一歩前ヘススム08

 その夜は淳が満足するまで身体を繋げて、ベッドに転がった頃に腹を空かせて起きた。
 体力勝負、みたいなところは男同士ならではな気がする。

 腹を満たしてもう一度風呂に入って、深夜と呼ばれる時間にまたベッドに潜り込んだ。
 さすがに疲れたのか、二人はすぐに眠りに落ちた。

 そして自然と意識が浮上して、よく眠ったと実感した時、ふと雅之は目覚ましをかけなかったことを思い出す。まだ眠りの淵にある意識を引き戻し、重たいまぶたをこじ開けた。
 するとそれと同時か、部屋の扉が勢いよく開かれる音がした。その音に驚いて肩を跳ね上げれば、聞き覚えのある声も響く。

「まーさっ!」

 部屋に駆け込んできた声の主は、ベッドの上に飛び乗り、勢いのままに腹の上に載ってくる。小さいけれど確かな重み。それに視線を止めて、雅之はまた大げさなほど肩を跳ね上げる。

「の、希?」

「もぉ、お昼ですよぉ」

「な、なん、で、いるんだ?」

 きゃっきゃと笑いながら、腹の上でゴロゴロする息子に、雅之は冷や汗を掻いた。隣ではまだ淳が眠っている。風呂上がりで着替えるのが面倒だと、お互い一糸まとわぬ姿だ。
 頭の上に疑問符を浮かべていると、追い打ちをかけるように、リビングから声が聞こえてきた。

「もう食べたものが出しっぱなしじゃない」

「え? 母さん?」

 現状に気づいて、あたふたと着るものを目線で探したが、その前に部屋の中を覗かれる。
 目が合うとなにやらもの言いたげに目を細められて、肩をすくめられた。母親の意味深な反応に焦りが湧く。

「やっぱりそういうことだったのね」

「や、やっぱり?」

「いつも一緒に寝るんだって希が言ってたけど」

「それは希が一緒がいいって」

「お風呂も一緒に入ってるんですって?」

「いつも、入れてもらって助かってるよ」

「雅之、この場面で言い訳するのやめなさい」

 呆れたようにため息を吐かれて、さすがに苦しすぎる言い訳だったと猛省する。しかし上手い言葉も見当たらず、頭を掻くと、早く着替えなさいと、綾子はリビングのほうへ戻っていった。

 それに息をつき、足元をウロウロする希をあやしながら、慌ただしく着替えを済ませる。そしてまだ眠っている淳の傍に着替えを置くと、雅之はリビングに顔を出した。

「ごめん、昨日は食べてすぐ寝ちゃったから」

「あなたにしては珍しいけど、そういうこともあるわね」

「……あの」

「希があっくんはいつも一緒なんだって教えてくれたわよ」

「そう」

 恋人の父親にバレてすぐに、自分の母親に知られるのは想定外だった。けれどこの先を考えれば、やはりはっきりさせておく必要がある。
 テーブルの上を片付けている綾子に近づくと、雅之は一呼吸置いて言葉を紡いだ。

「淳くんとは、去年の暮れくらいから付き合ってる」

「もう結構経つのね」

「別れるつもりはないから」

「希のために再婚するって言ってなかった?」

「確かに言ったけど。いまは、考えてない。希も懐いてるし、僕も彼以上に一緒にいたいと思える人は現れないって思う。本当に、彼が傍にいてくれて、いま以上に満たされたことはないんだ」

「そうは言ってもねぇ」

 ため息交じりの声に、なんと言葉を返したらいいのかわからなくなる。言葉を詰まらせれば、しんとした中でガサガサと、プラスチック容器とビニール袋のこすれる音だけが響く。

 少しばかり緊迫したような雰囲気に、足元にくっついていた希は不安げな顔をした。そして綾子と雅之を見比べて、困ったように眉を寄せる。

「希、パパはあっくんが好きなんだって、のぞはどうする?」

「え?」

 ふいに振り向いた綾子は、状況を理解できていないであろう希に話を振る。それにひどく驚いてしまったが、それ以上に息子が驚きに目をまん丸くさせた。
 さらにはあんぐりと口を開けて、雅之を見上げてくる。

「希?」

 固まったように動かない愛息に、雅之は慌てて身を屈めた。しゃがんで目線を合わせると、小さな両手をきゅっと握る。

「まさ、あっくん好き?」

「うん、大好きだよ」

「のぞより? のぞよりあっくん好き?」

「……希と、おんなじくらい大好きだよ」

 小さく首を傾げた希の小さな身体を、雅之は強く抱き寄せた。淳を父親に取られる心配をしていたのではなく、自分より淳が好きなのではと心配していた、それに胸が熱くなる。

「のぞもね、あっくん好きだから、あっくんと半分こするね」

「僕を淳くんと半分こするの?」

「うん、してくれるかな?」

「大丈夫だよ。あっくんならしてくれるよ」

「まさ、のぞもいっぱい抱っこして、ちゅーしてね」

「うん」

 ぎゅっとしがみついてくる希に頬を寄せると、愛らしい笑い声を上げてすり寄ってくる。彼に嫉妬をしていた自分が馬鹿だった。
 思っているよりもずっと、息子に愛されていたことに、雅之はひどく嬉しくなった。

