今日は朝から晴れ間が広がりお出かけ日和。動物園は家族連れで賑わっていて、お目当てのサンドイッチはあとわずかだった。新発売の動物のイラストが入ったペットボトルも購入して、先に園内を歩いている希と淳を追いかける。
どこへ行ってもゆっくりなので、二人はすぐに見つけることができた。けれど雅之は彼らには近づかず、黙って近くのベンチに腰を下ろした。
一ヶ所で大体五分から十分。気が済むまで見たい希に付き合うとそのくらいかかる。それに加えて、彼はお気に入りの淳しか目に入っていない。出かけるといつも雅之はおやつと飲み物係だ。
けれどこの役割分担はわりとちょうど良かったりもする。雅之が相手だとすぐに次へ行こうとなってしまうので、希が満足しない。その点、淳は普段仕事でも子供と接し慣れているので忍耐強い。
どれだけ希の話が長くても最後まで聞いてくれる。同じ話を何回言っても、初めて聞いたみたいに反応を返してくれる。それは誰にでもできそうに思えるが、そう簡単ではない。
「このまま行くと将来が心配だな」
二人の様子を眺めながら、ふっとため息交じりに独り言がこぼれた。あの子たちの仲が良好なのは喜ばしいのだが、あまりにも希がべったりで、のちのことが気にかかる。
いまも繋いだ手は絶対に離さないし、目線に合わせて淳がしゃがむので、こそこそと内緒話をするように話していた。しまいには抱きついて頬にキスまでしてしまう。
そのうち息子に恋人を取られるのではないかとヒヤヒヤする。子供特有の独占欲のようなもの、そう思うけれど。いつか感情が育ったらと考えると、親としても一人の男としてもひどく悩ましい。
幼いながらも将来有望な顔をしているので、美少年に育つこと請け合いだ。いまでも保育園で女の子に人気があると聞いている。幼少の頃の気持ちが簡単に恋に発展するとは考えにくいけれど、淳の好みだってある。
若くて格好いい子と年を重ねたおじさんは比べるまでもない。しかしあちらは十七歳差、こちらは十一歳差。年の差では幾分こちらのほうが近い。だがやはり年を重ねたら、若い子が良くなったりするのだろうか。
そんな想像をして雅之はまたため息をこぼす。いまひどくくだらないことを考えているのはわかっていた。それでもいつまで彼が傍にいてくれるだろう、という考えがちらつく。
見栄えはいいほうだと周りからは言われるが、いつ髪が薄くなるとも、腹が出るともわからない。
「いやいや、そうならないように気をつけよう」
ふと顔を上げればいままで目線の先にいた二人が見当たらない。先に進んだことに気づいてあとを追いかける。すると道の先で立ち止まった希が振り返り、ぶんぶんと手を振ってきた。
「まさっ! はやく~」
「はいはい」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる息子の元へ行くと、伸ばされた小さな手に手の平をぎゅっと掴まれる。その手を優しく握り返してあげれば、ピカピカのご機嫌な顔で満足げに笑った。
「パンダさん可愛い~。赤ちゃんいるよぉ」
「うん、可愛いね」
「あっ」
ガラスの向こうを食い入るように見ている希の頭を撫でようとして、ふいに同じように手を伸ばした淳の手に重なる。それに驚いて彼は肩を跳ね上げたが、何食わぬ顔で雅之はその手をぎゅっと握りしめた。
するととっさに手を引こうと力が込められて、それでも離すまいと力を込めたら、今度は力ずくで握られた手を引き離そうとしてきた。ちらりと視線を向ければ、顔が真っ赤だ。
「ま、雅之さん」
「ん?」
「手、離してください」
「ごめんね。ちょっと触れたくなっちゃった」
「もう、意地悪です」
「あっ、まさっ! のぞも、のぞもぎゅってして」
さすがに可哀想になって手を離そうとすると、ふいに小さな手が伸びてくる。視線を落とせば、こちらを振り向いた希が両手を伸ばしていた。頭の上でジタバタされて気づいたのだろう
「のぞも、おててぎゅってして」
「はい、じゃあまさとあっくんの手をぎゅってして」
「うん」
再び二人の手を握った希はまたすぐにレッサーパンダに夢中になる。きゃあきゃあと騒ぐ声を聞きながら横目で淳を見つめたら、視線に気づいた彼は目線を遠くへ向けた。
少し悪戯が過ぎただろかと心配になったけれど、しばらくしてそろりそろりと戻ってきた淳の目がこちらを向く。そして小さく口先で「あとで」と呟いた。それに思わず口の端を上げてニヤニヤとしてしまい、慌てて雅之は平静さを繕う。
