第02話 聖女の兄
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 緩く波打った、前髪の隙間から覗く暗赤色の瞳からは、警戒を感じるがまったく考えが読めない。
 言葉が伝えられないせいで余計に掴み所がなく感じる。

 王族が居住する宮殿へ向かい、リューウェイクと雪兎が歩いている途中、予想通り神殿の馬車がやって来た。
 さらには翻訳の装身具と共に乗り物も置いていってくれる。

 祈りの塔と呼ばれるあの場所から、宮まで徒歩で二十分ほどかかる。
 気を利かせ、予備の馬車を用意してくれた神殿側の対応から見ると、今後はアルフォンソより頼りになりそうだ。

 突然喚び寄せられたばかりの雪兎に、不手際でいらぬ労力を使わせずに済み、安堵のあまりリューウェイクは胸を撫で下ろしてしまった。

「ユキトさま、こちらの部屋をお使いください。オウカさまの部屋とも比較的近いはずです」

 王城は周囲を高い城壁に囲まれており、その内側には様々な建物が建っている。
 官僚の屋敷や騎士たちの宿舎、研究棟や神殿など。中でも豪奢で立派なのは左右にある宮殿だ。

 東の宮殿は王族の住まいで、現在は両陛下や二人の王子と末の王女が暮らしていた。
 反対側の西の離宮は他国の客などが泊まれるようできていて、本来はそちらの離宮に二人を案内する。

 だというのに桜花だけ、王族と同等の部屋を用意する。
 そんなアルフォンソの考えに、リューウェイクは大きなため息をつきたくなった。

(もし兄上にすべて任せていたら、ユキトさまは西以外に案内されていたのではないだろうか。もはや完全に彼を召喚に巻き込まれた目的外の人間と見なしているな)

「ここでは部屋に常時、人がいるものなのか?」

 雪兎へ案内した客室は――東の宮殿で客人に用意できる部屋の中でも――最上級の部屋だ。
 日当たりも良く、十二分に広いくつろげるメインルームと寝室、浴室などの水場がある。

 扉を開いた先にはメイドが二人と侍従が一人、かしこまったまま壁際に立っていた。
 彼らを目に留めた雪兎は、眉を寄せて不満をあらわにする。

「他人がいる空間が落ち着かないようでしたら、必要な際にのみ呼び出していただく形で問題ありません。また不要になりましたら遠慮なく下がらせて構いません」

 おそらく三人はアルフォンソの息がかかった者たちだろうが、客人に気持ち良く過ごしてもらうのが優先だ。
 戸惑いの表情を浮かべた彼らを見なかったことにして、リューウェイクはあっさりと雪兎の要望を受け入れる。

「とりあえずいまは、滞在中に着ていただく衣装を揃えたいので、採寸だけは許可いただけますか? そのあいだにこの世界や今回の件について、話を聞いていただけたら嬉しいです」

「身の回りの人間は必要最低限で頼む。余計な行動をするつもりはないが、君がいるときは色々と教えてもらえるんだろう?」

「出来る限り要望に応えられるようにします。ただ私は日中、騎士団へ出入りしているので、すぐ対応できない場合もあります。どうかご承知おきください」

 リューウェイクが三人を手振りで下がらせれば、入れ違いで針子たちがやってくる。
 彼女らは雪兎が着ていたジャケットを恭しく受け取り、体の採寸を始めた。

 真っ白なシャツにうっすらと浮かび上がる体躯は、予想していたより筋肉質だ。
 手足が長く、こちらの世界で見目良いとされる貴族たちに、まったく引けをとらない。

 顔は鼻筋が綺麗に整っていて、クセのある柔らかそうな黒髪や、薄い唇に色気がある。
 そして謎めいた光を宿す切れ長な瞳が、やはり印象的だった。

「君は人を観察する癖があるのか? ……まあいいが、騎士団とはどんなものなんだ?」

 わずかに片眉を上げた、雪兎のもの言いたげな表情に恥ずかしさを覚え、リューウェイクは頬が熱くなった。

 照れくさくなり、目を伏せると小さく笑われたような気がする。
 いたたまれない空気を変えるべく、わざと咳払いでうやむやにした。

「失礼しました。私が所属するのは第三騎士団。主に外敵を相手にしています。国境沿いで起こる、他国との小競り合いの対応。増えた魔物を季節ごとに討伐もします。魔物討伐は王国騎士団で唯一、戦闘の際に魔法が使える第三騎士団メインの仕事です」

「魔物に魔法、か。創作物の世界だな」

「昨今は魔物と言っても伝説のドラゴン、などという存在はおらず、野生動物より少しばかり厄介な生き物程度なので心配はいりません。魔力が濁ることにより時折、狂暴化をする場合もありますが、そういった魔物を第三が討伐します」

