そういえば、ここは田舎だったな。
色々あって超してきて早四ヶ月。確かに周りは田んぼや畑。駅まで遠いわ、家の前の路は辛うじて舗装されてはいるものの、近所のバス停から学校へ向かう道すがらはまだ砂利道という。
もしかしてここは新しい年号を迎えて久しい現代における、絶滅危惧的地域ではないかと、思ったことはあるが。
「田舎のこと、絶滅危惧的地域って言うの? ウケる」
「別に受けを狙ってるわけじゃない」
むしろなぜ自分の考えがわかったのか。もしやこいつは超能力者か。
「はるってたまに独り言を言うよね」
どうやら口に出していたらしい。くすくすと笑う朱嶺の首に腕を回してヘッドロックをかけると、カエルが潰れたような声が耳元で聞こえた。
ケロリと、足元で鳴く本物を見て、実家にいたころは見たことなかったな。なんて、そんなことを考えただけなのに。
「もうっ、はるは田舎を馬鹿にしてるね」
「む、それは」
ぷくり頬をふくらませた朱嶺にちょいちょいっと、肩をつつかれて、暁治はバツが悪そうに目をそらす。確かに差別と非難されても仕方ないもの言いである。
「田舎にだってね、いいところはあるんだよ! 空気が澄んで星が綺麗とか星が綺麗とか星が綺麗とかっ!」
「他にないのか!?」
「ないよ! たまの休みは家族でショッピングセンターに行くのが唯一の家族サービスだし、中高生のデートだってショッピングセンターで、不良さんたちの溜まり場だってショッピングセンターなんだからね!!」
「お前の方が田舎を馬鹿にしてないか?」
ショッピングセンターしかないではないか。確かに隣町にはそこそこ大きなショッピングセンターはあるけれど。確かに他に娯楽施設はないけれど。
「純然たる事実だよ! 悪かったね!!」
「いや。悪くはないけど」
「あ、カラオケとボウリング場はあるよ。今度行く?」
「……今度な」
行くといってもこの辺りは車がなければどこにも行けない。暁治は免許はあるのだが、車を持っていなかった。それも学校出るときに取得したままのペーパードライバーだ。高校生の朱嶺はそもそも免許がない。一時間に二本、バスがあるだけマシなのかもしれないが。
五年前、祖父が免許返納したとき応援した自分にアドバイスしたい。車は売らないで置いておいてもらえって。
講師の薄給では、中古車も買えない。
「それよりこっちでいいのか?」
見回せば、草木生い茂る獣道。切り立ったというほどではないのだけれど、なめらかな坂道を進むたび、少しずつ谷が深くなってゆく。
「はい、こちらでございます」
なぜか先導しているのは、先日知り合ったばかりの河太郎という名の少年だ。
先ほどから息のあがる暁治をよそに、彼も朱嶺も元気いっぱいに前を歩いている。手にした釣竿とバケツが重い。
二人とも暁治のように釣竿を手に持ち、朱嶺に至っては大きなクーラーバッグを肩から提げているというのに。
せっかくの貴重な休日だというのに、なんで自分はこんなところにいるのか。つい数時間前を思い出し、ぐったりと肩を落とす。
冬の終わりに引っ越してきたときはまだ寒く、桜のころには新しい職場でてんてこまいをしていたせいか、暁治は今月に入ってやっと家の外の風景に目を向けることができたような気がした。
都会と違い、家の周りは民家もまばらで。高い建物がない景色は、遠くまで見渡せる。自然の近い暮らしは、折々にして色鮮やかだ。都会だと精々マンションのベランダで揺れている鯉のぼりも、この辺りでは広い庭の一角で、風に吹かれて泳いでいる。
流されるまま引っ越してきたものの、絵で生きていけたらと、そんなことを考えたこともある暁治にとって、ここはインスピレーションの宝庫じゃないだろうか。
――ならばここでの生活を満喫したい。
などと朝食を食べながら、らしくもなく熱く語ってしまったところ、「んじゃ、行こっかぁ」と釣竿を持たされてここに至る。
らしくないことは控えよう。語る相手はよく選ぼう。強く思う暁治である。ぜひ次回の参考にしたい。うん、次回の。
やって来たのは家の裏手にある山だ。バス停と稲荷神社の間の道をたどると、いつの間にかでこぼこした山道を歩いていたというわけである。
もうずいぶん歩いた気がする。そういえばつい最近もこんな風に歩かなかっただろうか。
「おい、河太郎」
「はい、なんでございましょう」
「なんかお前、こないだ提灯をほら、ぼーっと」
提灯を点したら、こう、いつの間にか川に着いていた。そう、説明しようとして言葉が途切れる。河太郎と出会ったあの場所で起こったこと、思えばあれはなんだったのだろう。
言葉で説明できない奇妙な出来事。まるで幻のような。暁治は頭を振ると、「なんでもない」とため息をついた。
「ここ、山の上の方においなりさんがあるんだよ」
しばらく歩いていると、朱嶺が道の先を指差した。麓の稲荷神社の対らしい。元々は山の上がメインだったのだが、今は麓だけ参る人がほとんどだとか。
「ゆーゆのお家の山だから、やりたい放題」
「いいのか……?」
ゆーゆこと石蕗優真は、暁治の知り合い兼ご近所さん兼教え子だ。
さほど長くはない付き合いとはいえ、山で多少遊んだくらいでなにか言ってくることはないだろうが。
「後で遊びに来るって言ってた」
「そうか」
地主公認ならなんの問題もない。しかしどこまで行く気だろう。ほんのり初夏の風を含んだ風は気持ちがいいが、なだらかとはいえ傾斜を描く坂道は、インドア派にはかなり辛い。
「どこって、そりゃ決まってるでしょ?」
朱嶺の視線をたどると、手にした釣竿だ。
「あ、坊! 暁治殿! 見えて来ましたぞ!!」
先頭に立ち、ジタバタと手足を振る河太郎。うねうねと曲がる道を何度か曲がり、少年の伸ばす手の指先に目をやると、開けた視界に流れる川が横たわっている。
川幅は五メートルくらいだろうか。葦の生い茂った河原に出た。差し込んだ初夏の陽射しの反射を受けて、水面がキラキラと光っている。そよぐ風に揺れる葉擦れの音と、さやさやと流れる水の音。
あまりにも眩しい光景に、暁治は思わず右手を水平に伸ばすと、親指を立てて片目を閉じた。
「はる、なにサムズアップしてんの?」
「さむっ、ちっ、違うこれはっ!! あぁっ、なんで俺はっ! なんで持ってこなかったんだぁ!!」
まさかこんな場所でインスピレーションが湧くとは思わず、ついいつものくせで目測を測ってしまった。確かにサムズアップには似ているが、片目も閉じたおかしい人になってしまったが。いやそれよりもなんでスケッチブックを持ってこなかったのか。
「くそぅ、こんなところまで俺はなにしに来たってんだよ!」
頭を抱える暁治に、いささか呆れ顔した朱嶺たちは、手にしたものを彼の目の前に掲げて見せる。
「え、釣りに決まってるじゃん」
ねぇ? と、二人で顔を見合わせると、暁治を見た。まぁ、確かに。
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