君の熱

 昔から恋愛とかそういう甘ったるいものにはあまり興味がなくて、付き合ってみても長続きもしなくて、いつの間にやら周りに貼られたレッテルは――遊び人。
 耳に入る噂は、どうにも手当たり次第に食っては捨てていると、おかしなものばかりだ。でも自分は決して遊んでいるわけじゃない。ただ相手のことを好きになれないし、相性が合わないというだけだ。みんなそれでも良いと言うから付き合って見るだけ。

「先生の見た目が派手だから悪いんじゃない?」

「人間見た目じゃありません」

「人の印象は視覚からが九割くらいって言うよ」

「それは私が軽薄そうってことだと思うんだけど」

 すぐ横で椅子の背を抱えながら、人の顔をじっと覗き込んでいるのは――穂村冬司。
 綺麗な金髪とつり気味なキツい目が印象強い。着崩した制服と相まって、それこそ見た目は不良っぽい雰囲気。

「俺から見たら軽薄そうだとは思わないけど、先生の見た目なぁ。相変わらずオヤジたちに言われてるんじゃないの、髪切れとか染めろとか、シャツ派手とか」

「別に教壇立つわけじゃないんだから、君らが怪我だ風邪だなんて言わなきゃ、誰も来ないよこんなとこ」

「確かに、先生はサボリの仮病に厳しいしな」

 ふいと後ろを振り返った穂村の視線の先には、ほとんど使われることがない真っ白で清潔なベッドが二つ。そう、ここは誰もが良く知る保健室。そして自分はそこの管理責任者――所謂、保健の先生と言うわけだ。しかし見た目や服装が教育の場に相応しくないと、頭が固くて古い教師たちにチクチク文句を言われる日々。

「大体、これは地毛。それに切れと言われると絶対切りたくない」

 赤茶色の髪は生まれつき。肩甲骨辺りまで伸びた髪は後ろで結わえているが、確かにそろそろ邪魔くさい。でも負ける気がして切りたくないのだ。

「それにシャツだって、ちょっと色つき、柄ありなだけで文句言われてたまるか。白衣が無地なんだからそれくらい良いじゃないか」

「あはは、先生めっちゃ子供っぽい」

「うるさいっ」

 確かに穂村の言うように自分の言い分は極めて子供っぽいかもしれないが、この高校に勤め始めて三年――言われ続けると半ばこれは自棄だ。もう引っ込みがつかない。でも子供じみた自分を見て穂村はいつも笑っている。面白くもない愚痴にも頷き返して、どんな言葉もおざなりにしない。

「まぁ、似合ってるから許されるんだよな。髪もめっちゃ綺麗だし、サラサラ」

「相変わらず好きだね」

「ん、先生の髪好き」

 この学校に入って穂村は二年経ったが、入学してからずっと、毎日のようにここへやって来て、すぐ傍でこうして人の髪を触りながらふわふわ笑っている。
 以前なんで触るんだって聞いたら――「先生が好きだから」とそう至極真面目に言われた。でもピンと来ないというか、良くわからなくて「ふぅん」と曖昧に返したら、いまみたいに穂村はふわふわと笑った。そしていまは伝わらなくてもいいよ。あとでちゃんと伝わるはずだからって目を細めて微笑んだ。

「熱は測った?」

「ん」

「何度? 一応記入するから」

 保健室の利用者名簿には穂村の名前ばかりだ。名簿に落としていた視線をため息混じりに持ち上げ、曖昧に返事をする穂村を見れば、またふわりと笑う。

「いつもに増してふわふわしてると思ったら、だいぶ熱があるね」

「ははっ、バレた?」

 髪を触っている穂村の手を掴み、脈を取りつつ首元に手のひらを当てると、ひどく熱い。思った以上に熱が高いようだった。

「なんで寝ないかな」

「だってベッドで寝てたら先生の傍にいられないだろ」

「そんなことで?」

 ブツブツ文句を呟く穂村にため息で返し、台車よろしく彼の座っている椅子を押してベッド傍まで運ぶ。

「そんなことなんかじゃない。俺にとっては重要なことだ」

「またぶっ倒れても知らないから」

 僅かに抵抗を示す穂村をこちらに伸びて来た腕と一緒に布団へ押し込んで、口元まで掛け布団を被せた。

「俺、もしもの時は先生の傍がいい」

「……縁起でもないこと言うんじゃないよ」

 図太そうな見かけに寄らず、身体がひどく弱い穂村は絶対安静ではないが、本当は学校なんかに来ている場合じゃない。それでも一日半分だけ、勉強を名目に学校へ登校してくる。
 特別教室はいつも一人で、ほかの生徒と交わることがない。迂闊な行動で穂村の体調が崩れてしまうからだ。でも具合が悪くなって保健室に来る穂村はなんだか満足げな顔をする。

