甘恋-Amakoi-/07
夜は一段と冷え込んで、吐き出す息が白くなる。高台への道はシーズン中はイルミネーションなどで彩られるらしいが、いまはオフシーズンなので足元を照らす外灯の明かりのみだ。
懐中電灯を手にした昭矢が前を歩き、その後ろを蒼二がついていて歩く。出る時に握られた手はなぜかそのままで、無理矢理に振り解くわけにもいかず手を引かれている。けれど道が暗いのでガイドするように歩いてもらえて助かっていた。
「喜多さん、大丈夫ですか? 段差に気をつけてくださいね」
高台に上がる道は緩い高さの階段になっている。ぐるぐると高台の周りを回って上がっていく。昼間登った時は十五分くらいは歩いた。日中は見晴らしがよかったが、いまはしんとした暗闇と空に散りばめられた星が視線を奪う。息を吐きながら空を見上げ、蒼二は満天の星につい見とれてしまう。
「綺麗だな」
「どうせならゆっくり紘希と見たかったですよね。一緒にいるのが俺ですみません」
「え? そんなことは思ってないから、大丈夫だよ」
ぽつりと呟いた蒼二の声が届いたのか、昭矢は空を見上げてからゆっくりと振り返った。じっと視線を向けてくる昭矢に蒼二は小さく首を傾げる。すると急に繋がれていた手を強く握られた。それに驚いて蒼二が目を瞬かせると、ほんのわずか昭矢は困ったような顔をする。
「どうかした?」
「喜多さんって、なんでも平気とか、大丈夫とか言いますね。それってしんどくないですか?」
「え?」
「紘希には正直になんでも言ったほうがいいですよ。我慢はあまりしないほうがいい。そういうのって、長く続かないって言うから」
「あ、ごめん。ありがとう。……気づいてなかった」
なに気なく昭矢にかけられた言葉に蒼二は少しはっとした。言われてみればあまり紘希に心配をかけたくなくて、その言葉を何度となく口にしている。無理をしているつもりはなかった。けれど本当にそうだったかと言えば首を傾げたくなる。
思い悩むように目を伏せた蒼二に、昭矢はなにも言わずに歩みを再開した。それから黙々と歩いて、ほんの少し身体が温まってきた頃、星見の高台に到着する。
そこはそれほど広さはなく、小さな公園ほどだ。見渡せば人の有無は確認できる。暗がりの中で目をこらして見れば、一番奥にあるベンチに人が二人腰かけているのが見えた。ゆっくりと近づいていけば、その二人もこちらに気づいたようで顔を上げる。
「なにをやってるんだ二人で」
「昭矢、どうしてここに?」
とがめるような口調で昭矢が声をかけると、ここに現れることを想像していなかったのか、紘希が驚いた声を漏らす。そして目を細めて隣にいる蒼二を見た。
「蒼二さん」
「紘希、話は、終わった?」
「ああ、うん。もう少し」
「そっか」
まっすぐと見つめ返した蒼二に苦笑いを浮かべて紘希は肩をすくめる。けれどそこから先の言葉は続かなくて、やけに長い沈黙がその場に広がった。
慌ててわざわざ捜しに来る必要はなかったかもしれない。紘希の笑みを見て蒼二はそんなことを考えてしまう。下手に他人が首を突っ込んでも余計に話がまとまらなくなるだけではないか。
ちゃんと片をつけると言っていたのだから、紘希に任せておいてよかったはずだ。それにもしかしたら紘希は幹斗をここに呼び出したのかもしれない。よく考えてみれば、幹斗が紘希を追いかけて宿を出た時点でわかることだ。こんな夜に買い物など不自然すぎる。
「昭矢さん、帰ろう」
「え?」
「二人で話しあうことだろうし」
「喜多さん、もっと紘希にぶつかったほうがいいですって」
焦ったような昭矢の声。言われている言葉は蒼二にも理解はできている。それでもいまここでなにが言えるのだろうと、その先が思い浮かばない。
もう会わないで欲しい、もう名前を呼ばないで、もうこれ以上あの子のことを考えないで、そんなくだらない我がままをここで言ったって仕方がない。紘希は気に病むなと言ったのだ。
「ねぇ、ちょっと待ちなよ」
唇を引き結んだ蒼二が踵を返そうとすると、急に人の気配が近づいてくる。それに驚いてその気配の主に視線を向ければ、乱雑に腕を引っ張られた。
「あんた聖女面してるけど、淫売なんじゃないの? なにほかの男の手なんか握ってんの?」
ダウンジャケットの上からでも感じるくらいにきつく腕を掴まれる。間近に迫った幹斗に蒼二が目を瞬かせると、苛立ちをあらわにするように舌打ちをされた。
「おいこら幹斗、これは俺が勝手に握っただけで、喜多さんは」
「振り払えばいいじゃん、それをしないのってどういう神経なの? 男なら誰でもいいわけ?」
「ごめん、深く考えていなくて」
「は? なにその言い訳。意味わかんないんだけど。汚い手で昭矢に触るなよ!」
荒々しく言葉を吐き出す幹斗に蒼二は戸惑いの色を見せるが、それが余計にかんに障るのか、掴まれていた腕を押し放される。そして勢い任せに繋がれていた手の甲を叩かれた。乾いた音が響いて、蒼二はとっさに手を引く。しかしそれでも睨み付ける幹斗の目は蒼二を射貫こうとする。
「紘希も紘希だよ。騙されてるんじゃないの? 馬鹿じゃない? こんなやつやめておきなよ」
「幹斗くん、俺のことはなんて言ってもいいけど、紘希のことまで悪く言わないで欲しい」
「なにいまさらいい子ぶってんの? すごい目障り!」
表情を硬くした蒼二に幹斗は眉を跳ね上げてひどく不快そうに顔を歪める。そして思いきり両手で蒼二の身体を突き飛ばした。
