駅前の通りから少し外れたコンビニ。近所の人たちしか使わないためか人入りは少なく、レジカウンターの内側に立つバイトたちはお喋りに勤しんでいる。
街灯だけがぼんやり光る薄暗い道からは、そんな姿がガラス越しに良く見えた。弥彦はふと駅前のスーパーに向けた足を止めて、踵を返し煌々とした光で辺りを照らすコンビニへ方向転換した。
「たまには、いっか」
食パンと牛乳。ただそれだけのために、あと五分も歩いてスーパーへ行くのが面倒くさくなったのだ。日々の節約からなるべくコンビニを使わないよう弥彦は気を使っていたが、今日は珍しくその意志が大きく揺らぐ。コンビニ前にたむろしている数人の高校生らしき少年たちの横を通り過ぎて自動ドアをくぐった。
「いらっしゃいませー」
やる気のあまり感じられない声がコンビニに足を踏み入れた弥彦を迎える。しかし店内に入った彼に気づいたのは店員たちだけではなく、目の前で鉢合わせた人物が驚きをあらわに目を瞬かせていた。
「あ、優哉、お疲れ」
「……あぁ」
目の前で立ち尽くしている優哉の姿にすぐさま気づいた弥彦は、いつもの調子で片手を上げてへらりと笑みを浮かべる。けれどそんな暢気な挨拶に、ほんの少し戸惑った顔で優哉は小さく頷いた。
「なにその幽霊にでも出くわしたような顔」
「いや、だってお前がコンビニに来るなんて思わないだろ」
「俺だってたまには来るよ」
幼馴染みのあんまりな返答に弥彦の細い目がさらに細められる。ムッと尖った彼の口先に、優哉は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「今日はお前だけ?」
「うん、貴穂は婆ちゃんちで、希一は部活」
ふいと視線を動かした優哉に、身軽な両手を軽く持ち上げ弥彦はにんまりとした笑みを浮かべる。
普段彼がコンビニに寄る時には、末弟の小さな貴穂や次男の希一が大抵一緒だ。珍しく一人で出歩く弥彦に優哉は小さく首を傾げた。
「お前は行かなかったのか婆さんち」
週末に弥彦は下の弟を連れてよく父方の祖母に会いに行くことがあった。しかしいまの口振りでは、彼はそこへ行っていないように感じられる。下の弟が弥彦にべったりなことを知っているだけに、その事実にほんの少し優哉は違和感を覚えた。
「今日は父さんに任せてあるんだ。貴穂と一緒に向こうでお泊まりだよ。だからたまに一人もいいかなぁと思って」
怪訝そうな表情を浮かべている幼馴染みに肩をすくめ、弥彦は小さく笑いながら目的のものを求めて歩を進める。その動きにつられるように、優哉もまたその後ろ姿を視線で追った。
「ああ、確かにお前はたまに羽を伸ばした方がいいかもな。毎日親父さんと弟の世話ばかりだし、自分の時間ないだろ」
「とは言っても、一人じゃ時間を持て余しちゃってさ。結局大掃除な一日になっちゃった」
食パンと牛乳を片手に振り返る弥彦は複雑そうな顔で笑う。
普段から家事や家族の世話に追われていると、いざという時に人間は余暇の過ごし方がわからなくなってしまう。どうやら弥彦もまたそれと同様だったようだ。
「そういえば今日は家に帰るの? いつも土曜日って西やんとこじゃなかった?」
毎週決まってこの曜日。優哉がバイト終わりにそのまま、自分たちの学校の先生であり、彼の恋人でもある人のところへ行っていることは弥彦もよく知っていた。そしてそのおかげか近頃はやたらと優哉の機嫌がいい。
はじめて彼の恋バナをもう一人の幼馴染みから聞いた時に至極納得してしまったほどだ。
「ん、ああ、今日明日は実家に行かないといけないらしい」
「ふーん」
ほんの一瞬、つまらなそうな表情を浮かべた優哉に弥彦は無意識に口元が緩んだ。けれどすぐに自分の口を引き結び、さり気なさを装い相槌を打つ。
「なんだよ。気持ち悪いな」
そんな弥彦に眉をひそめて首を傾げると、優哉は手に持っていたものをレジカウンターへと置いた。
「ちょっと待った!」
しかしバーコードを読もうと店員が商品を手にした途端に、伸びてきた手がそれを掴んだ。突然奪い取られた店員は目を丸くし、それを見た優哉は小さく舌打ちをする。
「最近また飲んでるの?」
ぼそりと弥彦に耳打ちされ、優哉ははぐらかすよう肩をすくめた。しかしその返答に小さく息を吐き出し、弥彦は手にしたビール缶をカウンターに戻す。
「西やんに告げ口するよ」
「……わかった。悪いけどそれ、戻しておいて」
眉間にしわを寄せる弥彦の顔を見て優哉はため息をつくと、財布を開きながらビール缶をカウンターの端へと寄せた。
そんな戻されたビール缶と訳ありそうな客を不思議そうな面持ちで見比べながら、店員は慌ただしく会計を済ませた。
「前に一回止めたよね。いつまた飲みだしたの」
お互いビニール袋を片手に提げながら足早にコンビニをあとにする。先を歩く優哉の背を追いかけて隣に並ぶと、弥彦は覗き込むよう身体を傾けた。そんな気配にふっと顔を歪めながら、優哉は肩をすくめて苦々しく笑う。
「たまにだ。そんなにしょっちゅうじゃない」
「西やんに会えない時? 最近はすっかり優哉の精神安定剤だよなぁ」
「悪いか」
なぜか感心したように目を瞬かせる弥彦。そんな反応を横目で見ていた優哉は、不満げに眉をひそめた。
「悪くないよ。西やんには感謝しないとだよね。刺々しくなることすごく減ったじゃない」
「……」
にこにこと笑う弥彦の顔を見上げた優哉の表情が、ほんの少し気まずそうなものに変わる。
いまでこそこうして何事もなかったように一緒にいる二人だが、数年ほど一緒にいるどころか口さえも利かなかった時期がある。その理由も言い訳も、優哉はいまも弥彦に対してまったくしていなかった。
「あー、今度もし今日みたいに時間空いたらうちに来なよ。希一も会いたがってたし、どうしても飲みたきゃ父さんのがあるし、ね」
けれど弥彦はいつも優哉になにも聞こうとしない。どんな時も、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて隣に立っている。
「……これからまだ暇か?」
「え? ああ、うん、暇。これからうち来る?」
ぼそりと遠慮がちに呟いた優哉の言葉に一瞬首を傾げかけた弥彦は、その首をとっさに縦に振り笑みを浮かべた。
コンビニから五分。集合住宅が建ち並ぶ一角に弥彦の家はある。丁度そこは一軒家と集合住宅地の境目で、真っ白な外壁とオレンジ色の屋根が昔から近所の人たちに目印にされていた。
そして通りを挟んで向かい側に弥彦と優哉のもう一人の幼馴染み、あずみの家があり、そこをさらに二分ほど歩けば優哉の家がある。三人は幼稚園の頃からの付き合いで、いまではすっかりみな兄弟のような感覚だ。
「ただいまーっ」
しんと静まり返った家の中にのんびりとした弥彦の声が響き渡る。普段は賑やかな三島家は、下の二人がいないだけで別の家のようにまったく物音がしない。
「いるとうるさいけど、いないとちょっと落ち着かないよね」
後ろで靴を脱ぐ優哉を振り返り、弥彦はほんの少し困ったように笑う。