一番奥まで来ると、そこは若干本棚に明かりを遮られて薄暗い。戸惑いながら藤堂を振り返るが、表情を見る前に腕を引かれてしまい、近くの棚に背中を押しつけられた。
「な、なに……」
思わず大きな声を出しかけるが、とっさに藤堂の手で口を塞がれてしまう。驚きながらも藤堂を見上げれば、ふっと目を細め優しく微笑まれた。
「この辺の本を確認してもらえますか」
いまだ僕の口を塞いだまま、少し大きな声で話す藤堂の意図がわからない。僕はじっと彼の目を見つめながら訝しげに首を傾げた。
「俺がなにも感じてないと思ってます?」
しばらく藤堂を見ていると、ふいに内緒話をするかのような声音で耳元へ囁かれる。優しいその声に思わず肩が跳ね上がった。
「……なに?」
「俺がなにも気にしてないと思っていますか」
「え?」
やけに真剣な面持ちで目を覗き込まれるけれど、話の流れが見えずよく理解出来なかった。
「佐樹さん、意味がわからないって顔に書いてます。どうしてわからないんですか」
呆れた顔でため息をついた藤堂の手が、力尽きたみたいに口元から離れていった。
「あ、悪い」
肩を落としてうな垂れるその姿が急に小さく見えて、僕はここが学校だということも忘れ、思わず藤堂の頭をいつものように撫でてしまった。
相変わらず藤堂は自分の言葉を最後までちゃんと口にしてくれない。いや、僕の理解力が足りな過ぎるだけか。
「頭悪くてごめん」
「佐樹さんは俺のものですよ」
「……」
ふいに顔を持ち上げた藤堂に目を瞬かせると、髪を撫でていた手をいきなり掴まれた。そしてそれは瞬く間に背後の棚へ縫い付けられてしまった。
「藤堂、待った」
一瞬なにが起きたかわからず目を見張ってしまったが、徐々に藤堂に触れられている手首や心臓の辺りが脈を打ち、やたらと痛くなってくる。
自分たちが恋人同士であるという前に、ここが学校であり、なおかつ数メートル先にはそれを知る由もない生徒がいる――その現実に、僕は軽いパニックに陥りそうだった。
「藤堂っ」
「しっ、あんまり大きな声を出すと変に思われますよ」
緊張のあまり喉に力が入り、上擦った声が思いのほか室内に響いた。しかしとっさに藤堂が口元を抑えてくれたおかげで、零れそうになった声はすべて吐き出す前にせき止められた。
「……だったら」
そんなに顔を近づけて話さないで欲しい。どうしてくれるんだこのポンコツな心臓。
「俺は佐樹さんが思ってる以上に嫉妬深いですから」
「嘘だ。さっきは全然余裕そうだったのに」
二人の話に便乗するくらい、藤堂はしれっとした顔をしていた。ちっともそんな素振りは見せなかった。
「もっと俺が慌てた方が良かった? 俺だって……言いたいですよ、佐樹さんは自分のものだって言いたいです」
「藤堂?」
珍しく余裕のない顔で僕を見る藤堂に、不謹慎にも胸の辺りがキュンとした。
本当は自分もわかっている。あんな状況で藤堂が彼女たちにおかしな反応をしたら、余計に話がややこしくなってしまう。この関係もバレてしまうかもしれない。だからさっき藤堂がした対応は正しいのだ。
「言っても良い? 貴方を誰にも渡したくないって」
「だめだ、言うな。僕はまだお前と離れたくない」
けれど僕もあの時、嫉妬をしていた。人目もはばからず彼を見つめることができる彼女たちが、正直言って疎ましかった。これは自分のものなのだと、本当は僕も言いたかったんだ。
「……佐樹さん」
「手、離せ。抱きしめたい」
僕の言葉にひどく安堵した表情を浮かべる、そんな藤堂が愛おしくて仕方がない。
そっと離れていった手を、ほんの少し名残惜しく思いながらも、僕は藤堂の背を強く抱きしめた。一瞬だけ大きく脈打った耳元の心音が、さらに藤堂への想いを募らせる。
「好きだ」
そう呟いて僕はぎゅっと指先に力を込めた。そしてまるでそれが合図であるかのように、藤堂の手が僕の両頬に触れ、胸元へ埋めた顔を持ち上げる。
一体、自分はなにをやっているのだろうと、ふいに理性が頭を過ぎる。けれどどうしても僕は藤堂を前にしてそれを保つことができない。
ゆっくりと近づく彼に、自然と瞼は閉じられた。
「……ぅ、ん、藤……堂」
触れ合う唇が優しくて、口内を弄る舌が熱くて溶けそうで、鼻から抜ける声を必死で抑えようとするたび息苦しくなってさらにすがってしまう。けれど強くすがりつくほどに、口づけは深くなっていった。
「佐樹さん、愛してるよ」
「……ん」
静かに離れていく目をじっと見つめて、優しい笑みと満ち足りた言葉をもらい、胸の重さはすっかり拭い去られた。
けれど――この場からどうやって現実に戻るのか。それがいま僕にとっての大きな問題だ。
「なんだか、僕は……だめな先生だよな」
藤堂のことになると周りが見えなくなる自分がいる。それではだめだとはわかっているけれどやっぱり僕は彼に弱い。
「……先生としては、ね。でも俺とこうしてる時は他のこと考えないでください」
「頼むからこれ以上、僕をだめな大人にしないでくれ」
そんな風に至極幸せそうな顔で笑われると、全部どうでもいい気がしてくる。いつでもこうして一緒にいられるわけじゃない。人の目ばかり気にしなければいけないことが多い。
だから――こんな瞬間は時間が止まってしまえば良いと、僕は思ってしまうのだ。
[陰日向/end]