希のペースで園内を回ると、全部見終わる頃にはいつも閉園が近くなる。お昼休憩も挟んでいるが、やはり一ヶ所の滞在時間が長い。それでも今日は三人でいることが多かったので、一人ベンチで時間を潰す回数は少なかった。
だがその分だけ淳にちょっかいを出す回数が多かったようにも思う。そのたびにうろたえたり怒ったりする彼の反応が可愛くて、ますますやめられなくなったというのもある。
「希、ばあばの家に行くから、あっくんとバイバイしよう」
「やだっ! まだあっくんと遊ぶ」
「あっくんはもう帰るから」
「やぁだぁ」
たっぷり遊んだあとは実家に希を預けるのだが、今日は珍しくぐずる。遊び足りなかったのだろうかと思うけれど、握った手がぽかぽかとしているので、いつものパターンであればこのあとは疲れで寝てしまう。
これは昨晩、淳がいなくて甘えられなかったから、物足りなくなっているに違いない。
「んー、じゃあ、ばあばの家でバイバイしよう」
「えっ?」
「顔を合わせるくらい大丈夫だよ。淳くんのことはよく希も話しているし」
「そう、なんですか?」
「うん、なんだかいつもあっくんあっくんって言ってるらしくて誰? って前に聞かれたんだよね」
保育園に通い始めてから、希の口から淳の名前が出なかったことはないと聞いている。あっくんと遊んだとか、あっくんのご飯を食べたとか、そんな話もしているようなので、いつも家に来てくれているのも親には言ってあった。
「ここから電車ですぐなんだ。付き合ってもらってもいい?」
「はい」
「たぶんうちの母親に預けてしまえばなんとかなると思うんだ」
子供のあしらいはやはり向こうのほうが何枚も上手だ。少しくらいごねてもぐずってもわりとすぐに機嫌を取ってしまう。それは子育て歴の長さに比例する。
今日は特にどうにかして機嫌を取ってもらいたかった。普段であればごねたら家に連れ帰りもするのだが、昨日から溜まっている欲求不満を解消するために、いまばかりは早く二人きりになりたい。
大人の勝手な都合で申し訳ないと思うものの、まだまだ雅之も若い。恋人と過ごす時間が欲しくなる。けれどそんなことに気づいていない様子の淳は、希に手を引かれて無防備に可愛い笑顔を浮かべていた。
電車で三つ先の駅で降りて、のんびりな歩幅で十分歩く。そうすると雅之も長らく住んだ実家に到着する。手を伸ばす希を抱き上げて、インターフォンのチャイムを押させると、すぐにスピーカーから声が聞こえた。
「ばあば、のぞ!」
「はいはい、お待ちください」
そのまま扉の向こうまで聞こえてしまいそうな元気な声を上げる希に、笑い声が返ってきて、しばらくして玄関の扉が開く。門扉を開けてそちらへ向かうと、後ろに立つ淳に気づいたのか、顔を出した母親は首を傾げた。
その視線に淳は慌てた様子で深々と頭を下げる。
「初めまして、響木淳と言います」
「淳、さん。……あっ、あなたがあっくんね。初めまして祖母の綾子です。……雅之、今日はどうしたの?」
「希が淳くんとまだ一緒にいたいってごねて、ここまで付き合ってもらったんだ」
「あら、今日も一日、希に付き合ってもらったの? あんまり先生にご面倒をかけちゃ駄目じゃない」
「うん、これからご飯をご馳走してくるよ」
眉を顰めた綾子になんとも言えず雅之は苦笑いを浮かべた。その様子にため息が返ってくるけれど、ご機嫌な希に抱っこをせがまれてすぐに表情が和らいだ。そして今日の報告を始めた孫に相槌を打ってこちらに目配せをしてきた。
いまのうちに帰りなさいということだろう。
「じゃあ、明日迎えに来るから」
「はいはい、希、パパと先生にバイバイよ」
「……」
綾子の言葉に数秒前まで笑顔を浮かべていた希の顔が途端に曇る。むぅっと口を引き結んで駄々をこねる寸前の顔になった。けれどふいに横から手が伸びて、小さな頭を優しく撫でる。
「希くん、明日迎えに来るからね」
「あっくんお迎え来るの?」
「うん、パパと一緒に来るから、いい子にしててね」
「……うん、のぞ、いい子。あっくんバイバイ!」
明日の約束ができた瞬間に機嫌が戻った希はにこにこと手を振ってくる。その様子にほっとするけれど、内心複雑になるのは男心か。それでもようやく訪れた二人の時間に、雅之は大きく息をついた。