甘恋-Amakoi-/02

 約束を取り付けて二日後、旅行の当日は朝から天気がよくまさしく秋晴れだった。翌日の天気も崩れることはないとお天気キャスターが満面の笑みで告げていたので、絶好の旅行日和だ。
 昼前に着く新幹線を取ることができ、ゆっくりと温泉地の観光をする余裕もある。いままで肝心なデートの日は雨ばかりだった蒼二は、窓の向こうに見える澄み渡る青空を見上げて、にんまりと口角を持ち上げた。眩しそうに細められる眼差しからも機嫌のほどがわかる。
 新幹線に乗り込んでからさらにそれは増して、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気があった。

「蒼二さん」

「あ、紘希。ありがとう」

「うん、お待たせ。はい、これ」

 窓の外に気を取られていた蒼二は、自分をのぞき込んで身を屈めた紘希に気づき振り返った。そして空いた隣の席に腰かけた紘希から、手に提げていたビニール袋を受け取る。
 袋の中身はプラスチックケースに入ったカツサンドとペットボトルの飲み物だ。その中身を確かめた蒼二はカツサンドとミルクティーをテーブルの上に置くと、お茶のボトルを紘希に手渡す。

「あー、これこれ。このカツサンド食べてみたかったんだ。すごい肉厚! 美味しそう」

 四食入りのカツサンドを目の前にして蒼二は子供のように目を輝かせた。その横顔を見つめる紘希は微笑ましそうに目を細める。

「紘希に半分あげる」

「いいの?」

「うん、全部食べたら昼ご飯が入らなくなるかもしれないしね」

 ウェットティッシュで手を拭くと、蒼二は外した蓋を皿代わりにカツサンドを二つ載せる。ずいとそれを差し出されて目を瞬かせた紘希だったが、小さく首を傾げた蒼二の仕草を見て相好を崩す。

「じゃあ、いただきます」

「うん」

 二人で仲良くカツサンドにかぶりつくと同時か、発車ベルと共に新幹線は旅先へと向けて出発する。ゆっくりと動き出した窓の景色に、蒼二は誘われるように視線を向けた。

「こうやって遠出するの随分と久しぶりだな。新幹線なんていつぶりだろう」

「蒼二さん、実家とかは?」

「ああ、俺のうちは都内なんだ。だから結構近くて電車で行ける。紘希は?」

「実家は四国のほう。年に一回帰るか帰らないかだけど」

「へぇ、そうだったんだ。正月」

「正月は?」

 問いかけようと言葉を紡ぎかけた蒼二の声に、同じ言葉を発した紘希の声が被る。それはハモるようにぴったりと重なり、二人は一瞬顔を見合わせてから吹き出すように笑った。

「あはは、うん、正月はいつも大体四日は帰るよ」

「そうなんだ。俺はあんまり帰らないんだ」

「そっか、じゃあさ。年明けたらうちに来ない? 元旦過ぎたら自宅に帰ることにするから、二日の昼くらいからおいでよ」

「実家でゆっくりしなくていいの?」

「平気、平気。帰らないとうるさいけど。長居してもすることないんだ。母さんや妹の用事に付き合わされるだけだし」

 心配そうな顔をした紘希に、蒼二は肩をすくめて笑う。毎年大晦日と三が日は実家へ帰る蒼二だったが、普段ほとんど家にいないからと女性陣にあれこれ振り回されていた。だから正直それが少し面倒だと感じている。

「蒼二さん、妹がいたんだね」

「うん、四個下」

「蒼二さんに似てたら美人だね」

「どうかな? 見慣れてて全然わかんないな。紘希は一人っ子なんだ?」

「いや、兄貴がいる。蒼二さんの一個下だったかな」

「ふぅん、紘希に似てたら格好いいだろうな」

 なに気ない会話だけれど、紘希と家族の話をしたのはこれが初めてだ。少し近づいた気になって蒼二は気持ちが少し浮ついた。でも隣にいる紘希はほんの少し不服そうな顔をする。その表情の変化に驚いて、蒼二がのぞき込むように身体を傾けたら、腕を持ち上げた紘希に頬を撫でられた。

「蒼二さん、年が近いほうがいい?」

「え? あ! 違う。全然、そんなんじゃない。俺は紘希がいいよ」

「兄貴は格好いいよ。俺なんかより大人で理解があって。おかげで家に帰らなくても文句を言われない」

「理解って、こういうこと?」

 小さく息をついた紘希の顔を見ながら、蒼二はそっと膝の上に置かれていた手を握る。ぎゅっと力を込めれば、手を返した紘希の指が絡みついた。膝の上でお互いの手を握りしめ合うと、じっと蒼二を見ていた紘希が苦笑いのような乾いた笑みを浮かべる。

「田舎ってそういうの偏見強いよね」

「家族に話したんだ」

「うん、なんか息苦しくて」

「そっか、でも言えるのはすごいな。俺はまだ言葉にできていないよ」

 結婚はできない。子供も作れない。みんなが当たり前に思っていることができないんだってことを、蒼二はうまく家族に説明できずにいる。いつか言わなければと思うけれど、それは簡単ではなく。恋人は? そろそろ結婚は? なんて話題が出れば、逃げ出したくなった。

「言わなくても済むなら、俺は言わないままでもいいと思うけど」

「そうなのかな」

「蒼二さん、この話はやめよう。もうちょっと笑って」

「あ、うん。……そうだ! お昼はなに食べる? お蕎麦が美味しいらしいけど」

 困ったように眉を寄せた紘希の表情に蒼二は努めて笑顔を作った。そして足元に置いていた鞄からタブレットを取り出し、ブックマークしていたサイトを開いて紘希に向ける。あれがいいらしい、これもいいみたい。そんなことを説明しながら、少しずつ重たい空気を拭い去っていく。
 その健気な蒼二の笑みに、ぎこちなかった紘希の顔も次第に穏やかさを取り戻していった。