「異形の生き物が闊歩している感じではないんだな。魔力が濁るとは?」

「この国は女神フィレンティアの加護に護られています。しかし生き物たちの負の感情が高まる、もしくは多く集まる場所では魔力が乱れ、精神異常を来すのです。酷くなった状態を魔力の濁りと称しています」

「ふぅん、ほかの騎士団はなにをしているんだ?」

「騎士団は現在四つありまして。第一が王族や賓客の護衛、第二は要人の護衛と城内警備。第四は第三と似た立ち位置ですが、王都警備だけでなく、各地の戦力要請の対応で分所での活動などが主となります。そしてそれらとは異なる形で国王陛下専任の近衛騎士隊があります」

「第三が一番、危険と隣り合わせじゃないか? 君は確か王族、とかいうのじゃ」

「そうですね。第三が一番危険が多いですが、猛者揃いで実力主義です。私は十五に入団して六年ほどになります。兄たちと違って役割を持たないので、せめて国を守る騎士になろうと」

 近衛、第一、第二はほぼ貴族子息しかいない。
 中には平民が上り詰め、騎士爵などを賜る栄誉があっても、生まれの格差はなかなか厳しい。

 比べて第三と第四は人格と強さがすべてだ。
 リューウェイクは騎士になろうと決めた時、魔法を活かせる第三の一択だった。

 平民に交じり入団テストを行い、例外なく見習いから始めたので、周りからは騎士になりたければ総督の地位でももらえと言われた。
 そんな言葉に頷けなかったのは、王族なのだからという理由で、分不相応な立場を与えられたくなかった。

 遊び半分ではない、というリューウェイクなりの意地だ。

「君は信念があるんだな。素晴らしいと思う」

「ユキトさま、リューウェイクとお呼びください」

「んー、その名前は若干、長いかな」

 賞賛のような言葉に返す答えが見つけられず、リューウェイクは強引に話の流れを変える。
 だが別な方向へ持っていったところで、すぱっと言い返されてしまった。

 まさか名前の長さに苦情が出るとは思わず、リューウェイクは眉間に力を入れて、しばし顎に手を置きながら考え込んだ。

「長い、ですか。私は普段、騎士団の仲間にはリュークと呼ばれています。あとは昔、リュイと呼ばれていたことも」

「へぇ、じゃあ、リュイと呼ばせてもらおうかな。俺には〝さま〟なんてつけなくていい。雪兎でもユキでも、もっと気楽に接してくれ。少々肩が凝りそうだ」

「では、ユキ……さんで」

 ほかの者が言ったなら、図々しいと周りがうるさくなりそうな要求なのだが、不思議と彼が言うと至極当然のように感じる。
 常識や認識が異なるのだろう世界から来た人、という理由以外に、望みを伝えられると叶えねば、と変な使命感が湧く。

 リューウェイクの兄たちも、似たような空気を醸し出しているけれど、彼らとは些か違う鷹揚に構える懐深さが窺えた。

(兄上たちよりも年若く見えるが、なぜかこの人のほうが全体的に余裕を感じさせるな)

 決してあの人たちが幼稚なわけではない――
 心で言い訳しつつも、リューウェイクは雪兎の引力のあるオーラに尊敬の念を抱いた。

「リュイはいまいくつだ?」

「今年二十一になりました」

「そうか。ならリュイは妹の、桜花の一つ上だ。俺たちの世界じゃその年齢は自立を始めても、学生だったり遊びたい盛りだったり。俺としてもいまのところ七歳下は庇護対象の子供、に思える。せめて二人でいるときは力を抜いてほしい」

「子供」

「ここではきっと子供って年齢じゃないんだろうけど。こちらは見ていると心配になる」

 ラーズヘルムの成人は十八歳とされているものの、十五、六には大人に交じって仕事を始める場合が多い。
 王族ともなれば幼少期より厳しい教育が施される。

 ただリューウェイクは親兄弟から放任されていたため、自分から行動を起こさなければなにも与えられなかった。
 おかげでどこまでが子供でどこからが大人なのか、線引きがよくわかっていない。

「しっかりしていそうに見えるけど、どうやらリュイは色々とこじれていそうだな。これからしばらくは世話になるだろうから、お互いについてもっと知っていこうか」

 戸惑いの表情を浮かべたリューウェイクに、針子たちから解放された雪兎は、好奇心を隠さない愉悦の笑みを浮かべた。
 初めて警戒以外の感情を見せた、煌めく暗赤色の瞳はやけに輝いて見える。

 年上の彼に子供のような無邪気さを見せられて、戸惑いは驚きに、そしてこれから良好な関係を築けそうな期待に変わった。

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