甘恋-Amakoi-/01
暦は十一月――今月は祝日が月初めと月の後半、二回あった。どちらも行楽日和だとニュースが報じていたが、そのどちらも特に予定を入れることもなく過ごした男がいる。いや、過ごしたというよりも、そうするしかなかったとも言える。
仕事が休みなのだから友人との予定を入れてもよかったし、どこかへ一人で出かけてもよかった。しかし恋人が忙しく働いているのを知っていながら、自分だけ暢気に遊び歩くことができなかったのだ。だから結局、祝日はその男の家で一人映画の鑑賞会が開かれた。
今月も残りわずか、先週末は金曜日から連休だった。職場の仲間はその時間を有効活用したようで、朝からお土産が配られている。あそこはどうだ、あれはよかった。土産話にも花が咲いて和やかそのものだ。
そんな賑やかさに喜多蒼二は身の置き場がない思いをしていた。蒼二の仕事場は十人の社員しかいないWEB制作会社。デスクは部屋の中央に固められていて、みんな向かい合わせになる。嫌でも楽しげな様子が目に入ってしまい、蒼二は視線を落とすしかなかった。
「喜多さん、これお土産です」
「ああ、ありがとう」
次々と配られる土産を受け取りながら、蒼二は思わず大きな息を吐いてしまう。少し気落ちしたようなその様子に、同僚たちはみんな不思議そうに視線を向けた。じっとまっすぐに見つめられた蒼二は、俯き気味になっていた顔を持ち上げてとっさに笑みを浮かべる。
「な、なんでもないよ」
「蒼二くん、恋人とご無沙汰なの? 近頃忙しくて会ってないとか言ってたけど」
少しばかりひきつった顔で笑った蒼二に、向かい合わせのデスクに座っていた男が小さく首を傾げる。明るいハニーオレンジの天然パーマに赤いフレーム眼鏡と淡いピンクのジャケット。色味が派手なその男は細い目を瞬かせて、ぎこちなく固まっている蒼二をまじまじと見つめた。
その視線にギリギリと音がしそうな鈍さで蒼二は振り返る。そしてもの言いたげに目を細めて、口元で指先をつまみそれを横一文字に引いた。
「あら? 内緒話だったの? やだ、もうこのあいだの飲み会でみんなに話しちゃったわよ。蒼二くんに可愛い恋人ができたって」
「……なっ! こ、古葉さん! なんでそんなにお喋りなの!」
「やだやだ、怒らないでよ。蒼二くんを見守る会会長としては見過ごせないビッグニュースよ」
「その意味のわからない会はなに!」
「可愛い蒼二くんを愛でる会よ。会員はうちの社員全員。発足してもいい? って聞いたら、好きにしていいって言ったじゃない」
両拳を口元で揃えて身体を左右に揺らした男――古葉は、蒼二の剣幕に嘘くさい泣き顔を見せる。その顔と吐き出された言葉に蒼二はあんぐりと口を開けた。言葉が出ないとはこのことだと呆れかえる。
そもそも蒼二は顔立ちは穏やかだが、女性的でも中性的でもない。そんな男を捕まえて可愛いとはどういうことだろうと頭を抱えるしかなかった。
「そんなこと言ってないよ!」
「古葉さん、駄目だよー。ちゃんと言葉質を取らないと」
「あの時、喜多さん酔っ払ってたじゃない」
「でも喜多くん、聞いたら恋人の写真見せびらかしてご機嫌だったよね」
「黒髪の超イケメンだったね」
二人のやり取りを見ていた女子社員たちがクスクスと笑い声をこぼす。至極楽しげな声に蒼二は一気に血の気が下がって顔が真っ青になった。先々週の飲み会で、蒼二はしこたま飲んだあげく記憶を飛ばしていた。
翌週にみんなが口を揃えて全然大丈夫だったよ、なんてあっけらかんと笑っていたから、それをそのまま鵜呑みにしてしまったのだ。
職場で蒼二は自分の性癖をオープンにしているわけではないが、ここは古葉のようなタイプにも難色を示さないラフな社風。恋人が男だったと聞いても、大したことないと笑って流すのは明らかだった。思わぬところでカミングアウトされていて、がっくりと蒼二の肩が落ちる。
うっかりしていたとは言え、なぜ古葉に恋人がいるなんて話しまったのか。口を滑らせてしまったことをいまさらながらに蒼二は後悔した。そして自分の軽率さにもげんなりする。
「やだー! 蒼二くんそんなにしょげないで! あたしがいいものあげるから」
雨雲を背負ったような蒼二の様子に、古葉は慌てたように引き出しを漁り、束になった小さな紙を蒼二のデスクに差し出してくる。それは会社の近くにある商店街の福引き券だった。
「一等が温泉旅館一泊二食付きなのよ! もう少しで終わりだけど、まだ一等が出ていないらしいから狙い目よ。あたしが欲しかったけど、蒼二くんのためなら譲っちゃう」
束になった紙は二十枚ほどある。しかし抽選などで賞品を当てた経験のない蒼二は、そんなに簡単に当たりっこないと高を括っていた。
帰り道――商店街で賑やかなベルの音を聞くまでは。
