第01話 救済の聖女
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 ラーズヘルム王国、第八代国王グレモント・メディダス・ラーズヘルム。
 もうすぐ在位十一年目を迎える彼の治世は乱れもなく平和そのもの。

 広い大地に女神が降り立って人が営みを始め、建国されてからずっと、大地は彼女の加護に護られている。
 王族や民が愚かさに身を染め、堕落しない限り未来の平和は約束されていた。

 だというのに国王グレモントと王弟アルフォンソは、女神の代理人である救済の聖女を求めている。
 聖女とは決して奇跡の代行者ではなく、女神から与えられた力でほんの少し、困難に立ち止まりかけた国の道先を手助けしてくれる存在だ。

 国に生まれ落ちてくれれば目に見えて恩恵を実感し、安心できる。
 とはいえ絶対に必要な役割でもない。

 女神や聖女の歴史を知ってから、リューウェイクは聖女など現れないほうが国になんの憂いもない、平和の証しになると思っていた。

 だが兄たちとは見解が異なり、今回裏を掻かれてしまった。
 森や街道を抜け、王都の裏路地を止まらず走れば、夕刻が近づいた頃に王城にたどり着く。

 伝令が届いた場所が、王都近郊であったのが幸いした。

 騎乗したまま正門をくぐり、城の後方――敷地の奥深くにある塔へ。
 通常は馬での乗り込みは許されない場所なのだが、驚きに振り向く警備兵たちなど気に留めず、リューウェイクは馬を走らせた。

「リュークさま! お待ちしていました! こちらです」

 塔へと続く石畳の先で落ち着きなく右往左往していた、年若い騎士服の男が蹄の音に気づいて大きく手を振り回す。
 傍へ行き、馬から飛び降りたリューウェイクに手綱を任された彼は、至極真剣な顔で頷いて見せる。

 侵入を阻むための兵が塔の入り口に複数、道を塞ぎ立っていた。だが押し退けるように扉を開いて、リューウェイクは最上階へ至る魔法陣に飛び乗る。

 ふわりとした浮遊感から数秒。
 大広間に繋がる前室にたどり着くと、慌ただしく両開きの扉を押し開けた。途端に石造りの空間に鼓膜を震わすほどの歓声が響き渡る。

「聖女さまだ!」

 正方形の部屋の最奥。
 数段高くなった、儀式の舞台に立つのは腰まで伸びた黒髪に、ぱっちりとした同色の瞳を持った女性。

 興奮の色が濃い場の雰囲気に驚き、目を白黒とさせている。
 周囲に視線をさ迷わせた彼女は、しばらくするとハッと我に返った様子で後ろを振り返り、すぐに強ばった表情を和らげた。

 そこで下段にいる彼らは、召喚陣の上に立つのが一人だけではないことに気づく。
 カツンと石床に反響する靴音。ゆっくりとした足取りで女性に並んだのは、黒ずくめな長身の男だった。

 人垣をかき分けて、最前列にたどり着いたリューウェイクは、無言で大広間を見回した、青年の暗赤色の瞳と目が合う。
 感情の読めない厳しい眼差しに気圧され、無意識に息を詰めてしまった。

 リューウェイクは男性が隣へ視線を動かした瞬間、肩の力が抜ける。
 兄たちが主導した異世界から聖女を招く儀式は、どうやら成功してしまったようだ。

 グレモントの治世が続いて十年。
 今後も聖女が生まれる兆しがないとわかった兄たちは、数ヶ月ほど前に、異世界から聖女としてふさわしい魂を喚び寄せる〝聖女召喚〟を行うと決めた。

 本来、女神の采配で国に生まれ落ちる聖女だが、数百年前、国が旗印を必要とした際、召喚術を創り上げたという。召喚術を用いて女神にうかがいを立て、聖女を喚び出してもらうのだ。

 今回なぜ喚び出された者が男女二人いるのかは謎だが、自分が間に合わなかった現状だけは嫌になるくらい理解ができる。
 苦いリューウェイクの心とは裏腹に、その時分、王城の真上に大きな二重の虹がかかった。

 王城をまたぐ虹は古くからある聖女誕生の知らせで、今回は召喚されし者が二人いるために二重なのだろう。
 遠くからも見える虹のおかげで、国の民たちはすぐさま新たな聖女の誕生だと喜び湧いた。

 

 儀式の広間は、召喚成功の興奮でなかなか騒ぎが収まらなかった。
 どうすべきかと考えていたが、リューウェイクの強行突破を聞き及んだ、国王補佐である王弟殿下の登場で収束した。

 アルフォンソ・メディダス・ラーズヘルム――彼は今年の初めに二十一歳になった、リューウェイクの十四歳年上の兄だ。
 騎士団の着古した遠征用の装束をまとう弟とは異なり、地位に見合った上質な身なりをしている。

 国王と同色の煌めく金髪を背に流していて、王家特有の紫色の瞳は隙のない狡猾さを感じさせた。

 兄弟は皆、王族だけあって目を見張るくらい顔立ちが整っている。
 しかし穏やかな雰囲気を持つリューウェイクと、神経質な印象の兄たちは些か系統が違う。

 大広間にいまだいる弟の姿に、アルフォンソはあからさまに眉をひそめたが、テキパキとその場で采配を振るう。
 聖女は女神を信仰し崇める神殿へ一度預けられ、今回の召喚について説明を受ける手筈が整えられた。

