始まり07

 片平がおすすめのお店はイタリアンレストランだった。シェフ一人に店員が一人で、テーブル席が四つほどの小さな店だ。長くこの場所で営業しているそうで二十年ほどになるとか。けれど店内は古びた様子もなくとても綺麗だ。
 店には先客がひと組いたが、僕たちが注文し終わった頃に席を立った。そしてお店は貸し切りのような状態になり、食事もスムーズに運ばれてのんびりと美味しい料理を堪能できた。

「え? また帰るの?」

「帰ると言っても何日か向こうに戻るだけだ」

 食事しながらの話題はやはり優哉の話が主だ。いまは今後について話している。今回は日本で暮らす準備と、こちらでする仕事の都合で一時帰国したようだ。しばらく過ごして、またもう一度向こうへ戻る予定だとか。どうやらまだあちらでやることが残っているらしい。
 それが終わったら仕事のほうに取りかかるので、ずっと日本にいることになる。しかし勤める店が再来月に新規オープンするので、これから準備が大変なのだという。仕事はこの店のような小さなレストランで腕を振るうようだ。
 あれから四年ずっと勉強してきたから料理の腕もきっと上がっただろう。

「結婚式の二次会で使わせてもらうの楽しみにしてるわ」

「ああ、スタッフ全員で祝わせてもらう」

 片平の結婚式の二次会は、優哉が勤めるレストランで行う。店は十二月初めにオープンらしいので、片平のパーティーが一番初めの大きなイベントになるのか。

「優哉が働いてるところ、早くみたいな」

 店がオープンしたらこっそりと訪ねて行ってみようか。どんな感じのお店なのかいまから楽しみだ。

「佐樹さん。しばらくは慌ただしいけど、休みが合う時には一緒に出かけませんか」

「あ、うん! もちろん」

 忙しいだろう優哉と一緒にいられるなら願ってもないことだ。それにこっちに彼が帰ってくるとなると買い揃えたいものも多いし、二人で出かけられるのはありがたい。

「いまはいいけど、仕事が始まったら飲食じゃ休みが合わねぇな」

「学校は土日祝日休みだし、飲食はその日が稼ぎ時だもんね」

 言われてみれば確かに、休日になればなるほど優哉は忙しくなりそうだ。顔を見合わせた峰岸と三島の姿に思わず二人の時間のずれを考えてしまう。しかしいままで会わないどころか、メールや電話さえもしていなかった僕たちだ。家に帰ったらどちらかがいる生活ならばそんなに苦ではない気がした。

「もともと優哉が進みたい道はわかっていたし、そのくらいのずれは大したことないぞ」

「また先生、無自覚に惚気てる」

「え?」

「ほんと西岡先生は優哉のことなら大抵のことは受け入れられるのよね。それって簡単そうで難しいのよ」

 そういうものなのだろうか。しみじみと語る片平に思わず首を傾げてしまった。なんでも許容できるわけではないけれど、優哉のことは大体頷ける自信はある。
 よほどじゃなければ大丈夫なつもりだ。また人生の選択に迫られたら悩むだろうが、そうそうあんなことは何度も起きないだろう。

「色んなことあったしな。少しくらいのことじゃへこたれないよ」

 隣を見たら少し心配そうな顔があって、僕はその表情に大丈夫の気持ちを込めて笑みを返した。不安そうな顔を見ると抱きしめたくなる。でもさすがにいまはそれができないから、なだめるように軽く背中を叩いた。

「なにはともあれ、西岡先生はこれから新婚生活なのね」

「……っ!」

 なに気ない口調で呟いた片平の言葉に、思わず口に含んだ水でむせそうになった。ふいに四人の視線が僕に集まりじわじわ顔が熱くなる。改めてそんなことを言われると変に意識してしまうではないか。

