第04話 城下町散策
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 異世界の兄妹は想像以上に自由な人たちだ。
 まさか本当に桜花まで城下へ行くと言い出すとは思わなかった。

 街の雰囲気に彼らを馴染ませる、簡素なローブですら用意できなかったことが悔やまれた。
 黒髪が目立つだけでなく、美男美女で見目が良すぎるせいで、地味な色を着ているはずなのに人目を引く。

 周りの視線を気にせず、仲良く腕を絡め歩いている二人に気づかれぬよう、リューウェイクは小さく息をついた。

 護衛のつもりで後ろに控えているが、対象者に落ち着きがないとこんなにも大変なのかと、リューウェイクは初めて知った。
 貴賓や要人の護衛にあたる機会が多い、第一と第二の苦労を心でねぎらってしまった。

(第三は肉体的な負担が大きいけど、神経を削られる精神的負担も、うん。きついな)

「ねぇ! リューくん、あれなに屋さん?」

 長い黒髪を三つ編みにして背に垂らした桜花は、渋みのある濃いグリーンのワンピースに、同系色のケープをまとっている。
 襟や裾にレースのあしらわれた女性らしいデザインだが、膝丈で揺れるスカートと、ロングブーツの組み合わせは快活そうに見えた。

 それに加え、好奇心旺盛な面が遺憾なく発揮されている。
 右へ左へ、興味を惹かれた途端に、どんどんとその場所へ向かって進んでいく。

「すごーい! なんだか映画の撮影セットの中を歩いてるみたい。屋根がカラフルで、石造りな建物って素敵! リアルファンタジーな街並みが可愛い!」

 カメラが欲しい、スマホが欲しいと謎な要望を口にしながら、桜花は跳ね上がるような足取りでとても楽しげだ。
 言っている内容は、リューウェイクにはほとんど理解できないけれど、城下町がお気に召したのはわかる。

「リュイ、なんでそんなに後ろにいるんだ? こっちへ来い」

「え、あっ」

 周囲を警戒しながら歩いていたはずなのに、いきなり腕を引っ張られてリューウェイクは反射的にビクつく。
 護衛対象に捕まえられる状況は想定をしていなかった。

 戸惑い、視線をさ迷わせるリューウェイクの腕を捕まえた雪兎は、なおも自身の傍へ引き寄せる。
 最終的に兄妹の真ん中に引っ張り込まれ、ひどく落ち着かない。

 どうにかリューウェイクは後退しようとするけれど、雪兎は許してくれそうになかった。

「あの、私は二人の護衛を務めるので、気にしないでください」

「ここは護衛が必須なほど治安が悪いのか?」

「そうでは……そうじゃないけど、二人は国賓なので」

 改まった話し方に片眉を動かした雪兎を見て、リューウェイクはとっさに口ごもりながら言い換える。

 子供みたいな言葉遣いは少し背中がムズムズして気恥ずかしい。
 向けられる視線から逃れ、リューウェイクはざわめく胸の内を隠して目を伏せた。

「というかリューくんのほうが、身の回りに気をつけないといけない立場なんじゃないの? 王様の弟なんだよね?」

「私は……えーと、僕はこれでも第三騎士団の副団長の地位を戴いているので、護衛する立場に回ることが多くて、護衛のお願いはよほどの状況でなければほとんどしないんだ。それに近いうちに臣籍降下、王族から抜けるから」

「いやいやいや、リューくん。そこはおかしいって気づこう? ここでは王族じゃなくても偉い貴族って基本護衛をつけるものじゃないの? 強いからいらないは違うよね?」

「でも僕は」

「ああーっ! ゆー兄! これは俗に言う不憫系健気主人公だよ! 駄目だよ、幸せにしてあげたい系だよっ」

 隣で頭を抱え、突然大声を上げた桜花のせいで、またしてもビクッとリューウェイクの体が反応する。

 反射的に後ろへ身を引けば、トンと背中に雪兎の腕が当たり、慌てて前へ戻ろうとするが、肩に手を置き引き止められた。

「妹のテンションの上がり下がりが激しいのはいつもだ。慣れてくれ」

「そ、そうなんだ」

 意味のわからない単語や言葉を喋る桜花の様子に、リューウェイクは呆気にとられる。
 それでも苦笑いを浮かべながらも、優しい目をする雪兎を見たら、くすぐったいような寂しいような気持ちになった。

 わずかな時間しか一緒にいないのに、彼らの仲の良さと互いの信頼は疑うところがない。

「お互いをよく知ってる関係って、いいですね」

「そうだな。リュイには必要な関係だと思う。もっと周りに踏み込んでみては?」

 ぽつりと消え入るような声で呟いた、リューウェイクを見つめる雪兎の目は、気遣いと憂いの色を滲ませていた。
 聡いのだろう彼は、広間で見せてしまった冷めた兄弟関係から、言葉に含まれた意味を察している。

 二人の関係を己の置かれた環境と比べてしまった、心の奥底にある本音までも。

「僕には家族は存在しないけど。これでも信頼できる仲間は多いんですよ」

「……そうか。家族もいいが、仲間も大切なものだ」

「はい」

 父親と母親に見放された子供。
 兄姉から家族として見なされない子供。

 この国に住む者たちのあいだでは、リューウェイクが王家の一員としてまともに扱われていない現状が、疑問を持たずに当たり前とされている。

 他国から来た者は訝しく感じても、自国の問題ではないので口を挟むことがなく、環境は一向に変わらない。
 本音を言えば、リューウェイクは仲間だけではなく、家族も欲しかった。