けれど身体が大きいわけではない蒼二でも小柄な幹斗とは体格差がある。二、三歩後ろへ後ずさるだけに留まった。それが腹立たしいのか、幹斗はおもむろに手を振り上げる。
「いい加減にしろ、いくらお前でも蒼二さんにこれ以上手を出したら許さない」
「離してよ紘希! こんな男、信用ならないじゃん。僕ならずっと傍にいて守ってあげられる。いままでだってそうしてきたでしょ。僕はずっと紘希の傍にいてあげたじゃないか!」
振り上げた右手を後ろから紘希に掴まれて、地団駄を踏むように幹斗は暴れる。そしてまくし立てるような声は少しずつ涙声に変わっていく。それでも紘希は掴んだ手を離さなかった。
「いい加減気づけよ幹斗。お前が好きなのは俺じゃない」
「なんでそんなこと言うの! ずっと好きだよ!」
「もう現実から目を背けるのはやめろ。お前が好きなのは俺じゃなくて、昭矢だ」
「……違う! 紘希だよ!」
信じられないものでも見るかのように、見開いた幹斗の目にじわりと涙が浮かび上がる。けれどその目をまっすぐに見つめて、紘希は小さく息をついた。
「お前には感謝してるよ。親と揉めて居場所がなかった俺の傍にいてくれた。だけどもう俺は代替の恋人は演じられない。お前、最後に俺になんて言って逃げたか覚えてるか?」
「な、なに?」
「それは違う、そうじゃない、どうして紘希はできないんだって、そう言ったんだ。お前の優しさの基準はいつだって昭矢だった。いまだってそうだ。お前は俺の傍にいてあげたって言っただろう。お前は俺のために傍にいてくれたんじゃない。自分の満足のために俺の傍にいたんだ」
「違う、僕は」
「昭矢が家を継がなければならないから、諦めたふりをして目を伏せてるだけだ」
淡々と紘希が言葉を紡ぐたびに、幹斗は震えて小さくなる。そして怖々と顔を上げてじっと自分に向けられている視線を見つめ返した。幹斗の目の前には驚きに目を見開いた昭矢がいて、その顔を見た瞬間くしゃりと歪んだ幹斗の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「自分でわかるだろう。俺と昭矢に対して浮かぶ感情の違いが」
「だって、昭矢は、どうしたって手に入らない」
ボロボロと涙をこぼしながらぽつりと呟いた言葉が幹斗の本音だ。家を継ぐと言うことは、ごく普通の家庭を持ち子供を為して、世代を繋げていかなくてはならないということだ。そこに自分の居場所がないのだと言うことを幹斗は理解していた。
もしかしたらそのことに昭矢も気づいていたのではないか。だからその感情は違うのだと言った。ふと蒼二は幹斗の前で立ちすくんでいる昭矢に視線を向ける。その顔は困惑、戸惑い、焦り、色んなものが見えるけれど、嫌悪は浮かんでいない。
その表情とロビーで幹斗のことを語っていた昭矢の顔を思えば、そこにあるのがなんなのか見えてくるような気がする。
「昭矢さん、幹斗くんのこと、恋愛感情で好きですよね」
静かな中に蒼二の声がやけに響いた。そしてそれは響いた分だけまっすぐに昭矢に届く。ゆっくりと瞬きをして、大きく深呼吸をして、昭矢は両手をぎゅっと強く握る。そしてその握りしめた手をじっと見つめて、意を決したように足を踏み出した。
「幹斗!」
涙でくしゃくしゃになった幹斗に向けて、昭矢の手が伸ばされる。その手は小さな背中を強く抱きしめた。
「幹斗、これからのことは俺たち二人で考えよう。俺も、ちゃんと考えてみるから。紘希と喜多さんを巻き込むのはもうやめだ」
包み込むように両腕で抱きしめられて、幹斗は堰を切ったように泣き出す。けれどわんわんと大声を上げて子供のように泣く幹斗を昭矢は離さなかった。その姿を見てようやくほっと息がつける。蒼二は息を吐き出し、そして冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「蒼二さん」
ふいに聞こえた呼び声と近づいてきた気配。それに引き寄せられるように顔を上げれば、優しい目が蒼二を見据えていた。その目に微笑みを返して小さく首を傾げると、両手を広げて紘希は満面の笑みを浮かべる。
「紘希、もう、終わった?」
「うん、終わったよ」
「そう、よかった」
聞きたかった返事をもらって、蒼二は目の前の胸に飛び込むように駆け出した。そして腕を伸ばして背中を強く握れば、それ以上に強く抱きしめ返してくれる。肩口に顔を埋めて大きく息を吸い込むと、微かに優しい紘希の香りが鼻孔に広がった。ただそれだけなのに、蒼二はひどく安心できた気になる。
「ごめんね。いっぱい不安にさせた」
「うん、紘希を盗られたらどうしようって思った」
「もっと早く切り出せばよかったんだけど。言葉で言っても簡単に伝わらない気がして、機会がないか窺ってた。いま蒼二さんたちが来てくれてよかったかも」
「結果オーライってやつだね。二人は、どうする?」
「置いて帰ろう。いまは二人きりにしておいたほうがいいだろうし」
嗚咽が響く中でぎゅうぎゅうときつく抱き合う二人を見て、思わず蒼二は口元を緩めてしまう。二人がくっつけばいいのに、そう思ったことが本当になるなんて予想はしていなかった。
けれど必死な二人を見ていると、なるようにしてなった二人なのかもしれないと思える。そしてそれと共に、自分たちもそうであればいいなと思った。