想い03
人の一世一代とも言える決死の言葉を、あ然としながら聞いている藤堂。人は予期せぬ出来事に遭遇すると、誰しも同じような反応をしてしまうものなのか。あの日、藤堂に告白された僕の口から思わずついてでた言葉と、まったく同じことを呟き藤堂は瞬きさえ忘れている。
鳩が豆鉄砲を食らった顔とはこのことかと改めて知った。目の前で微動だにしない藤堂の姿に、僕は先ほどまでの恥ずかしさを忘れ思わず吹き出してしまった。
「……なんで笑うんですか」
突然肩を震わせ笑う僕に、藤堂はムッと口を尖らせる。その顔が拗ねた子供みたいでなんだか可愛い。
「なにかの罰ゲーム?」
「馬鹿、そんなわけないだろ」
どうしたらそんな発想になるのかと、苦笑いをして肩口を軽く拳で叩いたら、訝しげな表情を浮かべて首を傾げていた藤堂に再び抱きしめられた。
「夢だったらこのまま醒めなければいい」
「ちょ、藤堂。どれだけ後ろ向きなんだよ」
藤堂の思わぬ発言にため息をつけば、抱きしめる腕の力が強くなり思わず息が詰まりそうになる。それでもいま早鐘を打つ自分の心臓はそれより痛い。
好きだと思う人に抱きしめられることが、こんなにもドキドキとしたものなんだということを随分と久しぶりに思い出したような気がする。いままでも藤堂に触れられたりすると、鼓動が早くなってしまっていたけれど、いまはそれとはまた少し違う。ふわふわと熱に浮かされたような感じがしてくる。まさに藤堂が言うように――夢なんかでなければいい、とそう僕も思ってしまう。
「さっきから予想外なことばかりで、現実じゃなかったら立ち直れない気がするんです」
ぽつりと独り言のように小さな声で呟く藤堂。その横顔を見上げれば、ぎゅっと寄せられた眉と伏し目があまりにも切ない。その横顔を見ると、どれだけ自分のことを想っていてくれたんだろうかと、胸が少し痛む。
「人の告白を勝手に夢オチにするなよ」
切なさが伝染したような気分になり、ブレザーの裾を指先で引けば、すみませんと藤堂は小さく謝る。けれどその表情はいまだあまり晴れない。
「迷惑か」
浮かない態度を見せる藤堂に胸が痛む。戸惑っているからだろうが、喜んでくれているようには見えなくて、ズキズキとさらに胸が痛み出した。藤堂が見せるその顔はあまり好きじゃない。
すれ違ってしまったあの時のことを思い出して、後ろ姿が頭の片隅をよぎる。手を離されてしまったらどうしようかと、泣きそうな気分になってくる。
「そんなわけないでしょう」
「だったらなんでそんな顔をしてるんだよ」
いまにも泣き出しそうな僕の気配を感じたのか、藤堂は慌てたように顔を上げた。そんな藤堂をじっと見ればまたゆるりと眉が寄せられる。その表情に思わずため息がもれてしまった。どうしてそんな顔ばかりするんだろう。
「すみません。ほんとに、なんかもう、頭が真っ白で」
珍しく落ち着きなく視線をさ迷わせ、うろたえる藤堂に肩をすくめると、ますます困惑した顔になる。いまは急いても仕方ないのかもしれない。こんなに急な展開が起きたら、きっと僕でもついていけないと思う。いや、急な展開についていけなくて、頭の中がめちゃくちゃになって、どうしたらいいのかわからなくなるくらいになったのは、僕のほうが先だ。
そう考えたらなんだか少しおかしくなってしまった。
「藤堂は意外とこういうの弱いんだな」
「こんなことは先生だけです」
首を傾げて小さく笑って見せると、ふいに藤堂の頬に赤みがさす。どこか困ったように笑うその顔に胸が少し高鳴った。
「藤堂はやっぱり笑ってるほうが好きだな」
どんな時でも藤堂が笑ってくれると幸せな気分になる。胸がドキドキしたり、そわそわ落ち着かなくなったりすることばかりだけれど、それでも彼が笑うと僕も嬉しいと思えるのだ。ずっと見たかった彼の笑みに、僕は誘われるままに腕を伸ばした。
「せ、ん」
目の前で藤堂がいままでにないくらい、大きく目を見開いて僕を見た。そんな表情を視界の片隅でとらえながら、僕はなにか言いたげに開きかけた藤堂の唇を自分のそれで塞いだ。
「えっ、あの」
そのほんの一瞬の出来事に、藤堂はよろりと一歩、後ろへ下がってしまった。口元を片手で覆い、俯き視線をさ迷わせている。いまのこの現状を把握しようと、頭の中でぐるぐると考えているのがわかって、見ていて面白い。
「夢じゃないだろ」
終いには頭を抱えてうな垂れてしまった藤堂にそう言って笑えば、勘弁してくださいと呟きながら、藤堂はその場にしゃがみ込んだ。滅多に見ることができない、取り乱した藤堂の姿に優越感に似た感情が湧き上がってくる。
「先生って一度開き直ると強い人なんですね」
すっかり顔を落とした藤堂の頭を撫でれば、少しすり寄るように手に頭の重心が傾く。そういえば藤堂の髪に触れるのは初めてだ。艶やかでさらりとした綺麗な髪を撫でながら梳くと、少しくすぐったそうに藤堂は肩をすくめた。
いつもとは真逆の立ち位置――我ながらこの開き直りっぷりはひどい気はするが、昔から気持ちが落ち着くとあまり怖いものがなくなるところがある。半ば言ったもの勝ちなこの状況で、自分は藤堂が好きなのだと改めて彼に会い実感し認めたら、いままで悩んでたものが全部すっ飛んで、どこか一人ですっきりしてしまった。
「藤堂、気のせいって言うならいまのうちだぞ」
「え?」
取り乱した藤堂に対する、これは強がりな嘘――今更そんなこと言われても僕はもう後には引けない。
「馬鹿なこと言わないでください」
小さく呟いた僕の声にため息交じりで藤堂が顔を上げる。ほんの少し怒ったような表情に瞬きすれば、髪に触れていた手を掴まれた。
「それは俺の台詞です。でも、俺は気のせいなんて言われても離してあげないですけどね」
そう言ってゆっくり口角を上げ笑うと、藤堂は掴んでいた手の指先にそっと口づけを落とした。時折こうして触れる藤堂の仕草に、胸が締め付けられる想いがするのはなぜだろう。恥ずかしさや戸惑いではない。愛おしさであるのは確かなのに、その胸の痛みの理由はまだわからない。
「俺はあなたが誰よりも好きです」
そう言って優しく笑う藤堂に、開き直っていたはずの気持ちはたやすく打ちのめされた。火照る顔とひどくうるさい鼓動はやはりいつもと変わることがなかった。やはり藤堂には適わないということだろうか。藤堂の気持ちはすごく嬉しいのに、それが少しだけ悔しく思えた。僕の意固地で見えっ張りな部分がこんなところで顔を出してしまった。
でも目の前で笑っている藤堂を見ていると、そんなくだらないことはどうでもいい気分になる。