序章~建国祭の空に落ちる雷
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 ウォンオール帝国は魔法大国、神獣ドラゴンの国として近隣国に有名だ。
 いまの時代、ドラゴンを実際に見た者はいないが、王国が帝国へ名を変えた時、ドラゴンの加護を授かったと伝承が残っている。

 証拠に帝国の皇位継承は、ドラゴンの土地を護るのにふさわしい人物を、継承の儀式を行い選び出すのだ。
 選ばれた者は膨大な魔力を授かり、証しとして緋色の鱗を持つドラゴンと、同じ色をまとう。

 緋色の髪と瞳。それがウォンオール帝国皇帝の証しだった。

 このとおり皇位継承は必ずしも血族継承ではなく、魔力が豊富で健康、健全なる精神の持ち主が選ばれる。
 しかしユーリル・エルバルト・ウォンオールは、最後の一つしか当てはまらない不運の皇帝。

 次々と候補者が亡くなり、もう誰もいないと気づいた国の中枢は、継承候補から外されていた帝国の第三皇子、ユーリルを指名した。
 だがユーリルは平均よりもずっと魔力は多いものの、体が虚弱でほぼベッドでの生活を余儀なくされている病人だ。

 まさか本当に選ばれ、皇帝になるなど誰も想像をしていなかった。
 それは本人も同様である。

 その場しのぎのはずだったのに儀式が成功し、自身の髪や瞳の色が変わった瞬間、ユーリルは絶望さえ覚えた。

 帝位についても、できるのはせいぜい書類仕事。表舞台の公務は自ら行えない。結局、叔父のミハエル・エルバルト・フィズネス公爵に言われるがまま、政治を行うしかなかった。

 伴侶もまた彼の指示に従い迎え、皇帝になったユーリルは半ば、人生の諦めを感じていたのだった。

「陛下、建国祭おめでとうございます」

「ああ」

 先日、二十五歳の誕生日を迎えたユーリルはいま、建国記念の祭典に出席する準備を行っていた。
 もう自分の顔など、国民は覚えていないのではと思うものの、名ばかりでも出席しないわけにはいかない。

「衣装はきつくございませんか?」

「大丈夫だ、ありがとう。だがせっかくの衣装もきっと、大して披露目ができないな」

 憂いのため息をつくユーリルの横顔は美しい。体が弱いため痩せ衰えているが、陰りのある顔立ちに色気を感じ、侍女や侍従たちはほうと感嘆の息を吐く。

 しかしユーリルの伏しがちな長いまつげが瞬き、揺れると、彼らは一瞬にして緊張した様子を漂わせた。

 皇帝の部屋に悠々と入ってきたのは、宰相である叔父のミハエル。彼のほうこそ皇帝にふさわしいのではと思えるほど、綺麗な赤紫色の瞳と髪をしている。
 髪や瞳、爪など、緋色に近ければ近いほど魔力が潤沢である証しなのだ。

 加えて体も丈夫、身体能力に優れ、頭も良い。彼を見るたび、ユーリルはなぜ自分などがと思わずにいられなかった。
 ミハエルは前皇帝の弟であるが十歳以上、歳が離れまだ四十歳にも満たない若さだ。

 ドラゴンはなにを想い、考えてユーリルを選んだのか、疑問に思える。

 そしてミハエルのあとからユーリルの妃である、ガブリエラが着飾ってやって来た。
 美丈夫なミハエルにエスコートされてきたガブリエラは、一体誰の妻なのだと疑問が湧くほどご機嫌だ。

 とはいえミハエルにべったりと寄り添う姿は、随分と見慣れた光景であった。

「そうして皇帝のマントを羽織って、着飾った姿は兄上のようだね」

「……本当にそうであったら良かったのですが」

 にこやかな笑みを浮かべて近くまでやって来たミハエルは、祭典用の衣装に着替えたユーリルの、頭の天辺から爪先まで視線を動かした。

 不躾な視線に皇帝付きの従者たちは、わずかに眉をひそめたけれど、ミハエルにもの申せる者はここにいない。実質、国を動かしているのは彼なのだ。

「もう少し義姉上に似たら、華やかで美しかっただろうに、もったいないな」

 なにかあるごとに母のエリーサを話題に持ち出してくるミハエルは、帝国の妖精と言われた彼女の信者なのだろう。
 魔力が多いほど若さが保たれる、国の特色がはっきりと出ていた人だった。

 しかし皇太子であった長兄、前皇帝である夫が亡くなると、あとを追うように体を弱らせ亡くなった。もう五年ほど前の話だ。
 それから騎士であった次兄、他国に嫁いでいた長女まで亡くなった。

