次候*麋角解(おおしかのつのおつる)
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 冬休みに入り、いよいよ年の瀬と言った毎日。この町は大晦日から三ヶ日まで、ほぼ店が閉まるとのことだ。近所にある崎山さんの商店も例外ではなく、冬籠もりのための買い物をしなくてはならない。
 人手は多ければ多いほどいい。というわけで、普段から暁治の財布にたかっている妖怪たちの出番だ。

「ええーっと、これは鷹野が買い出しに出てるし、こっちの特売は河太郎が行ってくれてるからいいか」

「暁治、お餅はたくさん買うにゃ」

「餅って、結構高いよなぁ」

「元はお米ですからね。相応の値段です」

 年末特売のために、中心部の大きなスーパーへ来ていた。両隣ではキイチと石蕗が荷物持ちをしている。年末年始の神社は、さぞかし忙しいだろうと思っていたのだが、石蕗自ら雑用を買って出てくれた。
 キイチの告げ口によると、向こうが忙しすぎて、逆にこちらのほうがマシだとか。さすがはこの町一番の神社である。

「暁治、数の子が食べたいにゃ」

「おせちは桜小路が予約してあるって言ってたから、いらないぞ」

「それなら今日いないのは許すにゃ」

「大晦日までには帰るって言ってたけど。なんの用だろうなぁ」

 数日前に突然、家を数日空けるからよろしく頼む、と言われた。仕事は休みを取ったと言っていたので、実家の用事だろうかと踏んでいる。
 しかし先日の一件以来、やる気に満ち満ちていて、いまにも休み返上しそうな勢いではあった。

 あの様子では、あっという間に自分の壁を乗り越えていきそうだ。そう思うと負けていられないなと、暁治にも気合いが入る。

「天狗の坊は帰ってこられるんですかね?」

「朱嶺、忙しそうだしな」

「寂しそうですね」

「い、いや! ただ騒がしいのがいないと静かなだけだ」

 ニヤリと笑った石蕗に冷や汗をかく。さらに焦って顔をブンブンと振る暁治に、ますます笑みが深くなった。
 桜小路が不在の頃から、朱嶺も家にほとんどいない。天狗は神様の御使いだから、忙しいのだとぼやいていた。

 帰ってきても布団で三秒寝。ゆっくり話す時間もなかった。慌ただしく走り回る、まさに師走といったところだ。

 けれどスーパーから戻ると、玄関に下駄が一足。

「ただいま」

「はーるー! マイダーリンおかえりぃ」

「なんだそれ」

 玄関先から声をかけると、バタバタと足音がして、やけに元気な朱嶺が滑り込んでくる。その手にはなにやら長細いものが二本。よく見ると枝分かれしたそれは、鹿の角のようだった。

「そんなもの振り回すなよ、危ない。障子に穴が開くだろう。どうしたんだそれ」

「仕事のお礼にもらった! 鹿は神様の使いだからね。ご利益あるよ」

「折ったのか?」

「違うよ。いまは鹿の角が落ちる時期なんだよ」

「ふぅん、で、それどうするんだ? 飾るのか?」

 首がついてこないだけマシだけれど、その見るからに立派な角を、再利用する用途が思いつかない。仏間に置くのでも――正直、邪魔そうだ。
 そんなことを思って首を捻る暁治の反応に、目の前の顔がぱあっと華やぐ。

「これはねぇ。細工師に頼んで加工してもらおうと思って!」

「また面倒くさいことを」

「指輪! 指輪とかどう?」

「婚約指輪ですかね。おめでとうございます。あ、お邪魔しますね」

「えっ!」

 瞳をキラキラさせる朱嶺と、その横をなんの躊躇いもなく通り過ぎていく石蕗。取り残された暁治はぽかんとしたが、キイチに声に我に返る。

「駄烏! 図々しいにゃ! 二度も敵に塩は送らないのにゃ!」

「ふーんだ! はるは僕にぞっこんなんだから!」

「気の迷いにゃー!」

 シャーっと威嚇するキイチをひらりと交わして、朱嶺はいたずらっ子のように舌を出す。そうしてみると本当に子供のように見える。
 夢の中で彼は、いまの自分は暁治仕様に可愛いを演じている、と言っていたが、どちらも素のように思えた。

 大人びた鋭い彼も、子供のように無邪気な彼も、二つは一つ。不思議な気持ちになるけれど、一粒で二度おいしいやつか、と暁治は一人で納得した。
 結局のところ、考えるとどちらの朱嶺も同じくらいに――愛おしい。

 ふっとそんなことを思って、ひどく頬が熱くなった。

「ほ、ほら! 買い物してきたやつを片付けるぞ!」

「暁治! おれと買い物袋、どっちを取るにゃ!」

「んー、買い物袋だな。冷凍品もあるし」

「にゃー!」

 ムンクの叫びよろしく悲鳴を上げたキイチを尻目に、暁治は石蕗に続いて玄関へ上がる。するとちょこんと柱の影から桃が顔をのぞかせ、にこりと笑った。
 雑踏の中の一輪の花。頭を撫でると、手をきゅっと握ってくるので、ほっこりとした気持ちになる。