「いままでの分、甘やかしてもらえよ」

「優哉は西やん大事にしなよ。こんなに待っててくれる人そうそういないんだからさ」

「まったくだわ。仕事忙しいだろうけど西岡先生を優先にしなさいよ」

 峰岸や三島、片平の言葉になんだかむず痒くなる。うろたえて落ち着かない気持ちになり、思わず視線があちこち泳いでしまった。けれど膝の上で握りしめていた左手に、そっと触れたぬくもりに気づき僕は優哉を振り返る。そこにはまっすぐな優しい眼差しがあった。

「佐樹さんのことは一番に大事にするから」

「……うん。ありがとう」

 僕の左手を強く握った優哉は真剣な表情で僕を見ている。そんなことを言われては頷き返すしかできない。しばらく気恥ずかしくて俯いていたら、みんなは自然と話題を変えてくれた。
 けれど和やかに会話や食事が進む中、テーブルの下で握られた左手はそのままだ。手のひらを返して優哉の右手を握り返すと、しっかりと指と指が絡みつなぎ合わされた。そこにあるぬくもりになんだかひどく安堵する。

「そうだ。今日からうちに帰ってくるんだよな?」

「あ、はい。急で申し訳ないんですけどいいですか?」

「いいに決まってるだろう。お前がいつ帰ってきてもいいように部屋は片付けてあるよ」

 こんなに急に帰ってくるとは思いも寄らなかったけれど、いつ帰って来てもいいように家は迎え入れる準備はできている。でも冷蔵庫の中身はあまり充実していないので、少し怒られてしまうかもしれないな。食生活は相変わらず適当さが抜けない。

「あ、みんな明日もあるからそろそろお開きにしましょう」

 しばらく五人で尽きない話をして盛り上がっていたが、片平の言葉を聞いて腕の時計に視線を落としたら、二十一時にもうすぐなるところだった。ここに来たのは十九時半頃だからもう一時間半は経つようだ。
 食事のあとにドルチェを食べてエスプレッソまで飲んで随分と満喫した。正直言えばまだまだ話足りない気分だが、明日も平日でみんな仕事が待っている。

「今日は俺たちのおごりだから」

「え? でも」

「いいのよ! それに今度二人になにかおごってもらうから」

「うん、今日はお祝いみたいなものだしね」

 会計は素早く峰岸がカードで済ませた。まさかおごってもらうことになるだなんて思っていなかったから少し戸惑う。けれど片平や三島の押しの言葉もあり、ここは素直に受け入れることにした。
 またどこかで集まった時にごちそうしてあげればいいか。そう思って優哉を振り返ったら、僕の目を見て小さく頷いてくれた。きっとまた近いうちにこのメンバーで集まることはあるだろう。

「じゃあ、みんな帰ろうか」

 店を出るとそれぞれ帰路の確認をする。片平や峰岸は最寄り駅の沿線らしく、ここから駅まで十分とかからないので歩いて行くという。けれど僕と優哉は少し遠いので、乗り換えて移動しなくてはならない。
 なので三島が車でマンションまで送ってくれるようだ。駅まで一緒に歩いてもよかったが、通り道だからと言われ素直に甘えることにした。

「今度また車出す時は僕が運転するぞ」

「え? あー、そうだね。飲みの時はお願いしようかな」

 今日は車の運転で飲めなかった三島だけれど、お酒はそこそこ飲むのを何度か一緒に食事をして知っている。どうせ僕は飲めないのだし、代わりに運転したほうが理にかなっているだろう。

「それにしても片平も峰岸も強いよな」

「あの二人はいまのところ二日酔い知らずだね」

「そうなのか。今日もかなり飲んでたしな」

 今日は片平と峰岸で一人一本ずつワインを空けていたはずだ。いつもより飲んでる印象は強かったが、それでも少し饒舌になったり陽気になったりするくらいで、酔っ払ったという感じは見られなかった。
 二人の底知れなさに驚くばかりだ。しかしなんだかんだと僕の周りは酒豪が多い気がしてきた。まったく飲めないので付き合えないのが少し残念だ。
 優哉とも二人でお酒を酌み交わしたりしたかったな、なんて思ってしまった。