 次々とエルバルト家の人間が亡くなり、他の家門の皇帝候補を当たれば、すべて不審死を遂げていた。もはや人為的と言わざるを得ない。

「ユーリル、祭典の前に三人で乾杯をしないか?」

「叔父上、自分は酒があまり」

「せっかくですもの、一杯くらい良いではありませんか」

 ミハエルの言葉を助長し、ガブリエラは後ろに控えていた侍女の籠から、果実酒のボトルを持ち上げた。
 ニコニコと笑みを浮かべて近づいてくる彼女は普段、機嫌の悪そうな表情ばかりだったので、美しい顔だが気味悪く思える。

 ユーリルとガブリエラは名目上夫婦だけれど、月に数度、決められた日に閨をともにする程度の間柄。婚約、結婚と四年経ったが、まともに会話した記憶がないほどだ。
 強引な二人はあっという間に三つのグラスに酒を注ぐ。

 一口でも口をつければ満足するだろうと、ユーリルはしぶしぶ、差し出されたグラスを手に取る。香り高い果実酒で、おそらく女性が好む甘めの味だろう。

 ただこういったものは甘い代わりに度数が高い。ますますユーリルは嫌々と言った様子になる。体が弱いので、酒精にめっぽう弱いのだ。

「では建国記念日を祝って、乾杯」

「乾杯」

「…………」

 三者三様、グラスを掲げる。ミハエルとガブリエラはすぐに口をつけるが、ユーリルはのろのろとグラスを口に運んだ。

 鼻先に上ってくる甘い匂いに酒精が混じっていて、それだけで酔いそうになる。やけになりぐいと一口、ユーリルは酒を喉に流し込んだ。

「……っ、叔父、上」

 口に入れた瞬間、カッと喉が熱くなり、焼けただれたように感じる。これは酒が強すぎるのではない。毒だ――とすぐさまユーリルは気づく。

  儀式でドラゴンの魔力を分け与えられてから、ちょっとやそっとの毒では死ねない体になった。ただこれは許容量を上回るのだろう。

 毒が回るとユーリルは指先を動かせないほどになり、グラスが手から滑り落ちた。
 その様子で事態に気づいたのか、周囲は悲鳴と混乱が膨れ上がっていく。

「すごいな。猛毒を致死量、飲んでも麻痺程度とは。緋色の魔力は本当に素晴らしいものだ。ユーリル、君のような欠陥品にはもったいないほどに」

 グラスが転がり、絨毯に赤いシミが広がっていった。果実酒の赤色を踏みつけながら、ミハエルは膝をついたユーリルを上から覗き見てくる。

(そういえば叔父上は昔、儀式ではじかれたと――)

 ミハエルにとって、ドラゴンの魔力は欲しくてたまらなかった力、だったわけだ。
 候補者がすべていなくなり、ならば自分が次こそと思ったのに、選ばれたのは言葉どおり欠陥品のユーリル。彼にとって〝いま〟は待ちに待った瞬間だろう。

 彫刻の如く整ったミハエルの顔に、ほの暗さを感じる美しさが浮かんでいた。

(ああ、僕から家族を奪ったのは、この人だったのか――なぜ気づかなかったんだろう)

「ガビー、私のためだ。できるよね?」

 隣で顔を青くしているガブリエラに、ミハエルは懐から取り出した短剣を手渡す。震えた手で受け取ると、彼女はまっすぐにミハエルの顔を見た。

「ミハエルさま。やり遂げたら、わたくしを妃に」

「もちろん、約束は守るよ」

 目の前で交わされる言葉に、どうせやるならひと思いにとユーリルは思ってしまった。
 死ねなくとも、体の内側は毒で蝕まれ、全身は麻痺してもう床に転がるしかできない。

 感覚がなく痛みを感じなくても息苦しい。このままの状態でいるのは逆に辛いばかりだ。

「でも、できるかしら、わたくしに」

「はあ、いざというときに役に立たないね、君は」

 いつまでも短剣を握りしめているガブリエラの顔色は蒼白。蝶よ花よとかしずかれる生活をしてきた彼女に、おそらく覚悟などなかったはずだ。

 呆れたミハエルが自身で短剣の刀身を引き抜くと、彼女はハッとする。しかし立ち尽くして一歩も動こうとはしなかった。

「さよならだよ、僕の可愛い甥っ子」

「思っても、いないことを……っ」

 ミカエルの長い足で体を仰向けに倒され、ユーリルは無抵抗に、振り下ろされた刃を心臓で受ける。さすがに深々と短剣で一突きをされれば、命の音が徐々に弱っていく。

「――約束を、守れなかった、な」

 言葉を紡ぐたびに、ユーリルの口の端から鮮血がこぼれ落ちる。

 死の間際、思い出されたのは〝あなたの築く国の未来をともに見届けたい〟という、一つの約束だった。なにも望むものが手に入らなかったユーリルがただ一つ、手に入れた希望。

(彼にひと目だけでも、会いたかった)

「ユーリっ!」

 自身を呼ぶ声と激しい雷鳴が響き渡る中、ユーリルの脈動がついに失われた。

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