一歩前ヘススム04
7/11

 今日は朝から晴れ間が広がり、お出かけ日和。動物園は家族連れで賑わっていて、お目当てのサンドイッチは、あとわずかだった。
 新発売の動物のイラストが入った、ペットボトルも購入して、先に園内を歩いている希と淳を追いかける。

 どこへ行ってもゆっくりなので、二人はすぐに見つけることができた。けれど雅之は彼らには近づかず、黙って近くのベンチに腰を下ろした。

 一ヶ所で大体五分から十分。気が済むまで見たい希に付き合うと、そのくらいかかる。それに加えて、彼はお気に入りの淳しか目に入っていない。
 出かけるといつも、雅之はおやつと飲み物係だ。

 けれどこの役割分担は、わりとちょうど良かったりもする。雅之が相手だとすぐに次へ行こう、となってしまうので、希が満足しない。
 その点、淳は普段仕事でも子供と接し慣れているので、忍耐強い。

 どれだけ希の話が長くても、最後まで聞いてくれる。同じ話を何回言っても、初めて聞いたみたいに反応を返してくれる。それは誰にでもできそうに思えるが、そう簡単ではない。

「このまま行くと将来が心配だな」

 二人の様子を眺めながら、雅之の口からふっと、ため息交じりの独り言がこぼれた。
 あの子たちの仲が良好なのは喜ばしいのだが、あまりにも希がべったりで、のちのことが気にかかる。

 いまも繋いだ手は絶対に離さないし、目線に合わせて淳がしゃがむので、こそこそと内緒話をするように話していた。しまいには抱きついて、頬にキスまでしてしまう。

 そのうち息子に恋人を取られるのではないかと、ヒヤヒヤする。子供特有の独占欲のようなもの、そう思うけれど。
 いつか感情が育ったらと考えると、親としても一人の男としてもひどく悩ましい。

 幼いながらも将来有望な顔をしているので、美少年に育つこと請け合いだ。いまでも保育園で女の子に、人気があると聞いている。
 幼少の頃の気持ちが、簡単に恋に発展するとは考えにくいけれど、淳の好みだってある。

 若くて格好いい子と、年を重ねたおじさんは比べるまでもない。しかしあちらは十七歳差、こちらは十一歳差。
 年の差では幾分こちらのほうが近い。だがやはり年を重ねたら、若い子が良くなったりするのだろうか。

 そんな想像をして雅之はまたため息をこぼす。いまひどくくだらないことを考えているのは、わかっていた。それでもいつまで彼が傍にいてくれるだろう、という考えがちらつく。

 見目はいいほうだと周りからは言われるが、いつ髪が薄くなるとも、腹が出るともわからない。

「いやいや、そうならないように気をつけよう」

 ふと顔を上げれば、いままで目線の先にいた二人が見当たらない。先に進んだことに気づいて、雅之はあとを追いかける。
 すると道の先で立ち止まった希が振り返り、ぶんぶんと手を振ってきた。

「まさっ! はやく~」

「はいはい」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねる息子の元へ行くと、伸ばされた小さな手に手の平をぎゅっと掴まれる。その手を優しく握り返してあげれば、ピカピカのご機嫌な顔で満足げに笑った。

「パンダさん可愛い~。赤ちゃんいるよぉ」

「うん、可愛いね」

「あっ」

 ガラスの向こうを食い入るように見ている、希の頭を撫でようとして、ふいに同じように手を伸ばした淳の手に重なる。
 それに驚いて彼は肩を跳ね上げたが、何食わぬ顔で雅之はその手をぎゅっと握りしめた。

 するととっさに手を引こうと力が込められて、それでも離すまいと力を込めたら、今度は力ずくで握られた手を引き離そうとしてきた。
 ちらりと視線を向ければ、顔が真っ赤だ。

「ま、雅之さん」

「ん?」

「手、離してください」

「ごめんね。ちょっと触れたくなっちゃった」

「もう、意地悪です」

「あっ、まさっ! のぞも、のぞもぎゅってして」

 さすがに可哀想になって手を離そうとすると、ふいに小さな手が伸びてくる。視線を落とせば、こちらを振り向いた希が両手を伸ばしていた。
 頭の上でジタバタされて気づいたのだろう

「のぞも、おててぎゅってして」

「はい、じゃあまさとあっくんの手をぎゅってして」

「うん」

 再び二人の手を握った希は、またすぐにレッサーパンダに夢中になる。きゃあきゃあと騒ぐ声を聞きながら、横目で淳を見つめたら、視線に気づいた彼は目線を遠くへ向けた。

 少し悪戯が過ぎただろうかと心配になったけれど、しばらくして、そろりそろりと戻ってきた淳の目がこちらを向く。そして小さく口先で「あとで」と呟いた。
 それに思わず口の端を上げて、ニヤニヤとしてしまい、慌てて雅之は平静さを繕う。

