夏日26
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 峰岸に言われた通り一度味を占めてしまうと、いままで出来たはずの我慢が利かなくなってくるようだ。けれどまたあの時のように触れられなくてもいい。せめてこの手に繋いで、抱きしめていられるだけでもいい。いまの俺はそれだけでも幸せが有り余るほどに思える。

「先生、優哉っ、次行くわよ」

 ふいにかけられた声に二人で顔を上げて振り返る。そこでは少し呆れたような顔をしたあずみが立っていて、峰岸と弥彦は一足先に歩き出していた。

「人目がないからってラブラブし過ぎ」

「えっ、そ、そんなんじゃないぞ。ただちょっと色々教えてもらってただけだ」

 あずみに歩み寄るとふっと目を細められ、ため息を吐き出される。それに対して佐樹さんは慌てたように首を横に振るけれど、あずみにそんな言い訳が通用するわけもなく、再び今度は大きなため息を吐き出された。

「一緒にいるだけでラブいオーラが漂ってくるのよっ」

「オ、オーラって」

 呆れた調子のままくるりと方向転換すると、あずみは前の二人を追いかけた。そこに残された佐樹さんはそろりと助けを求めるように俺を上目遣いに見上げてくる。これにまったく計算やあざとさがないというのだから困ったものだ。

 助けてやるどころか、俺はおもむろに彼の身体を抱きしめて唇を奪っていた。しかも人がいないのをいいことに、身をよじって逃げ出そうとする佐樹さんの動きを封じると、深く口づけて貪るように口内を撫で上げ舌を絡めとった。
 逃れきれないと思ったのか、佐樹さんが何度も背中を叩いてくる。必死なその小さな抵抗に俺は仕方なしに唇を離した。けれど濡れた唇の端に唾液が伝い落ちたのを見て、思わずそれを舐め取ってしまう。

「と、藤堂っ」

 耳や首筋まで真っ赤にした佐樹さんが、精一杯の力で腕をつっぱり俺の肩を押す。そんな姿が可愛くて仕方がない俺は、片手を掴むと指先を微かに含むように口づける。

「馬鹿っ、これ以上したら怒るぞっ」

 口づけた手を振りほどき、挙動不審なくらいにガチガチに固まってしまった姿がさすがに可哀想だと思ったが、やはりどうにも俺の中の加虐心は煽られてしまう。

「俺、最初に言いましたよね。今日は二人だけでいると我慢出来そうにないって」

「た、確かにそうは言ったけど。いまは二人きりじゃないぞ」

「ほぼ二人きりです」

 うろたえて目を右往左往させる佐樹さんに苦笑いを浮かべて、あずみたちが歩いて行ったほうを見れば、そこに姿はもう見えなくなっていた。

「じゃあ、すぐ合流するっ」

 ほんの少し拗ねたように口を引き結んで、佐樹さんは小走りで道の先へ進みだした。けれどそれを追いかける俺は彼の手首を掴みその足を引き止める。

「待って、今日は終電まで佐樹さんの家にいていい?」

 突然引き止められた佐樹さんは振り返り一瞬目を見開いたが、俺の言葉にまた顔を赤くして、しばらくすると小さく頷いた。その返事に心の内に溜まっていたものがすべて霧散した気分になる。そして俺は掴んでいた手をゆっくりと離して、立ち止まった彼を促すように背を押して歩き出した。
 少し早歩きで歩いていくと、道の途中であずみと峰岸が呆れた顔をし、弥彦が困ったように笑って待っていた。

「いちゃこら歩いてんじゃねぇよ」

「ひと気のないとこにいると狼に襲われるわよ先生」

 俺たちの姿を認めた三人はまたのんびりと歩き出す。もうここから集合場所の広場まではあと少しだ。峰岸とあずみの言葉に再び顔を赤くしながら、佐樹さんはそれを隠すように少し俯きがちに歩く。

「早いお帰りですね」

「おかえりなさい」

 五人で集合場所に戻ると、荷物番の北条と行き場が見当たらなかったのだろう間宮が、ノートパソコンに向けていた顔を上げて俺たちに笑みを浮かべた。どうやら暇を持て余し二人でゲームでもしていたようだ。しかし早いと言っても、もう十六時まであと十分足らず。
 だが周りを見渡すとほかの生徒たちはまだ戻っている気配はなく、目の前の広場にもその姿はなかった。しかし北条も部長であるあずみもそれは想定内なのだろう。あまり慌てる様子もない。元々こういった状況を踏まえて集合から撤収までに三十分の時間を設けているのだ。