 こんな独占欲は幼いうちだけだろうけれど、それでも一緒に過ごしてきた時間を振り返ると感慨深い。

「あ、あの、……おはよう、ござい、ます」

「あっくん! おはよ!」

「希くん? あ、お、おはよう」

「のぞと半分こだよ!」

「え? 半分こ?」

 ふいに聞こえた声に振り返ると、戸口で所在なげに立ち尽くす淳の姿があった。
 それに気づいた希はぱっと駆けだし、彼の足にしがみつく。だが淳はこの状況についていけずに、目を白黒とさせている。

「まあ、あなたはもういい大人だし、気にしないけど。希が幸せになるなら私はそれでいいわよ」

「希はしっかり育てるよ。この関係に疑問を持つことがあれば、ちゃんと向き合う。この子を蔑ろにはしないから」

「そうね、その時は三人でちゃんと話をしなさい。……その心配はないと思うけど」

「えっ?」

「淳さん、急に訪ねてきてごめんなさいね。希が早く帰りたいって言うから。でも私はもう帰りますから、ゆっくりしていってくださいね」

 一通りリビングを片付けると、袋を結んで綾子は腰を上げる。そんな彼女に視線を向けられた淳は、不自然に固まっていたけれど、優しく笑みを返されて恥ずかしそうに視線を落とした。
 さすがにこの状況では、バレてしまったことに気づかないほうがおかしい。

「希、ちゃんとお手紙を渡すのよ」

「はーい!」

 そわそわとした気分でいる、雅之と淳は視線を泳がせるが、二人をよそに綾子はさっさと帰り支度をする。
 そして希となにやら目配せをして、また家にいらっしゃいと言って部屋を出て行った。

「と、とりあえず座ろうか。なにか淹れる?」

「えっと、はい」

 納得はしてもらえたようだが、怒濤のような展開に気持ちがまだ落ち着かない。ちらりと雅之が視線を動かせば、しっかりと淳と目が合う。
 その目にはどうなっているの? そう言葉が浮かんでいるように見えた。

「……一緒に寝てるとこ、見られちゃったんですね。なんだか、すみません」

「いや、さすがに不可抗力だよ。僕も家に来るとは思っていなかったし」

 ぬるいホットミルクとミルクたっぷりのカフェオレ、その二つを二人に手渡すと、雅之は淳の横に腰を下ろす。
 ことの経緯を話すと、淳は青くなったり赤くなったりと忙しなかった。しかし父親の時でもあれだけ驚いていたので、それも仕方ないと言える。

 逆に雅之のほうが申し訳ない気持ちになった。

「ごめんね。いきなり全部バレるようなことになって。さすがに希の口は塞ぎようがなくて」

「あっ、それは、それだけ希くんが素直な子だって証拠ですから」

「のぞ、いい子だよ」

「うん、うん、希はいい子だよ」

 ふいに上がった自分の名前に、淳の膝の上にいた希はマグカップから顔を持ち上げる。そしてきょとんとした顔で雅之たちを見比べた。それでもいまは彼の天真爛漫さと、素直さに救われる。
 よしよしと褒めるみたいに頭を撫でれば、希は至極嬉しそうに笑った。

「この子は思った以上に僕たちのことを見ていたんだな」

 綾子が帰ったあと、希は手紙を書いたと自慢げに丸めた紙の筒を差し出してきた。
 本人は手紙と言っていたけれど、それはお絵描き用の画用紙だ。描かれていたのは拙い絵だが、ひどく胸が温かくなるものだった。

 そこには『まさ、のぞ、あっくん』――そう名前が添えられていて、にこにことした笑みを浮かべているような、優しい絵が描かれている。

「そういえば、なんで希くんは雅之さんのことパパって呼ばないんですか?」

「ああ、ほらよその家でもパパって呼ぶでしょ。小さい頃は名前だと思ってたみたいなんだけど。パパがいっぱいいるのがおかしいって疑問に思ったみたいで。僕の名前は雅之だよって、教えてからはずっと」

「なるほど。でもいまは理解してるんですよね?」

「なんとなくかな? 希、まさはパパだよね?」

「うんっ、まさはパパ。のぞは赤ちゃんだよ。あっくんもパパだよね!」

「雅之さん、これはどういう意味なんですかね?」

 無邪気な顔で自信満々に答える希に、淳が小さく首を傾げる。画用紙の絵にも、二人の名前の傍にパパと書かれていた。
 訝しげな顔をする恋人に雅之は思わず笑みをこぼす。その顔にますます不思議そうにされるが、テーブルの画用紙を手に取ってそこに視線を向けた。

「一緒に暮らしてる大事な人のことをパパ、ママって言うと思ってるみたいで。赤ちゃんっていうのは子供って言う意味。パパは男の人で、ママは女の人だから、僕と淳くんがパパ」

「大事な、人」

「希の中では淳くんは自分の家族なんだよ」

「家族、ですか。嬉しいです」

「淳くん。だから、これからもずっと僕たちと一緒にいてね」

「……はい、もちろんです」

 涙を浮かべてはにかんだ、その笑顔を胸に抱き寄せると、はしゃいだような笑い声がリビングに響いた。この二つのぬくもりは雅之の幸せの象徴だ。
 腕に抱きしめたものは決して軽くはないけれど、彼らのためならどんな壁も乗り越えていける、そんな気持ちになれた。

一歩前ヘススム/end

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