「やーやーやー!」
「やーやー、とぅ!」

 荷物を手に桃と台所へ向かう途中、庭で鹿の角を手にチャンバラをしている、シロとクロがいた。あちらは稲荷神社の御使いだが、ご利益ものの角を木刀にするとは。
 稲荷神社でフォックスハウンドを飼う石蕗家らしい。

「石蕗、悪いがこっちも入れてくれ」

 台所で食材を仕分けしている教え子に、追加で買い物袋を差し出したら、黙って肩をすくめられる。
 なんでもそつなくこなす彼は、家事もわりとできるようだった。几帳面なところがあって、冷蔵庫を整理させるとすっきりとする。

 忙しい父とのんびり屋の母と、奔放な姉を持つとこうなるのだ、と言っていた。

「さて、支度をするか。キャベツとにんじんと、玉ねぎと豚バラ、でいいな」

 桜小路が不在で、宮古家はありふれた食卓に戻った。今日の昼ご飯は中華麺でお手軽焼きそば。
 大人数にも対応しやすい庶民派レシピ。焼きそばソースは喫茶店リヨン・リヨンの秘伝ソース、を分けてもらった。

「ホットプレートでいいですか?」

「ああ、うん。こたつに置いておいてくれ」

 もうしばらくすれば鷹野や河太郎も帰ってくる。指折り数えて人数を確認した。
 贅沢三昧な食事もいいが、自分で作るご飯もやはりいい。
 ザクザクとキャベツを切りながら、そんなことを思う。とはいえ毎日毎食、桜小路にご飯をたかっていたわけではない。

 そんな日は、鍋とか、鍋とか、鍋とか。人数が多いと、繊細な料理を作っている余裕がない。主婦と主夫の皆様には、頭が下がる思いがする暁治だった。

 ソースが焦げる香ばしい匂いがする中、大荷物を手にした鷹野たちが帰ってくる。ご近所からもらってきた、かき餅や干し柿、そして米俵。
 俵には目を剥いたけれど、いまの宮古家ならば楽勝の範囲だ。

「シロー、クロー! 遊んでないで手を洗え!」

「ごはんー!」
「やたー!」

 どこの屋台だ、という量の具材たっぷり焼きそばは、七人もいればいい感じに捌ける。ただし食卓が狭くてもう一つテーブルを出した。
 これは先日のクリスマスの時に買い足したもの。客人は多いよ、と聞かされて、料理を並べるのに、役立った。

「いただきまーす」

 全員が席について、両手を合わせる。それとともに予想以上のスピードで、焼きそばの山が崩されていく。

「いやぁ、やはり暁治殿の家は落ち着きますなぁ」

「誠に誠に。ここが我が家といった感じでござる」

「……河太郎、鷹野。そこは突っ込んでいいだろうか。お前たちの家はここじゃないだろ!」

「そうだよ! ここは僕とはると桃ちゃんの家だからね!」

「おれが抜けてるのにゃ!」

 女性が三人寄ると姦しい、というが、男が四人集まっても姦しい。桜小路が来てから疎遠になっていたが、少し前までこれが日常であったというのだから、驚きだ。
 ため息まじりに暁治が食後のお茶を啜れば、ただにっこりと「お疲れさまです」と石蕗に微笑まれた。

「家族、か。まあ、悪くはないけど」

「はる、僕と所帯を持つ気になった?」

「なんだか忙しいってわりに、水を得た魚のように元気だな、お前」

 ウキウキとした様子で隣に寄ってきた、朱嶺の額をつんと指先でついたら、にへらと締まりない顔で笑う。
 この機嫌の良さはどこからくるのだろう――そう考えて、ふと不在の彼を思い出す。

「あれか、桜小路がいないからか。お前、まだ疑ってるのか?」

「もしものことがあったらどうするの!」

「いや、もしもとかないから」

 このあいだ友情を再確認したところだ。そもそも彼は恋愛対象には微塵も掠らない。それでも疑り深い顔をする恋人に、ため息が出た。

「宮古先生。来年の契約はどうするんですか?」

「えっ? 来年? あ、……そういうことか」

 桜小路が来たことで、暁治が都会に帰ってしまうことを危惧している、そういうことだ。しかしこれは自分の問題でもある。
 彼が云々ではない。残るのか、帰るのか、決めるのは暁治自身だ。

「はる、僕は」

 黙り込んだ暁治に、朱嶺が口を開くと同時か――家のチャイムが鳴らされた。そしてさらに二度、三度、いたずらかと思うほど連続して鳴り響く。

「誰だ? 騒がしいな。朱嶺、ちょっと待っててくれ」

 話を遮るようで申し訳なかったが、鳴り止まないチャイムは、出るまで止まなそうだった。はいはい、と呟きながら、三和土に下りて暁治は玄関戸を開く。
 すると突然、両肩を掴まれ、大音量で叫ばれた。

「東京へ帰ろう!」

 数日ぶりの友人は、必死の形相で見下ろしてくる。暁治の頭に浮かんだのは、疑問符だけだった。

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