「とりあえず十六時になったら全員に連絡するわ。北条先生は集合写真の用意をお願いしますね」

「はいはい。うちは部長がしっかりしてるから助かるな」

 北条は間宮に視線を少し向けてからノートパソコンを閉じると、それを鞄にしまい別の大きな鞄からカメラと三脚を取り出した。今日の校外部活動の最後は全員の点呼を取り、全員で集合写真を撮ったら終わりだ。

 あとはそれぞれで帰宅するのだが、どうやら帰りは参加者のほとんどが集まって打ち上げをするらしい。しかしそれに俺が同席するわけがなく、最初にあずみに声をかけられた時点で断った。
 十六時近くなるとバラバラと部員たちが集合場所に集まってきた。全員揃ったのは五分ほど遅れた頃だろうか。

「それじゃあ、背が低い人は前のほうに来て、でかいのは後ろよ。もうちょっと中央に寄って」

 全員が揃ったことを確認すると、お約束の帰宅までは部活動的な話や展覧会に向けて頑張ろうという意気込みで締め括り、残すは記念撮影のみになった。カメラを覗くあずみの指示で部員や参加者たちが整列していく。

「私の場所空けといてね。タイマーは十秒だからねっ」

 整列した前列のほぼ真ん中辺りが一人分空いている。タイマーのボタンを押したあとにあずみが入り込むスペースだ。「それじゃあ、いきます」の声と共にあずみは素早い動きで定位置につく。
 そしてシャッターが下りる瞬間を知らせる光がちかちかと瞬き、カシャリと小さく音が響いた。撮り終わると再びあずみがカメラのもとに行き、その画像を確認して小さく頷く。

「あ、いまのでオッケーだけど念のためもう一回撮ります」

 ひらひらと腕を上げて手を振ったあずみに、部員たちは間延びした返事をする。再度カメラを操作していると、あずみは背後に気配を感じたのか驚いて振り返る。そこには満面の笑みを浮かべた月島が立っていた。

「渉さんどうしたんですか?」

 月島は仕事の都合上、本人の写真を撮ることが禁じられているので、先ほどまでベンチに座り集合写真を撮る部員たちを眺めていた。けれど一度目の集合写真が撮り終わると、ゆっくりとした足取りであずみに近づいていった。

「俺も集合写真に入っちゃ駄目?」

「え? はっ? ヘ?」

 突然の月島の申し出に珍しいくらいあずみが慌てふためき、目を見開いて驚きをあらわにしている。あまりにも予想外のことだったのだろう。目に見てわかるほどうろたえ、言葉をうまく飲み込めていないようにも見えた。

「いや、なんかさ。俺も思い出が欲しいなって思ってさ。駄目かなぁ?」

「あ、でもっ、いえ、私たちは構わないんですけど、いいんですか?」

「うん、ただ今日のことは全部、俺とみんなの秘密ってことでお願い出来たら」

 月島の要望は部員たちの耳にもちろん届いていた。全員がそわそわとし始めて、どうなるのだろうかと好奇な視線をあずみと月島に向けている。首を傾けあずみの返事を待つ月島と少し考えるように俯くあずみ。

「わかりましたっ、二枚目の写真はあくまでも個人所有で渉さんの素性は内密にします。……で、全員文句ないわよね?」

 顔をパッと持ち上げたあずみがぐっと広角を上げて笑い、勢いよくこちらを振り返った。すると写真部全員は飛び上がるように喜び、片平の問いかけに全員手を挙げその条件を二つ返事で受け入れる。

「ついでにあれもいい?」

「え? あ、もちろんですよ」

 ふいに後ろを振り返った月島は、木陰で腕組みしながら立っていた瀬名を振り返る。視線の先を認めたあずみは満面の笑みで承諾した。
 しかし当の本人は急に自分に振られた話に戸惑っているのか、困惑した面持ちになっている。けれど「早く」と月島が促せば、少しばかり渋々の態ではあるが瀬名は月島のもとへ歩み寄り、一緒に整列した部員たちの傍に歩いて行った。

「渉さん後ろでいいんですか?」

「うん、端っこでちょっと写ってるだけで十分」

 後列の端に立った月島にあずみは首を傾げるが、言葉の通り月島は至極楽しげに笑う。月島の隣に並んだ瀬名も含め、改めて微調整すると、あずみは再び「それじゃあ、いきます」と声を上げ、走った。

リアクション各5回・メッセージ:Clap