第03話 女神の祝福
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 今回の聖女召喚は、喚ばれた者に大きな役割がない旨を雪兎に説明し、帰還については早急に方法を確立させるつもりである、と伝えた。

 建国から五百年以上経つが、異世界から聖女が召喚された例は、記録を見る限り両手で数え余るほど。

 彼女たちが元の世界へ帰った記録はなく、ほとんどが王家や高位貴族へ輿入れしている。
 理由は生まれ育った場所に対する、執着の希薄さだったとされていた。

 だが一人だけ故郷へ戻りたがった聖女がおり、伴侶となった王族が帰還の術の研究をした、と書き記された書物がある。
 リューウェイクが兄たちの計画を人づてに聞いた時、城の禁書庫で聖女に関する書を読み漁って見つけた。

 ほぼ完成に近い状態であったが、どうしても成功率が上がらず、伴侶が存命中に完成とならなかったらしい。

「喚び出される対象が元の世界に未練が少ないにしても、嫁にするからと喚ばれたり、権威の象徴とか旗印の役割にされたりというのも微妙な話だな」

 あらかた用事の済んだ客室をあとにし、リューウェイクと雪兎は静けさ漂う宮殿の廊下を歩いている。

 宮殿内の案内ついでに、主要の部屋についてリューウェイクが説明をしていた。
 視線をあちこちへ向けながらも、雪兎はしっかりと話に耳を傾けているようだ。

 彼にとっては異世界。
 やはり見るものすべてが珍しいのか、涼やかだった雪兎の瞳は好奇心に満ちあふれている。

 黙って立っているとやたらと威厳を感じたのに、彼は冷静そうな見た目とは裏腹な、突発的な行動力を持ち合わせている。
 気になる場所は、ためらいなく扉を開けて中を覗くのだ。

 宮殿内にあるサロンやダンスホール、遊戯室など娯楽には微塵も興味を持たないが、図書室や研究室、庭園には食いついた。
 王都にある、国一番の蔵書を誇る図書館は、目の色が変わったほどだ。

 反応から文官寄りかと思えば、騎士団の鍛錬場にもぜひ行きたいと言う。
 体を動かすのは好きだ、とのことだ。

 男性らしい精悍さと、美しさを兼ね備えた横顔をちらりと見ながら、リューウェイクは雪兎の馴染み具合に感心する。

 雪兎へ大まかな話をしたあと、リューウェイクは室内設備の取り扱いやメイドたちの呼び出し方を伝授した。
 そのあいだの時間で、針子たちが既製服の手直しをしてくれた。

 立て襟のついた、腰が隠れるほどの長さがあるロングジャケットと、すっきりとしたラインのベスト。
 派手な装いは好まないらしく、彼が選んだ衣装は差し色の少ない濃紺色。

 装飾の宝石は小さなボタンやカフスのみで、袖や裾に施された銀糸の刺繍が唯一華やかだ。
 顔立ちは異国風であるのに、着替えた雪兎はすっかり貴公子然としている。

 黒色の機能性重視の騎士服に、使い込んだ革のブーツをまとう自分より、よほど男らしく魅力的に思えた。
 わずかばかり複雑になったリューウェイクだが、騎士服は己の誇りでもある。

 近衛隊や第一騎士団のような華やかさはない。
 それでも剣を腰に佩き、なにものにも染まらない黒色のコートを翻す、第三騎士団の姿は民たちにも人気だ。

「今日は城下での夕食で本当に良いのですか?」

「ああ、桜花もそのほうが喜ぶ。なんだかこちらの食事は煌びやかそうだろう?」

「基準はわからないですけど、オウカさまが一緒なら豪華になりそう、です」

 扱いの違いをあからさまにしたくないものの、この先、目に見えて周囲の対応で実感するはずだ。
 若干言葉に詰まった、リューウェイクを横目で見た雪兎は、嫌な顔はせずにわかっていると言いたげに肩をすくめた。

「招かれたのが二人だったことに意味はある、そう私は思うのですが。……すみません。兄にもの言えるほどの権限がないので」

「衣食住が最低限整っていれば、なんの問題もない。気に病む必要はないから、飯のうまい店に案内してくれたら十分だ」

 申し訳なさで俯きがちになったリューウェイクの頭に、ぽんと大きな手が乗る。
 慣れない感触に顔を上げてみれば、小さな子供を見守るような眼差しで見られていた。

 普段は王族、副団長として大人に交じり、毅然とした態度を貫いていたのに、ひどく調子を狂わされる。
 それと共に新しい対人関係を築くのが、久しかったのだと気づかされた。

 リューウェイクにとって異世界からの訪問者は、停滞していた空気を押し流す新たな風になりそうだ。

「そろそろオウカさまも一段落していると思います。神殿へ迎えに行きましょうか」

「歩いて行ける距離?」

「さほど離れていません。城壁内の敷地にあるので、宮殿を出て十分ほどかと」

「宮殿の玄関からさっきの部屋の移動だけでも、十分以上は歩いたけどな」

 面倒くさい、という感情を隠さず顔をしかめた雪兎に、リューウェイクは思わず笑い声を上げかけ、ぎゅっと閉じた唇が歪んだ。

 気楽に、と言われたけれど、公人は常にわきまえるべきである。
 騎士団に入りたての頃、珍しくちくりと兄王のグレモントに小言をもらった。

 だというのに、とっさに表情を改めようとした仕草は、しっかり見られたらしい。雪兎に呆れの感情を含んだため息をつかれる。

「なんというか、リュイは生きにくそうだな」

「……自分ではよく、わからないです」

「手始めに敬語、やめてみるか」

「えっ! 無理です」

 予想外の提案を受け、リューウェイクは考えるより先に拒否を示した。
 そんな反応に一瞬、動きを止めた雪兎は目を丸くしたすぐあと、ふっと息を吐くように笑う。

「随分と返事が早いな。でもぜひ堅苦しく感じる話し方はやめてくれ。年下が年上を敬うときの敬語というのがあるけど、リュイのはガチガチに日常会話からしてそれなんだろう? 俺と桜花には敬語禁止だ。どうせならもっとにこやかに対応してほしいくらいだ」