それから驚きが冷めぬまま家について、蒼二はテーブルの上に載せた封筒を見つめ思わず唸ってしまった。当たったのだ一等の温泉旅館が。
しかし福引きも今日で終わりだったせいもあり、有効期限が二週間と短かった。小さな商店街の賞品だ、そのことに文句は言えまい。だが、このままではせっかく当てたものを使わずに終わらせてしまうことになる。
しばらく難しい顔をしていたが、蒼二は意を決したように携帯電話を掴んだ。そしておそらくまだ仕事中であろう恋人へとメッセージを送る。――二週間以内で休みを連休で取れない? 温泉行こう――まどろっこしい挨拶は後回しにして率直に話を持ちかけた。すると五分も経たないうちに着信メロディが鳴り出す。
「あ、もしもし紘希? いきなりごめん。まだ仕事?」
「うん、そうだけど。急にどうしたの?」
「ああ、うん、実は福引きしたら温泉旅館の招待券が当たったんだ。だけど期限が二週間しかなくて」
「そうなんだ、それで二週間か」
様子を窺うような蒼二の声に、電話の向こうで紘希は考え込むように押し黙った。その沈黙に少しばかり蒼二の心臓は動きを早める。
ここ最近の紘希は仕事が毎日忙しくて、終電は当たり前。休日出勤までしているので、空いた休みを自分のために開けてもらうのは気が引けて、蒼二は会う約束を取り付けられないでいた。
一ヶ月半くらいはまともに会っていない。だからできれば会いたいと思っている。しかし無理な休みを取らせるのも申し訳ないと感じていた。
「いいよ。今週はあんまり仕事入れないでおく。それ土日も大丈夫なの?」
「あ、平日だけかも」
「そっか、やっぱりそうだよね。じゃあちょっと急だけど、今週の木金を空けるから蒼二さんも休み取って」
「わ、わかった」
思いがけない快諾に蒼二の気持ちはわかりやすいくらいに浮ついた。付き合い始めて自宅に紘希が泊まりに来ることは何度かあったが、二人で泊まりがけの旅行など初めての経験だ。
そもそも蒼二と紘希はそれほど遠くまで遊びに行ったことがない。いつも映画館、美術館、プラネタリウムなど近場で済ませることがほとんどだった。
「紘希、ありがとう」
「ううん、いいよ。最近ゆっくり蒼二さんに会えていないしね。二人でのんびりしよう」
「うん、新幹線とバスで二時間半くらいだって。泊まる旅館はご飯も結構美味しいってネットの口コミに載ってた。あ、あと山間にある町だから空気が澄んでて星が綺麗に見えるらしいよ。星見の高台があるんだって。なんて名前の温泉だったかな? なんかすごくおめでたい名前だった気がする」
「……そう、なんだ」
帰りの電車で調べた情報を蒼二が伝えると、ふいに紘希は声を曇らせた。その声になにか思い悩むような雰囲気を感じるが、その理由に心当たりのない蒼二はかける言葉を見つけられずに口を閉ざす。
「ごめん、なんでもないよ」
「そう、それならいいんだけど」
それはほんの十五秒くらいの沈黙だった。小さく息をついた紘希はいつもと変わらない声で応える。けれど些細な時間でも不安は募るものだ。今度は蒼二のほうが言葉を濁らせてしまう。
「蒼二さん、ごめん。本当になんでもないから。声、聞かせて」
「うん」
機嫌を取るような優しい声に蒼二は小さく返事をして頷いた。そして片手に持った携帯電話をぎゅっと強く握ると、気持ちを入れ替えるように深呼吸をする。
「楽しみにしていい?」
「もちろん。俺も蒼二さんと出かけるの楽しみだよ」
「よかった。じゃあ新幹線も急いで取るよ。取れたら時間連絡するから」
「わかった」
「あ、仕事中にごめん。でもいつも遅いみたいだし、あんまり頑張りすぎないようにな」
「うん、今日はそろそろ帰るよ。じゃあ、蒼二さん。木曜日ね」
おやすみと言葉を交わして繋がっていた通話を終わらせる。聞こえなくなった声にふと蒼二は寂しさを感じて、膝を抱えてそこに顔を埋めた。そして大きく息を吸って長く息を吐き出す。力の抜けた両腕はだらりと床に垂れて、手の内からするりと抜けた携帯電話が鈍い音を立てた。
「紘希って、結構はっきりものを言う割に、たまに思ったことを飲み込むところあるよな」
初めてすれ違った時もそうだった。映画を見たあとに思い詰めた様子で言葉を濁らせて、蒼二が問い詰めるまで口を割らなかった。だから思い悩むようなあの沈黙が蒼二は気になってしまう。またなにか嫌なことでも抱え込んでいるんじゃないかと、気が気ではない。
それでもなんでもないと応えた紘希を、信じるしかないと思った。楽しみだと言ってくれた言葉を、まっすぐに受け止めるしかない。
「楽しいことだけ考えよう。二人で旅行なんて、そうそう行けるわけじゃないし。週末晴れだったかな?」
両腕で膝を抱えると、さほどまで聞こえていた声を辿るように蒼二は目を閉じる。そして二人で満天の星を見るのを楽しみにしながら、口元を綻ばせた。