 一緒に召喚された青年は扱いあぐねたのだろう。
 都合が良いとばかりにリューウェイクが世話を任せられた。彼の情報を聞き出し行動を制限する、世話という名の監視役だ。

「彼はおそらく聖女に縁の深い方のようですから、待遇はこちらで判断させていただきます」

「役立つ話が聞けたら逐一報告をしなさい」

「兄上、あの方も聖女と同等の対応を、悪感情をもたれては役に立つもなにもないです」

 聖女の部屋を王族の居住スペース傍に配置する声が聞こえ、リューウェイクは控えめにアルフォンソの背中に言葉をかけた。
 だが案の定振り返らぬまま、彼は目の前にいる側近と向かい合っている。

 この様子では望む返答は得られないと諦めのため息をつき、リューウェイクは仕方なしに、今度は美しい異世界からの訪問者へ視線を向けた。

 漆黒の髪はラーズヘルム王国では非常に珍しく、希少さのため神秘的に見える。
 異世界から召喚される聖女は皆、黒色だったと記録が残っているので、きっと彼女らの固有色なのだろうとしみじみ納得した。

 しばしぼんやり二人のやり取りを眺めていたリューウェイクだったが、はたと大切なことに気づいた。
 彼らが使っている言語がまったくわからなかったのだ。

 聖女の使う言語は特殊だと把握していたけれど、言葉を翻訳してくれる装身具は一つしか準備していない可能性があった。

「あのー、リューなんとかさんってあなた?」

 慌ただしく近くにいた神官を捕まえて予備を頼んでいると、遠慮がちに袖を引かれる。
 その感触にリューウェイクが振り向けば、聖女に窺うような目で見上げられていた。

 問いかけられた言葉は国の共通語で、どうやら装身具は彼女の手に渡ったようだ。

「はい。私がリューウェイク・ロズレイ・ラーズヘルムです」

「ん? ロズレイ? さっきのキラキラした人と微妙に名前が違うのね。まあいいか。わたしは御堂桜花みどうおうかよ。こっちは兄で御堂雪兎ゆきと。あなたはお兄ちゃんの担当をしてくれるんだよね? もう一つこれ、ないのかな?」

 名乗ったリューウェイクに、桜花は訝しげな表情を浮かべつつ、腕輪を掲げた。
 王族のミドルネームは母親のファミリーネームを受け継ぐので、兄二人と母親が違うゆえなのだが、いま特別に説明をする必要もない。

 さらりと流した彼女の対応にならい、リューウェイクはなにも言わず、隣に立つ青年に視線を向けた。

「すみません。彼の分は早急に持ってきてもらえるよう頼んでいます。すぐに用意できますが、少しだけ不自由な思いをさせてしまうかと。ここか、滞在する部屋か。どちらで待つのがいいか聞いていただけないでしょうか」

 敬意を払うため胸元に手を当て会釈をすると、雪兎はじっとリューウェイクを見つめたのち、桜花へ通訳を頼むように目を向け言葉を待つ。

 しばらく会話を繰り返した二人は、次第にいたわるように肩を叩いたり、頭を撫でたりして励まし合った。
 桜花の言葉しかわからなかったが、兄妹仲はとても良いように見えた。

「兄は落ち着ける場所に移りたいので、あなたの案内についていくそうです」

「わかりました。滞在先にたどり着く前に頼んだ物は届くと思いますので、それまでよろしくお願いします。気になることがあればあとからお聞きください」

「はーい! 伝えておきます。じゃあ、兄をよろしくお願いしますね!」

 ある程度要項を伝え終わると、後ろで桜花を待っていた神官に連れられ、彼女は手を振りながら大広間を出て行く。
 そのあっけらかんとした様子に、リューウェイクは驚かされた。見ず知らずの世界へやって来たわりに肝が据わっている。

 兄が一緒である安心感を考慮しても、若い女性の反応にしてはあまりにさっぱりしすぎだ。

「……私たちも、行きましょうか」

 桜花を見送りひと息ついてから、リューウェイクは彼女が向かった先を指さして雪兎を促す。
 対し彼は小さく頷き、黙ってあとをついてくる。

 階下へ降りる魔法陣に並び立つと、途端に身長差を感じた。
 リューウェイクは思わず見上げたまま、一階のホールに着いてしまった。

 おそらく五、六センチ程度の差で、驚くほど背丈に違いがあるわけではないのに、やけに存在感がある。
 雪兎の体は大柄でなく、細身だがとても体つきがいいのが衣装の上からもよくわかった。

 普段から鍛錬に励む、リューウェイクに負けず劣らず、機敏に動けそうな体躯をしている。
 歳はいくつくらいなのか。

 落ち着き払った態度は一般的な平民の雰囲気はなく、特権階級の人間特有の畏怖を感じさせる。
 傲慢さは見受けられないけれど、気安く扱うのはためらわれた。歩く姿さえも堂に入っていて、感心すら覚える。

 会話がないのでつい観察する目で雪兎を見てしまい、視線が合うたびにリューウェイクは薄く笑って場を誤魔化した。

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