疑惑29

 僕の声を確認すると一方的に通話は切断され、不通音が耳元に聞こえる。それから数分ほどか、状況整理がつかないまま僕の目の前に現実が突きつけられた。

「なんでお前がこんなところにいるんだ」

 明良に背中を押されリビングに入ってきたその姿に、思わず口をあんぐり開けてしまう。顔色を青くしながら気まずそうに下を向くその顔を見たら、それ以上言葉が見つからなかった。

「こいつ、駅からマンションまで着いてきた」

 僕の疑問に答えるように明良が肩をすくめる。そして肩を押して目の前の――間宮をその場に座らせると、手にしていた携帯電話をその膝に放った。

「なにをしてるんだお前」

「す、すみません」

 か細い声に呆れてため息が出てしまう。なんだかどっと力が抜けて両手を床についてうな垂れてしまった。用事があると言っていたのは嘘だったのだろうか。なぜ僕のあとをつける真似なんてしたんだろう。

「もしかして明良、郵便受けを見に行くって言ったのも、着いた早々に煙草吸いにベランダに出たのも、確認するためか?」

「佐樹にしては敏いな。こいつ一旦マンションの前を通り過ぎたのに戻ってきたんだよ」

 僕の隣に腰を下ろした明良は、俯いた僕の頭を乱雑に撫でる。なだめているつもりなのだろうが、僕の口からはため息しか出てこない。しかしいつまでもこうして床に張り付いているわけにもいかない。仕方なく顔を上げると、間宮と視線が合った。

「お前なんでこんなことしたんだ」

「それはその」

「はっきり言わないなら、この先の付き合いを考えさせてもらうからな」

 口ごもって視線をそらした間宮に語気を強めると、びくりと肩を跳ね上げてその場で背筋を伸ばした。じっと目を細めて見つめれば、俯いた視線が落ち着きなく左右に流れる。

「に、西岡先生が、久しぶりに会ったら、随分、その変わっていたので」

「え?」

「だから、色々と気になってしまって」

「は? どういう意味だ? それって今日が初めてじゃないってことか?」

 嫌な予感がして問いかけてみれば、間宮の視線が明後日の方向に流れた。どういうことだこれは、間宮が復帰したのは七月になる前だ。それからずっと僕は気がつかなかったというのか。まさか藤堂のことまで知っていたりするのだろうか。

「まさかと思うが、写真はお前じゃないよな?」

「え? しゃ、写真? なんのことですか」

「お前はどこまで知ってるんだよ、この封筒見覚えないのか!」

 テーブルに置いてあった封筒を手にとって目の前に突き出すと、間宮はしばらく固まったように封筒を見つめてから大きく顔を左右に振った。反応がわかりにくい。両手で胸元を掴みあげたら間宮は慌てて身を引こうとした。

「わ、私が知っているのは、と、藤堂くんのことだけです」

「……」

 それだけ知っていれば十分だ。十分過ぎるほどの衝撃だ。藤堂のことを知っている人物はこれで何人目だろう。まったく隠せていない気がしてきた。再び僕は床に手をついて俯いてしまった。

「あんた佐樹のことつけ回してなにが目的だよ」

 うな垂れた僕の頭をまた撫でた明良はため息交じりに言葉を吐いた。ダメージを受けた僕の代弁をしてくれるつもりなのだろう。

「わ、私は西岡先生になにかしようとかそんな気持ちはありません。今回は先生が変わった理由が知りたくて思い余ってしまって。ただ、その、似ているんです。それでずっと前から気になっていて」

「似てる?」

 僕が誰かに似ているというのか。間宮の言葉に顔を上げると、気恥ずかしそうに頬を染めて俯いている。しばらくその様子を見ていたら、間宮は懐に手を差し込みなにかを取り出した。

「私の、妻です」

「……妻? お前結婚してたのか!」

 おずおずと差し出されたのは二つ折りの定期入れだった。妻という単語に驚きながら視線をそれに落とすと、間宮の指先がそれを開いた。

「え?」

 似ているといってもたかが知れていると思った。けれどそこに現れた写真は僕と明良を絶句させるには十分の代物だった。間宮と肩を並べて写っているその人を見た瞬間、僕は自分の目をこすってしまった。
 髪は肩ほどまであり胸元の膨らみが見て取れる。しかしその違いがなければ、僕は自分の写真を見せられているかのような錯覚に陥っていただろう。

「まあ、確かに似てるっちゃ似てるけど、結婚してるくせに佐樹をつけ回すとか、理由になんねぇよな」

 確かにそうだ。定期に写真を入れ、照れくさそうにするくらいに奥さんを想っているのならば、わざわざ僕を気にして追いかけ回す必要はない。
 間宮の行動は少し不可解だ。

「間宮って言うのは奥さんの姓か。甥の柏木と苗字が違うなとは思ってたけど。ってことはまだ離婚したとかいうわけじゃないよな」

 生徒会にいる一年の柏木と間宮は叔父と甥の関係だった。柏木の父親が間宮の兄なのだ。一緒に暮らしていると聞いていたので、先入観から違和感が発揮されていなかった。しかし結婚していて婿入りもしているのに実家暮らしだとわかると、なんだかものすごく違和感がある。
 はっきりしないこの状況を、間宮はなんとなく言いにくそうにしている。しかしこのままでは納得がいかないので、口を割らせることにした。

「つ、妻とは四年前に結婚したのですが。結婚してから少し様子がおかしくて、問いただそうと思った矢先に家を出てしまって」

 ぽつりぽつりと言葉を選びながら話す間宮を見て、ものすごく深いため息が出てしまった。酔っ払って羽目を外したのは、それまであった奥さんとの連絡がぷっつり切れたからのようだ。

「結婚して半年で家出ねぇ。最初からほかに男がいたんじゃねぇの?」

「あ、もしかして大学院をやめて就職したのは結婚を機にってやつか」

 話を聞いていくうちに、なるほどといままで疑問だったことがわかってきた。しかし婿入りさせて両親を預けたまま家出というのはどうなのだろう。さすがにひどい話だと思う。こういう場合は離婚することはできないのだろうか。
 いや、けれど似ているというだけで僕を追いかけてしまうほどだから、間宮に別れる意志はないのかもしれない。

「はあ、なんだよ紛らわしいな」

 あとをつけているというくらいだから、写真に関することとなにか関連があるのではと思った。しかしそれはまったくの杞憂だったというわけか。結局どれもなんの手がかりもないということだ。

「とりあえずもうやめろよな。どのくらいあとをつけていたのか知らないけど、その、わかっただろ理由は」

 いつどの場面を見られていたのかわからないが、これはかなり恥ずかしいことなんじゃないだろうか。無防備な自分を見られていたということだ。しかも藤堂と一緒にいる僕なんて隙だらけもいいところだ。

「すみません。前は人付き合いも避けている風だったのに、最近はほかの先生たちとも親しげで、少しそれが、その」

「要するに、いままで自分だけが傍にいたと思ってたわけだ。あからさまな独占欲ってやつだな。なんだかんだで佐樹自身に興味があったんじゃねぇかよ」

 呆れたようにため息を吐き出した明良に、間宮はびくりと肩を跳ね上げると身を縮めるように小さくなってしまう。
 僕はその様子に苦笑いを浮かべるしかできなかった。なんだか少し頭も痛くなってきた。正直裏切られた感はあるが、なんだかそれを考えるのも嫌になってくる。

 明良の気になるところは解決されたわけだし、もうそろそろいいだろうか。このまま藤堂に会いに行きたい気分でいっぱいだ。ため息交じりに僕は肩を落として携帯電話を見つめた。