「もしもなんてこと私が見逃すと思うか」

「ううん、思わない。でもさ、先生の顔を見たら俺すげぇ元気になんの」

 ひどく嬉しそうな顔で笑う穂村を見ていると心が軽くなる気がする。いつの間にかその笑顔から目が離せなくなって、彼を見ていると不思議と安堵してしまう。

「気持ちが元気でも、身体が追いつかないことはあるんだよ。それで熱を出してたら意味ないじゃないか」

「それでも先生がいてくれるだけで俺は幸せなんだよ」

 ニコニコと無防備で言葉のままに幸せそうな顔で笑われると、強く言えなくなる。いままでこんな風に笑っていた人間は、自分の傍にいただろうか。

「おかしな奴」

「あはは、先生もね。そうだなぁ、でもきっと正攻法じゃ先生の頑固な人間不信と恋愛不感症は治んないだろうし、案外俺たちって相性がいいかもよ」

「はいはい」

 意味がわからないと適当な相槌を打って返したら、ふふっと小さく笑われた。なんだかこちらの心を覗き込まれているかのような気になる。でも嫌にはならない。穂村のことは嫌いにはなれない。それがなぜなのかと聞かれたら、その答えはまだわからないけれど。

「先生? なにしてんの」

「……見ればわかるだろ。仕事だよ仕事」

「ここで?」

 机上から適当な書類一式を取り上げ、ベッドの横にある小さなサイドテーブルにそれを広げた。怪訝な顔をする穂村は、それを呆気に取られながら見つめている。自分はその視線を受けながらも肩をすくめて先程までのようにペンを書面に走らせる。

「穂村がちゃんと寝ないんだから仕方ないだろ」

 ぽかんとした顔に諦めたようにため息をついたら、穂村は急に悶えるようにベッドの上でのた打つ。

「……先生、ヤバいすげぇ可愛い。あぁ、もどかしいなぁ。こんなじゃなかったら絶対押し倒すのに」

 そんな穂村の様子に、こちらまで唖然となってしまった。どれだけ気持ちが先走っているのか。いつの間にかこちらを見る目には熱っぽさが加わり、その熱に浮かされたよう穂村は何度も言葉を繰り返す。

「先生とキスしたい。先生とエッチしたい。先生にもっと触りたい」

「ば、馬鹿なこと言ってないで寝なさい。迎えが来たらちゃんと起こすから」

 布団の端で口元を隠しながらも、ニヤニヤと頬を緩めている穂村の額に、ため息混じりで冷却シートを貼り付けた。すると一瞬、冷たさからかふいに穂村は目を細めた。

「……」

 その穂村の表情に、わけもわからず胸がドキリとした。

「先生」

「な、なに」

「俺、次はちゃんと進級する。そんでちゃんと卒業するからさ。そしたら、俺と付き合って」

「は?」

 唐突な穂村の告白に、ふと頭が真っ白になる。首を傾けこちらを見る彼の目を、しばらくまじまじと見つめ返してから、やっとその意味を認識した。言葉を理解するとそれとともに鼓動が早くなる。穂村の目を見つめたまま、小さく息を飲み込んだ。

「本気で言ってるの?」

「今年留年しちゃって、また二年やり直しだけど。あと二年間待てるよね? 大人の一年早いって言うでしょ」

「なんで既に付き合う前提?」

 さも当たり前のように、待つことを定めてしまう穂村の言葉に戸惑った。でも、本当はそんな言葉にうろたえている自分に一番戸惑っていた。

「先生には俺しかいない気がしたから。俺が先生を他の誰より幸せにしてあげるよ」

 いつものふわふわした笑いじゃなくて、真っ直ぐで強い穂村の視線が胸に痛い。

「……だったら、ちゃんと病院に行って検査も受けて、一番に自分の身体大事にしなさい」

 いま、不覚にも自分は穂村の言葉で泣きそうになった。幸せにするよ、なんて言葉はそんなに簡単な言葉じゃない。それには他人の人生の重みというものが加わる。彼はそれを背負う覚悟があるんだと、真っ直ぐ揺るがない瞳で伝えてくる。

「ん、先生のために頑張る」

 こんなことを言ってくれる人間を手放すのは、惜しい。このまま彼の灯火が消えてしまうなんてもったいない。優しくてあたたかい温もりを絶やしたくない。
 いつもみんなは――愛が欲しい。愛の形を見せて欲しいと求めるばかりだ。自分を愛してと叫ぶけれど、本当にこちらを愛していたのかわからない。愛されることを求めるあまり相手の心が見えなくなってしまったのだろうか。

「元気に卒業したら付き合ってあげるよ」

 与えられる愛というのは初めての経験だ。そしてそれは自然と、その想いを返してあげたくなる。穂村が真っ直ぐだからだろうか。彼の優しさは眩しくて温かい。少年の腕で自分を包み込もうとしてくれる。

「うん、でもそれまで先生は自由でいいから。誰と付き合っても俺は文句言わない」

「え?」

「大丈夫、先生が最後に選ぶのは俺。絶対だから」

 大した自信家だ。どれだけ自分を信じているのだろうか。負けそうになったり、敵わないと思ったりすることはないのか。でも不思議と嫌な感じはしない。
 こちらへ伸ばされた穂村の手が、ベッドサイドに付いた自分の手に重ねられる。そしてほんの少し熱いその手に穂村の鼓動を感じて、自分のそれも早鐘を打つが、なぜか気持ちは穏やかだった。

「好きだよ」

「……そう」

「ずっと先生だけ」

 小さく小さく呟く穂村の言葉と、指先から伝わる熱に頭の中がクラリとした。

[君の熱/end]