夏日27
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 時刻は十六時三十分――きっちり時間通りに撤収作業を終わらせ、あずみを筆頭にぞろぞろと写真部員やほかの参加者も公園外へ移動し始めた。
 そしてその後ろを歩いている佐樹さんの近くを峰岸と間宮と三人で歩いていると、公園の管理者に挨拶を済ませたらしい北条も少し遅れて出てきた。全員が揃うと出入口から外れたところで、再び帰宅の注意を促し皆一斉に解散となった。

 参加者のほぼ全員が電車移動だ。車なのは大人組とそれに便乗している峰岸、あとはクーラーボックスなどの大荷物があり、母親が迎えに来るあずみと弥彦くらいだ。そんな中、あずみは解散の合図と共に部員たちを早々に駅へと送り出し、佐樹さんを車に誘う間宮も追い払いにかかった。

 しかし間宮は普段の大人しさとは裏腹にしばらく食い下がり、頑なに攻めの姿勢を崩さない。その勢いにはさすがの佐樹さんも表情が困惑したものに変わる。けれど隙を見せないあずみの思惑に気がついたらしい峰岸が、わざとらしく催促して間宮を呼び寄せる。

「マミちゃん早くしろよ」

 後部席のドアを開けて車体にもたれかかる峰岸は、呆れたようにため息をついて肩をすくめる。けれどそれに少し振り返った間宮は、またすぐに佐樹さんに向き直った。

「いや、あと一人は乗れますし、西岡先生は片平さんたちとは家の方向違いませんでした?」

「えっ、いや、でも通り道だし」

 勢いに気圧され苦笑いを浮かべている顔がかなり固くなってきた佐樹さんは、ますます引きつった笑いになってきた。彼の性格上あまりこのまま押し通されると、勢いに流されて頷いてしまいそうな懸念がある。

「おいおい、マミちゃんなんで方向とか知ってんだよ。その意気込み怖いっつーの」

 今日一日ほとんど佐樹さんと一緒にいられなかったのが、よほど不満なのだったのだろうか。峰岸の揶揄さえも間宮は半ばスルーしている。あからさまに執着心をあらわにされると俺まで苛々とした気持ちになってくる。だが北条もいるこの場で俺まであからさまな態度は取れない。

 しかし募る苛々を収めきれず、不機嫌さを隠さないまま間宮へ視線を向けると、ほんの少し怯んだような表情を浮かべた。だがいまだに膠着状態は続く。けれどふいにこの空気にそぐわないのんびりとした声が響いた。

「間宮先生、峰岸も早く帰りたがってますし。西岡先生には月島さんたちもいるんだから、片平や三島に任せていいんじゃないですかぁ」

 その声はすでに間宮の車に乗りこんでいた北条で、窓から顔を出し不思議そうな顔をして車の持ち主を見つめている。どうやら北条にはこの複雑に絡み合った糸がまったくもって見えていないようだ。しかし正直見えてもらってもややこしいだけなので、このあまり周囲に興味を持たない抜けたところに救われる。

 思えば北条は職員室であれほど間近で顔を合わせたのに、俺に気づかないほど他人に興味が薄い男だ。そしてさすがに先輩に当たる人物にそう言われては間宮も引かざる得ないらしく、ほんの少し眉を寄せつつも間宮は「わかりました」と小さく呟くように言うとやっと引き下がった。

 思いきり後ろ髪を引かれているのが一目瞭然な表情で間宮が運転席に乗り込むと、峰岸がこちらを見つめにやりと片頬を上げて笑う。その表情に含まれているものを悟りながら俺が眉をひそめれば、緩く手を振って峰岸は後部席へ姿を消した。

「で、佐樹ちゃんはどっちに乗って帰る?」

 間宮の車が駐車場を出て行くと、俺たちの攻防を少し離れた場所で見物していた月島が、ようやく終わったかという風情でゆっくりとこちらへ近づいてくる。

「うちは彼氏くんも一緒で構わないよ」

「えっ、ああ、うん。どうしようか」

 選択肢はこれから来るあずみの母親の車で帰るか、月島の車で帰るかだ。ふいに困ったような表情を浮かべる佐樹さんに首を傾げて見せると、また眉を寄せて小さく唸り出した。
 けれどそんな表情さえも可愛らしく見えて、思わず俺は優しく彼の髪を撫でてしまう。そしてその感触に驚いたように顔を上げた佐樹さんは目を丸くしている。