「温泉も楽しみだなぁ」

「蒼二さんお風呂好きだよね」

「うん、一番リラックスできる時間。マンション選ぶ時は絶対にバストイレ別じゃないと駄目。できれば足を伸ばしては入れる湯船かな」

「こだわりポイントはそこなんだ」

「そう、譲れない!」

 大きく頷き少し声高に答えた蒼二は、やんわりと目を細めた紘希にいかに湯船に浸かるのがいいかを切々と語る。正直どうでもいい話ではあるが、紘希はどこか楽しそうに蒼二の横顔を見つめていた。

「あ、もうすぐ着くかな?」

 たわいもない話をしているうちに車内にアナウンスが流れる。窓の外に視線を向けると街の向こうに山が見えた。目的地はここからバスに乗り三十分ほどで、雪の多い山々に囲まれた温泉地だ。これから見る景色を想像して蒼二は期待に満ちた顔をした。

「蒼二さん、上着は着なよ。多分外、寒いと思う」

「ああ、うん」

 荷台からバッグを下ろす紘希につられて振り返ると、蒼二は手渡された厚手のニットカーディガンに袖を通し、薄手のマフラーを首に巻く。
 しかしあらかじめ山岳地帯だから寒いはずだと紘希に言われていたので、カットソーにセーターといつもより少し厚着をしている。こんなに着込んでいいのだろうかと首を傾げる蒼二に、紘希は満足げに頷いた。
 しばらくして新幹線はゆっくりと減速して停車する。目的地が同じ客が多いのか、乗降口には少し列ができていた。

「わ、ほんとだ。だいぶ寒い」

「いまの時期もう山のほうはスキーもできるはずだよ」

「え! スキー? うわぁ、道理で寒いわけだ。もうここは冬なんだね」

 足を一歩踏み出すと冷たい風が吹き付ける。想像しているより冷えた空気に蒼二は首をすぼめた。けれど前を歩く紘希はさして寒さにこたえている様子はない。自分より少し軽装な後ろ姿を見つめて蒼二は不思議そうに目を瞬かせた。

「ここからバスって言ってたよね?」

「ああ、うん。でもちょっと時間があるかな」

「じゃあ、タクシーで行こう。そのほうが早いし」

「それもそうだね」

 駅前は大してなにかがあるというわけでもなかった。時間を潰すとしたら飲食店に入るほかない。その時間ももったいないと思えば、答えは一つだった。

「あ、ごめん。ちょっとメッセージが溜まってる。電話少しいい?」

「仕事? いいよ。急ぎかもしれないし、その辺ふらふらしてるから連絡しておいでよ」

 ふいに申し訳なさそうな顔をして振り返った紘希に、蒼二は小さく頷いて優しく笑った。普段はびっしり仕事をしているくらいだ。平日だから仕事の連絡ぐらい来るだろうと、方向転換して駅前の土産物屋に足を向ける。

「大変そうだな。入社二年目でこんなに忙しいなんて、大丈夫かな」

 ちらりと蒼二が振り返れば、数メートル先で紘希は真剣な面持ちで電話をしていた。その姿を見て、出会った頃はここまで忙しくなかったのにと、数ヶ月前を思い返しながら少しばかり重たい息を吐く。
 しかし無理をして仕事をしている風でもない。これではもっと会いたいだなんて我がままは、口が裂けても言えないなと肩をすくめた。仕方なしに大して興味がないまま蒼二は土産物に視線を移す。
 そして十分くらいぐるぐると店内を何度も歩き回ってから店の外へ足を踏み出した。

「電話終わったかな? ん? あの子、誰だろう」

 土産物屋を出ると先ほどと同じ場所に紘希は立っていた。けれどそのすぐ傍に年若い男の子も立っている。ふわふわとしたアッシュブラウンの髪と小さな顔。瞳が大きくて、唇はぽってりとしているが小さい。見るからにサイズが合っていない大きなダウンジャケットが、小柄なその子を余計華奢に見せていた。
 目鼻立ちの整ったその男の子は熱心に紘希に話しかけている。その光景を蒼二は首をひねりながら見つめた。

「ナンパ? こんなところで? って、それはないか。いくら可愛くても、男の子だもんね。でも男の子でもお近づきになりたいとか、思ったりするのかな?」

 いまどきの子にしては珍しく紘希は髪も染めていないし、落ち着いていてチャラついた雰囲気もまったくない。硬派な男前という感じで、女の子がいれば大抵振り返って見るほどだ。
 しかしナンパは正直よくあることだが、紘希は女性に興味がない。たまに男性からのナンパもあるにはあるけれど、こんな郊外の町で自分たちと同じ性癖の人間に会う確率などそれほど高くない。

 まさかの展開はないだろうと蒼二は肩をすくめる。そしてしばらく二人の様子を眺めていたが、見たところ電話はもう終わっているので、こちらに背を向けている紘希にゆっくりと近づいた。すると離れていて聞こえなかった男の子の声がはっきりと聞こえてくる。

「ねぇ、紘希! 本当は僕に会いに来たんでしょう?」

 瞳を輝かせながらそう言った男の子に踏み出す足が止まる。それは想像の斜め上を行く予想もしない展開。蒼二は紘希に声をかける前に固まったように動けなくなった。