 これまでずっと年の離れた兄たちの邪魔にならぬよう、少しでも役立てるよう努めてきた。
 しかしいくらリューウェイクが頑張ろうとも、年々溝は埋まらないどころか、深まるばかりだ。

 長らく自分を認めてもらえないため、いまさら声高に自身の存在を訴える真似が、リューウェイクにはどうしてもできない。

(二人が帰ってしまったら、余計に違和感に雁字搦めになりそうだな)

 優しく心をいたわってくれるのは素直に嬉しい。
 ただそれ以上に一人残されたあとを考えると、柔らかい部分にもう踏み込んでほしくないとも思う。

 弱さに気づきたくないリューウェイクの脆く、愚かな仮面にヒビが入りかけた。

 

 城下の散策を十二分にしてから、今夜の夕食を求めて三人は大衆食堂へ移動する。

 飾らない場所でとにかくうまい食事を、と訊ねれば九割の確率で勧められる王都民馴染みの店だ。
 第三や第四の団員もよく利用している。

 うまくて安いと来たら大食漢の多い騎士団には持ってこい。打ち上げなどでは定番だった。

 雰囲気は粗野な面も多少あるけれど、気のいい女将と亭主が切り盛りしていて揉めごとは滅多にない。
 とはいえ普段は賑やかで家庭的な店も、聖女が国に現れたお祭り騒ぎは避けようがないのだと気づく。

 王都全体、どの道もいつもより人通りが多く、やたらと活気がある印象ではあった。
 だとしてもここまでとは、さすがにリューウェイクも予想していなかったのだ。

「わぁ、すごいみんな盛り上がってるね」

 店の扉を開いた途端に感じる喧騒。人々のざわめきに、完全なる他人事な口ぶりで桜花がはしゃいでいる。
 食事処は夕刻を過ぎると酒類の扱いも始まるため、数あるテーブルのあちこちで乾杯の声が上がっている。

 聖女召喚の成功――国民の喜びようがひと目でわかった。
 召喚反対を訴え続けていた後ろめたさで、リューウェイクの胸がちくちく痛む。

 救いは喚ばれた二人が、まったく意に介さない態度でいてくれるところだ。
 それでも期待と熱気を感じると、自分の考えが間違っていたのかと心が揺らぐ。

(いや、騒ぎはおそらく一過性。非日常が日常に変われば、いつしか収まるはずだ)

「あらぁ、リューウェイク殿下じゃないですか。こっちのテーブルが空いてますよ」

 大賑わいな様子に入り口で気後れして立ち止まっていると、客を上手に捌いていた女将が気づいて手招いてくれた。
 勧めてくれたテーブルは店の隅でさほど広くないが、この三人ならば十分事足りるであろう席だ。

「殿下がお客様を連れているなんて珍しいですね」

「色々と事情があるんだ。申し訳ないが詮索無しでお願いしたい」

「もちろんですよ。美人なお二人もゆっくりしていってくださいな」

 気のいい女将は、なんとなく気づいているそぶりがあったものの、少しふっくらした頬を綻ばせやんわりと笑った。
 普段からリューウェイクも団員たちとよく訪れるので、気心が知れているから安心ができる。

 定番メニューの品書きを置き、今日のおすすめを口頭で伝えた彼女は、忙しそうに接客へ戻っていった。

「ゆー兄、このメニューが読めるよ!」

 テーブルのメニューを見て驚く桜花は、隣の雪兎の袖をぐいぐい引いていた。彼女たちが身につけている装身具は言語すべての翻訳がされる。
 ゆえに耳だけでなく、目に映る情報も二人の世界の言葉で認識されるのだ。

 ちなみに国の民は魔力を持っているため、装身具の効果を自動で受け取ることが可能。

「ねえ、リューくん、ここに書いてあるおすすめのステーキってなに肉?」

「ああ、それは魔物肉。春先は繁殖で増えるから、王都近隣でも魔物の肉が市場に入ってくるんだ。でも二人はこちらの人間じゃないから、食べても平気だろうか」

「普通の動物と魔物の肉はどう違うんだ?」

 メニューにかぶりついている桜花の横から、手元を覗き込んでいた雪兎の目が、キラキラと光り輝いた。
 うずうずと期待のこもった、気持ちを隠さない暗赤色の瞳に、リューウェイクの唇が無意識に緩む。

 活発的な印象の妹と落ち着いた冷静な兄だが、根っこにある好奇心の強さが本当にそっくりだ。
 年上の男性に失礼だとは思いつつ、なんて可愛らしい人だろうと笑いを噛みしめる。

「味はさほど変わりないけど、種類によっては普通の肉よりおいしい。狂暴化が進んだ魔物は、体内の魔力が濁って食すには向かないけど。その辺にゴロゴロしているタイプは、ちょっとした魔力を宿してるだけで、食べても問題ないんだ。国民は大なり小なり体内に魔力があるので耐性があるし」

「へぇ、すごいファンタジーな設定だな。俺たちは元の世界では魔力とかないんだが、ないと食べられない? 腹を壊すとか?」

「んー、オウカさんはおそらく魔力があるので、ユキさんもたぶん。手を借りても?」

 聖女は異世界から渡ってくる際に女神の加護を授かるため、大体が浄化や癒やしの聖魔法持ちだ。
 条件が同じ雪兎も、なにかしら加護を授かった可能性がある。

 向かい合わせに座る彼の手をそっと取ると、リューウェイクは両手で触れて体内の魔力を探してみた。

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