「ああ、すみません。もし俺のことで悩んでいるなら気にしなくていいですよ」

 さらさらとした柔らかい佐樹さんの髪を撫ですくいながら指先で触れていると、しばらく考え込んでいた彼がおずおずとした様子で少し俯きがちになっていた視線を持ち上げる。

「ん、だったら……渉さんにお願いしてもいいか?」

 じっとこちらを見つめる視線に微笑み返せば、ほっと佐樹さんは小さく息をついた。どうやら俺の予想通りのことで悩んでいたようだ。月島の車となると一時間ほどは狭い空間に一緒にいることになる。
 月島と俺の仲は正直言ってあまりよくないから、佐樹さんとしては気が引けていたのだろう。けれどあずみの母親の車で帰るとなると、今度は俺が佐樹さんのマンションで一緒に下りる理由が必要になり、少々話が面倒くさくなる。

「あ、うちの車も来た」

 結論が出たところで駐車場にイエローのコンパクトカーが一台入ってくる。今朝、自分も乗せてもらった車なのですぐに目に付いた。あずみが腕を上げ大きく手を振ると、その車はすぐ傍に停車した。

「あずみ、弥彦ちゃん、優哉くん遅くなってごめんね。ちょっと途中渋滞にはまっちゃって」

 慌てた様子で車から下りてきたあずみの母親は、胸もとまで伸びたまっすぐな黒髪に黒目がちな大きな瞳。細身のスキニーデニムを履きこなしたすらりとした美人だ。
 雰囲気からも見て取れるサバサバとした快活な性格で、あずみがいまのまま成長したら、こんな感じになるだろうというのがひと目で見てわかる容姿だった。

「大して待ってないから平気。荷物積んでいい?」

「オッケーオッケー、いまトランク開けるわ」

 母親がトランクを開けると、行きとは違い軽くなったクーラーボックスを二つとも持ち上げて弥彦が開いたトランクにそれを収めた。

「あ、こちらは先生?」

 慌てていて気づくのが遅れたのだろう。ふいにあずみの母親は佐樹さんや月島たちに視線を向ける。

「西岡先生と今回講師をしてくださった写真家の方」

「はじめまして西岡です。いつも片平さんや三島くんにはお世話になってます」

 あずみの紹介に佐樹さんは笑みを浮かべて頭を下げる。月島たちも軽く会釈をしてあずみの母親の視線に応えた。月島は詳細内密となっているので、あずみもあえて名前を出すことはしなかったのだろう。

「帰りは優哉、西岡先生たちの車に乗るから」

「えっ? そうなの?」

「そうなの、あちらの方たちと知り合いだから、積もる話もあるわけ。そういうことで私たちは私たちでもう行こう。ほかの部員たちと集まる約束してるのよね」

 月島たちをあずみが手のひらで指し示し説明すると、あずみの母親は少しばかり驚いて目を瞬かせたが、皆一様に笑みを浮かべるのでとりあえず納得したようだ。
 俺のほうを振り向いて「優哉くんまたね」と声をかけてくれる。若干苦しい言い訳に聞こえるが、あながち間違ったことも言っていないので、俺は「すみません」と頭を下げてあずみの母親に笑みを返した。

「じゃあ、またねっ」

 窓から顔を出したあずみがそう言うと、弥彦も含む三人を乗せた車はゆっくりと発進して去っていった。すると十数分前にはたくさんの人がいたこの場所は四人だけになり、一瞬しんとした空気が流れる。

「とりあえず俺たちも帰らない?」

「あ、ああ、そうだな」

 このままではこの沈黙が長引きそうだと思い始めたところで、この空気を打ち消すようにのんびりとした声音で月島が先を促し肩をすくめる。
 そして佐樹さんがそれに応えると、月島は腰の辺りに引っ掛けていたキーチェーンから車のキーを取り、それを瀬名に投げ渡した。それを受け取った瀬名は少し呆れたようにため息を吐き出したが、なにも言わずに車に足を向ける。

 そこにあったのは今時珍しい左ハンドルのベンツ。最近は外車でも右ハンドルが主流になってきたので、あまり乗る人は少ないだろう。そのベンツは小回りの効くタイプでそれほど大きさはない。
 恐らく車に特別興味があるタイプに思えない月島のことだから、小回りが効いて乗り心地が悪くないもの、程度の注文でディーラー任せに購入したのだろう。しかし適当な注文かもしれないが、金はかかっているのはわかる。

 座席のカバーに使われているレザーは質感もよく長時間乗っていても、疲労感はほとんどなさそうだ。そうなると運転席や助手席の座席も同様に乗り心地は良好だろうと推測出来た。
 佐樹さんが運転席の後ろに乗り込み、俺は助手席の後ろに座る。そして運転席に瀬名、助手席に月島が座ると、四人を乗せたベンツは森林公園をあとにした。

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