二つの熱02

 優しく触れる手が少し熱を帯びている。存在を確かめるみたいに髪の先から頬、首筋へと流れて、身体を辿る手が胸元に触れると彼は少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
 その笑みを見ていると早まる鼓動が伝わってしまうんじゃないかって少し気恥ずかしくなる。けれどこちらを見上げる視線は温かくて、誘われるようにゆっくりと唇を寄せた。

 何度も重ねるたびに少しずつお互いの息が上がって吐息が深くなる。触れていないと呼吸が出来なくなりそうな錯覚に陥ってしまいそうなくらいだ。
 湿った吐息が唇を濡らし、彼はゆるりと舌なめずりをした。普段の無邪気さを潜めた雄の色香を感じて胸が震える。

「春樹のそういう色っぽい顔、すごくクるものがある」

「あんまりまじまじと見ないでほしい」

「駄目だって。顔そらさないで、こっち見て春樹。……もう、可愛いなぁ」

 下から見上げてくる視線に耐えきれず顔をそらしたら、こちらへ差し伸ばされた指先に顎を掴まれ正面に引き戻された。とっさに目を伏せた自分を見て彼は小さく笑う。
 指先はゆるりと髪を梳いて後ろへ流れ、後頭部を掴んで引き寄せるように力を込めた。鼻先が触れ合うほど近づくと彼は少し意地悪い顔をして微笑んだ。

「ほむ、ら……んっ」

 唇を食むような口づけに息を飲む。言葉を全部飲み込まれて目を瞬かせたら、上半身持ち上げた彼に肩を強く押される。驚く間もなくお互いの体勢が変わり、呆けるように彼を見上げる自分がいた。そんな自分にやんわりと目を細めて、すぐにまた彼は深いキスをくれる。
 柔らかな彼の唇が押し当てられるたびに肌がざわめいて、もっとその先を求めるように唇を舐めた。彼は口の端を少し持ち上げて笑うと、舌を優しく甘噛みしてくれた。

「春樹はキスが好きだよね。いままでこんな可愛い顔、誰かに見せてた? なんか妬けるなぁ。もっと前に春樹に会いたかった。会えてなかった自分にちょっと腹が立つ」

「穂村が、いまよりもっと大人で、もっと前に会ってたら、こんな風に傍にはいられなかったかもよ」

「んー、それも確かにそうだけど」

「私は穂村のいない未来は嫌だな」

 ほんの少し不服そうな顔をする彼の両頬を包み込んで、ゆっくりと引き寄せる。引き結ばれた唇を開くように優しく舌先で撫でて、うっすらと開かれたそこに舌を潜り込ませた。
 自分とは違う熱を帯びた口内で彼の舌を探って絡ませる。舌がこすれ合うだけでも気持ちよくて、うっとりと目を細めてしまった。

「俺も春樹がいない世界は嫌だ。そんな世界に放り出されたらおかしくなりそう」

 唾液がしたたるほどにキスをして、頬を上気させながら彼は自分を真っ直ぐに見つめる。その眼差しに含まれた熱に期待するように身体が熱くなった。いままで誰かを抱いたことがあっても、抱かれたことは一度もない。

 それなのに知らなかったはずの行為にどんどん慣らされていくのがわかる。驚くほどに抵抗がなくて、初めて彼に組み敷かれたときにも怖くはなかった。
 でもこんな自分を知られるのは少し怖い。呆れられてしまったらどうしようかと、ひどく不安になる。

「いま、なに考えてる?」

 上の空だった自分をたしなめるような声。それに気づいて視線を持ち上げると、こちらを覗き込む眼差しがあった。心の中まで見通すような彼の瞳の前では、自分は丸裸にされたような気になる。でも恥ずかしくて君の目に自分はどう映ってるの、なんて聞けない。

「なんでもないよ」

「なんでもない顔じゃない。なんでも言ってくれればいいのに」

「本当になんでもないから」

 少し疑うような視線。その目を誤魔化すように唇寄せて、キスをする。彼は困ったように笑って口づけに応えてくれた。腕を伸ばして首筋に絡ませて、隙間を埋めるように抱きしめる。

「春樹が甘えてくれるの嬉しい。俺じゃ頼りないかもだけど、もっと寄りかかって」

 頼りないどころか、いつも彼の優しさに甘えている気がする。深く問い詰めたりしないところ、いつも笑って許してくれるところ、寄りかかってばかりだ。それなのにもっと甘えていいなんて言う。これ以上甘やかされたら自分でもどうなってしまうかわからない。

「穂村は優しいね」

「そうかな? 春樹専用だと思うけど。こんなになにかをしたくなるの春樹だけだから」

「私は穂村になにを返したらいいのかな」

「春樹がいれば、ほかになにもいらない。こうして触れることを許してくれるだけで、いつも舞い上がりそうなんだ」

 至極嬉しそうな表情を浮かべながら、するりと彼は服の隙間に手を滑り込ませた。自分よりも熱を感じる彼の手に触れられると、そのほのかな熱がじわりと身体に広がる気がする。感じる熱が彼の存在を確かにさせて、彼が鼓動してそこにいることを強く感じさせた。

「会うたびに俺がっついてる気がするんだけど。嫌じゃない?」

「全然、嫌じゃないよ」

 首筋を伝う唇の感触に肩が震えた。肌の上を滑る手に身体が火照る。いま自分だけを感じてくれる彼が愛おしくて、背中を抱きしめる手に力がこもった。肌を重ねることが幸せだと感じたのも、初めての経験だ。胸の中で膨らんだ想いがあふれて、こぼれていく。

「俺ね、春樹が泣くと守ってあげたいって思うんだけど。こういうときに泣き顔見るとすごくゾクゾクするんだよな。可愛くて、好きで、大好きで、余すことなく食べてしまいたくなる」

