堂の気持ちが知りたくて仕方がない。
「優しくしようと思ってすることだけが、優しさと言うわけじゃないですよ」
「……それはそうだけどな」
いまはそんな遠回りな優しさよりも、目に見える藤堂の優しさが欲しいと思う自分は、だめな大人だとしみじみしてしまう。
「それよりも先生、少し良いですか?」
「ん? なんだ」
ふっと背後に感じた気配に俯いた顔を持ち上げれば、肩に置かれた藤堂の手がぎゅっとそれを強く掴む。触れられた肩が急に熱を帯びたような気がした。
急激に高鳴る心音と熱くなる頬は誤魔化しようがない。
「悪いけど、少しだけ先生を借りて良い?」
馬鹿みたいにいつまでも藤堂の顔を見ていたら、突然腕を引かれた。どうぞ――と言う二人の声より先に、僕の身体は藤堂の手によって棚の方へ追いやられていた。
「なんだ」
「いくつか俺じゃわからないのがあるので、確認してくれませんか」
背を押されて縦方向にいくつも並ぶ棚の隙間に押し込められる。戸惑いながらも奥へ進めば、突き当たりでさらに背中を強く押された。