「できないです! いままで目上の方に、そのような真似をしたことないですから」

「はい、もう減点だ」

 指先でからかうように額を小突き、雪兎は驚きと動揺で早口になるリューウェイクを、含みのある意地悪そうな笑みで見下ろす。
 なにを減点されるのかもわからぬまま慌てふためけば、しまいに廊下を足早に進んでいった彼に、置いていかれてしまった。

 廊下を走ってはいけません――幼い頃からの言いつけが頭をかすめる。
 しかしリューウェイクの心に、この状況で彼に置き去りにされてはならない、という余裕のない焦りが湧いてきた。

 周りを気にしつつも、小走りにならない程度に足を速め、玄関ホールでようやくリューウェイクは雪兎に追いついた。

 

 その後、道すがら雪兎にからかわれつつも、二人は神殿へたどり着く。
 だが桜花はまだ説明を受けているようで、しばらく応接室に留め置かれることに。

 時間もあるので、せっかくならと雪兎の願いを汲み、二人で女神像が祀られている祈りの間へ足を運んだ。

 城下町や地方にある教会とは異なり、本来祈りの間へ入れるのは神官と王族のみ。
 だが雪兎は聖女とほぼ同じ立場なので、すんなり案内された。

 壁や柱に美しい彫刻が施された厳かな空間。汚れのない純白の壁が温かなランプの光に照らされている。

 祈りを捧げる祭壇の奥。
 首を反らさねばならないほどの、大きな女神像が鎮座しており、柔らかく微笑んだ石像がいまにも語り出しそうだ。

 部屋に入ると雪兎は黙って祭壇の前まで歩いて行き、後ろ姿を見つめるリューウェイクは閉めた扉の前で待機する。

 祭壇真上には天窓があって、そこは唯一の採光。朝日や月明かりが射し込むと、壁面が鮮やかに染められて大層美しい。
 いまは夕刻、日が沈み始めているため、夕焼けの色がわずかに白い壁を染めている。

 女神像と相まって幻想的な光景。静かに雪兎の様子を窺っていたリューウェイクだったが、思わぬ奇跡に目を瞬かせた。
 天井から降り注ぐ、キラキラとした光の粒子が、彼を取り巻いているように見える。

 まるで天から祝福を受けているみたいだと、リューウェイクの口から熱のこもった感嘆の息がこぼれ出た。

(やはり彼も、意味があって女神さまに選ばれたに違いない)

 たとえ現象が偶然だったとしても、誰がなんと言おうとそうである、と納得できる光景だ。

 女神は今回の召喚をどう思っているのか、リューウェイクは問いかけたい衝動に駆られる。
 神託は大神官にしか下りないのだから、到底無理であると承知の上ではあったが。

「ゆー兄、お待たせ!」

「えっ?」

 心が安らぐような空間に浸っていたリューウェイクは、前触れもなく背後の扉が押し開かれ、冷や汗を掻く。
 気配を察し、間一髪で避けたため背中や後頭部の難は逃れた。

 それでも前方の確認を怠り、飛び込んできた桜花との衝突は免れなかった。

「わっ、ごめーん! あー、えーっと。リュー、リュー、なんだっけ?」

 背後から勢いよく肩にぶつかった桜花はリューウェイクに気づき、ぱっと後ろに下がると両手を合わせる。
 頭を下げ被害者の名前を呼びかけようとするが、覚えきれなかったのか、いつまで経っても正解する兆しがない。

「オウカさま、リューウェイクです。……お好きに呼んでください」

「長いから助かる! だったらリューくんで! わたしは〝さま〟なんていらないから桜花って呼んでよ」

 兄妹揃って似た反応で、当たり障りなく笑みを返すつもりが、リューウェイクの顔に苦笑いが浮かぶ。
 古い記憶を掘り返しても、身近にこれほど遠慮なく接してくれる人はいなかった。

 彼女と歳が近いことを思い出し、友人というものは普通であればこんな距離感なのかと、胸の奥が疼くような心地にもなる。

「また減点だな」

 ぽかぽかと温まるような心地に気をとられていたら、急に背後から肩に手を回され、驚きでリューウェイクの体がかすかに跳ねた。

 すぐさまパッと横を向けば、まっすぐに見つめてくる雪兎が片頬を上げて笑っている。

「減点ってなんですか! というより敬語禁止なんて無理ですよ! 喋り方がわからない」

「そうかそうか。じゃあ、学びは大切だな」

「えー、なに? リューくんはゆー兄に減点されて、なんのお仕置きされるの?」

「えぇっ? 仕置き? こんなの理不尽です!」

 なぜ話し方一つで仕置きされなければいけないのか。
 困惑を極めたリューウェイクを見て企みの笑みを浮かべた兄妹が、無言で意思の疎通を図り頷き合った。

 この様子では彼らの滞在中、いいように振り回されるだろうと、いまから己の苦労が忍ばれる。

 きゅっと唇を噛んでリューウェイクが眉尻を下げれば、ますます二人の笑みは深まり楽しそうに目を細めた。

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