 捕食者のような目で見下ろされるとクモの糸に絡んだ獲物になった気分。でも彼に食べられるなら本望だ。髪の先一本も残さず食べて、彼の一部になりたいなんて考えてしまう。

「いいよ。穂村ならなにをされてもいい」

 彼の指先は一度も自分を乱雑に扱ったことはない。それがもどかしく感じるときもあるけど、彼の優しさは染みるほど甘くて心地いい。狼になりきれない彼が可愛くて好きだと思う瞬間だ。

 いつだって彼は真っ直ぐに想いを伝えてくれる。自分にはもったいないと思えるくらい深くて強い想い。このままその想いに溺れてしまうのもいいと思えてしまうくらい。
 繰り返し愛を囁かれて、彼に満たされて、そのまま眠りに落ちるのは幸せだった。腕の中でまどろむと気持ちが穏やかになれる。ずっとこうしていられたら、どんなにいいだろうかとさえ思う。

 この先にある未来のことはわからないけれど、少しでも長く一緒にいたい。

「穂村」

「あ、ごめん。起こした?」

 ふっと浮上した意識が自然と彼を探す。隣にいる彼に手を伸ばして、たぐり寄せるように腕に触れた。薄明るいスタンドライトの光が彼の笑みを照らし出す。
 差し伸ばされた手にあやすように髪を撫でられ、くすぐったさに肩をすくめたら小さく笑われた。光の下で開いていた本を閉じると、彼は布団に潜り込み向かい合わせになる。鼻先が触れそうなほど顔を寄せて、まぶたにそっとキスをしてくれた。

「眠れないの? 仕事熱心だね」

「うーん。いまの仕事、全然最初は興味なかったけどさ。最近はいろんなこと覚えて楽しくなってきたんだ。もっと勉強して資格とか取りたいなって」

「そう、それはいいことだね。いい職場に就職できてよかった」

 きらきらと輝いた瞳は眩しくて、少し目を細めてしまうほどだけど、毎日同じことを繰り返しているばかりだった毎日が少しずつ広がっていく。それが自分のことのように嬉しいと感じる。

「春樹とこうやって一緒にいられるから、俺すごい元気になるんだよな」

「これからも一緒にいられたらいいな」

「なに言ってんだよ。いられたら、じゃなくて一緒にいるんだよ。もうちょっと丈夫になったら、春樹と一緒に住みたい。いまみたいに春樹の家に来るのもいいけど。帰る場所が一緒になったらいい」

「そうなったら嬉しいけど。ご両親になんて説明していいのか、迷うよ」

 傍にいたいという気持ちに偽りはないけれど。誰かに話さなくてはいけないと思うと少し戸惑う。もしもいまを引き離されてしまうことになったらと思うと怖い。
 それがあの両親なのだとしたら、自分はきっと想いとは裏腹に手を離してしまうだろう。彼を世界で一番愛しているのはあの二人だ。その想いに負けないくらい彼のことは愛しているけれど、その感情で誰かを傷つけるようなことになったら。

「説明なんていらない」

「え?」

「だってもう言ったし」

「なにを?」

 不安を募らせる自分とは対照的に、彼はあっけらかんとしている。訝しく思いじっと目の前の瞳を見つめると、満面の笑みを返された。
 けれどその笑みの意味が飲み込めずに自分は手を伸ばして彼の頬に触れる。彼は真っ直ぐで素直で、裏表がない。それを踏まえた上で言葉を反芻した。

「もしかして私のこと、ご両親に話したのか?」

「春樹と付き合うことになったって、卒業式のあとに報告した。黙ってることじゃないだろ」

「そ、それは確かに、誤魔化しておくことじゃないけど。そんなに簡単なことじゃないだろう」

「なにがそんなに難しいんだよ。俺は春樹が好き。春樹も俺のことが好き。だから一緒にいることにした。全然難しいことじゃない」

 まったく曇りのない目で見つめられると、自分がひどく間違ったことを言っているような気分になる。しかし確かに正論だけれど、人の感情はそこまで短絡的には出来ていない。
 それをいきなり聞かされたご両親の気持ちを推し量ると、なんともいたたまれない気持ちだ。

「ご両親はなんて?」

「そのときはなにも言わなかったけど。一晩経ってから、聞かれた。本当に先生のことが好きで一緒にいたいの? って。だから答えたよ。俺はほかの誰かじゃ絶対に代わりにならない。春樹と一緒じゃなくちゃ意味がないって」

 どうしてそんなに迷いがないのだろう。驚くほどまっさらな君に驚かされる。こんなに臆病になっている自分がバカみたいだ。
 ためらうことなく伸ばされる手はいつでも温かくて、心に熱が伝染する。もう少し彼のことを好きな自分を信じてみてもいいのかもしれない。

「怒ってる? 勝手に言って。でも父さんと母さんだから言ったんだよ。ほかの人には気安く言ったりしない」

「……わかってる。怒ってない。じゃあ、早く挨拶に行かなくちゃ」

「うん。あ、でも明日は駄目だ。明日は映画を観に行くって約束だから。明後日にしよう、連絡しておく」

「わかった」

 何気ない日常中に君があふれていく。それがすごく幸せなんだってことに気づかされる。君の傍でこれからも笑っていたい。君の笑顔をこれからも見ていたい。だから繋いだ手が解けてしまわないようにこれからも君を愛していく。

 迷うことも躓くこともあるかもしれないけど、きっと君は笑って手を引いてくれるだろう。君と一緒ならいままでの自分を変えていける気がする。そしたらもう過去を思い出して俯くこともないはずだ。
 二人の想いが一つになれば、二つの熱は混じり合う。君から伝わる微熱はいまも胸を甘く痺れさせる。

[二つの熱/end]

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