 希のペースで園内を回ると、全部見終わる頃にはいつも閉園が近くなる。お昼休憩も挟んでいるが、やはり一ヶ所の滞在時間が長い。
 それでも今日は三人でいることが多かったので、雅之は一人ベンチで時間を潰す回数は少なかった。

 だがその分だけ、淳にちょっかいを出す回数が多かったようにも思う。そのたびにうろたえたり、怒ったりする彼の反応が可愛くて、ますますやめられなくなったというのもある。

「希、ばあばの家に行くから、あっくんとバイバイしよう」

「やだっ! まだあっくんと遊ぶ」

「あっくんはもう帰るから」

「やぁだぁ」

 たっぷり遊んだあとは実家に希を預けるのだが、今日は珍しくぐずる。
 遊び足りなかったのだろうかと思うけれど、握った手がぽかぽかとしているので、いつものパターンであれば、このあとは疲れで寝てしまう。

 これは昨晩、淳がいなくて甘えられなかったから、物足りなくなっているに違いない。

「んー、じゃあ、ばあばの家でバイバイしよう」

「えっ?」

「顔を合わせるくらい大丈夫だよ。淳くんのことはよく希も話しているし」

「そう、なんですか?」

「うん、なんだかいつもあっくんあっくんって言ってるらしくて。誰? って前に聞かれたんだよね」

 保育園に通い始めてから、希の口から淳の名前が出なかったことはない、と聞いている。
 あっくんと遊んだとか、あっくんのご飯を食べたとか。そんな話もしているようなので、いつも家に来てくれていることも、親には言ってあった。

「ここから電車ですぐなんだ。付き合ってもらってもいい?」

「はい」

「たぶんうちの母親に預けてしまえば、なんとかなると思うんだ」

 子供のあしらいは、やはり向こうのほうが何枚も上手だ。少しくらいごねてもぐずっても、わりとすぐに機嫌を取ってしまう。それは子育て歴の長さに比例する。
 今日は特にどうにかして、機嫌を取ってもらいたかった。

 普段であれば、ごねたら家に連れ帰りもするのだが、昨日から溜まっている欲求不満を解消するために、いまばかりは早く二人きりになりたい。

 大人の勝手な都合で申し訳ないと思うものの、まだまだ雅之も若い。恋人と過ごす時間が欲しくなる。
 けれどそんなことに気づいていない様子の淳は、希に手を引かれて無防備に可愛い笑顔を浮かべていた。

 電車で三つ先の駅で降りて、のんびりな歩幅で十分歩く。そうすると、雅之も長らく住んだ実家に到着する。
 手を伸ばす希を抱き上げて、インターフォンのチャイムを押させると、すぐにスピーカーから声が聞こえた。

「ばあば、のぞ!」

「はいはい、お待ちください」

 そのまま扉の向こうまで、聞こえてしまいそうな元気な声を上げる希に、笑い声が返ってきて、しばらくして玄関の扉が開く。

 門扉を開けてそちらへ向かうと、後ろに立つ淳に気づいたのか、顔を出した母親は首を傾げた。
 その視線に淳は慌てた様子で深々と頭を下げる。

「初めまして、響木淳と言います」

「淳、さん。……あっ、あなたがあっくんね。初めまして祖母の綾子です。……雅之、今日はどうしたの?」

「希が淳くんとまだ一緒にいたいってごねて、ここまで付き合ってもらったんだ」

「あら、今日も一日、希に付き合ってもらったの? あんまり先生にご面倒をかけちゃ駄目じゃない」

「うん、これからご飯をご馳走してくるよ」

 眉を顰めた綾子になんとも言えず、雅之は苦笑いを浮かべた。その様子にため息が返ってくるけれど、ご機嫌な希に抱っこをせがまれて、すぐに表情が和らいだ。

 そして今日の報告を始めた孫に相槌を打って、こちらに目配せをしてきた。
 いまのうちに帰りなさいということだろう。

「じゃあ、明日迎えに来るから」

「はいはい、希、パパと先生にバイバイよ」

「……」

 綾子の言葉に、数秒前まで笑顔を浮かべていた希の顔が、途端に曇る。むぅっと口を引き結んで、駄々をこねる寸前の顔になった。
 けれどふいに横から手が伸びて、小さな頭を優しく撫でる。

「希くん、明日迎えに来るからね」

「あっくんお迎え来るの?」

「うん、パパと一緒に来るから、いい子にしててね」

「……うん、のぞ、いい子。あっくんバイバイ!」

 明日の約束ができた瞬間に、機嫌が戻った希はにこにこと手を振ってくる。その様子にほっとするけれど、内心複雑になるのは男心か。
 それでもようやく訪れた二人の時間に、雅之は大きく息をついた。