夏日25
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 ほどなくしてあずみや弥彦たちと合流した俺たちは、佐樹さんが自由行動出来ることもあり、園内を回って歩くことにした。何度となくほかの部員たちと鉢合わせになり、写真を求められ断る俺とは反し、峰岸は声をかけられれば然して気にすることもなくそれに応えていた。

 あの気安さは峰岸の長所であるから、こちらが気にすることではないが。それほど親しくもない他人のアルバムに自分の写真が収められるというのは、俺的にはあまり好ましくない。
 この拒絶感の原因の半分はあずみにあるのだが、当の本人はまったく悪びれる様子はない。最近までまだ隠し撮りしていると弥彦から耳打ちされ、きつく言い含めたが果たしてそれもいつまでもつか定かではない。

 そんなやり取りの中で佐樹さんもまた多く写真を求められている。代理顧問もしていて、親しみやすい雰囲気もある彼だから、生徒たちに好まれやすい性質だ。
 そんな彼は頼み込まれると意外に断れないほうなので、うまく丸め込まれてしまうところがある。そしてそんな様子を見ているこちらは心配でたまらない気分になってしまう。

「ありがとうございますっ」

 頭を下げて去っていくその姿と声に俺が気づく頃には、ひらひらと手を振って峰岸と佐樹さんが笑みを返していた。そんな姿にほっと息を吐くと、傍にいたあずみが口元に手を当てながら小さく笑った。その癖はなにか悪巧みをしていたりすることが多い。しかし眉をひそめて見下ろせば、なにを言うでもなくあずみは道を歩き出した。

 そんなあずみを先頭に弥彦と峰岸が続く。佐樹さんはほんの少し距離を置きながらも、俺の斜め後ろを歩いていた。これが学校の部活動などでなければ、すぐ傍にいる彼の手を握りしめているところだ。
 そっと後ろを振り返れば、視線に気がついた佐樹さんが顔を上げて小さく首を傾げる。そんな不思議そうに瞬かせる瞳と可愛らしい表情に、思わず自然と笑みがこぼれてしまう。すると一瞬だけ目を見開いた彼が頬を朱に染め、ぎこちなく俯いた。

 本当にこの場所に誰もいなかったら、いますぐにでも抱きしめて、ほのかに染まる頬に口づけて、俯いた視線を自分に縫い止めてしまいたいくらいだ。――そんなことをふと思いながら、自分の自制心がだいぶ緩んできていることに気がつく。
 外で気安く手を握るなんてしてはならないし、ましてや口づけるなんてことも考えてはならない。ふっと息を吐いて気持ちを切り替えると、俺はまだ少し俯いている彼を横目で見てから、視線を前へ向けた。

「わぁおっ、ここ絶景だ」

 しばらく緩い上り坂を歩いて行くと、草木で覆われていた風景が一転して拓けた。たどり着いた場所は小高い丘になっていて、柵で囲われたそこにはのんびり景色を眺めるためかベンチが二つほどあった。

 大きな声を上げて感動をあらわにするあずみの言葉通り、そこは見晴らしがよく公園内が一望出来るのではないかと思えるほどのパノラマだった。広い中央の広場とその近くにある湖の周りをぐるりと囲むサイクリングコースや散歩道。施設や観賞用の建物、それと手入れの行き届いた庭園や竹林も見える。

 この場所は木々の木陰が作り出す涼しい風が吹いて、暑い夏を忘れさせてくれるようだ。清々しいほどの風が吹き抜けるそこで一同、しばらくぼんやりと立ち尽くしてしまった。

「ねぇ、ここで記念撮影しよ」

 静かな景色に目を奪われていた皆の中で、いち早く我に返ったあずみが弥彦の腕を引く。するとそれに気づいた弥彦があずみの言葉を察したのか、肩にかけていた鞄から折りたたみの三脚を取り出した。そしてあずみが差し出したカメラを受け取りそれを三脚にセットすると「とりあえず並んで」と俺たちに声をかける。

 その声にあずみと俺と佐樹さんはカメラの前に立つが、峰岸だけが動かなかった。それを不思議に思ったのか、ふいに顔を上げて弥彦は首を傾げた。しかしそんな弥彦の反応に、峰岸も不思議そうな表情を浮かべて首を傾ける。

「峰岸?」

「ん?」

 困惑している弥彦同様に峰岸もいまいち状況をよく理解していないようだった。

「なんで入らないの?」

「え? 俺?」

 訝しげな視線に変わった弥彦のその目に、峰岸はひどく驚いたような声を上げた。珍しく慌てふためく峰岸の姿を俺たちは物珍しげに見つめる。しばらくそうしていると、息を長く吐き出したあずみが肩をすくめた。

「今更感が満載。あんたの顔なんて散々そのカメラの中に収まってるわよ。さっさとこっち来なさいよ。時間がもったいない」

「あー、マジで、そっか。そうなのか」

 苦笑する峰岸と呆れ果てた表情を浮かべるあずみのやり取りで、峰岸の少しばかりわかりにくい謙遜が伝わった。峰岸なりに俺たちの中に混じっていることを遠慮しているつもりだったのだろう。

 月島たちと別れた時に俺が引き止めなければ、多分峰岸はほかのどこかへ紛れていたに違いない。いつもふざけた調子で遠慮もなく踏み込んでくる男ではあるが、あまり自分が歓迎される立場でないことを感じていたのだ。
 ほんの少し照れくさそうな表情で歩いてくる峰岸を見て、佐樹さんは小さく笑う。彼もまたこの場の空気を感じ取ったのだろう。

「あっちゃんと西やん前で、峰岸は真ん中ね。タイマーは十秒だから、行くよ?」

 そう言ってボタンを弥彦が押すとカメラのタイマーが動き出し、ちかちかと光が瞬く。急いで走ってきた弥彦が峰岸の隣でほっと息を吐いて数秒、カメラがシャッターを切った。そしてあずみは小走りにカメラに駆け寄り、いまの写真を確認する。その顔は至極満悦した笑みで、思いのほかうまく撮れたのだろう。

「今日一日ここで撮ったもので展覧会に出せそう」

「そういえば、写真部のその展覧会はいつなんだ?」

 カメラを手にして満面の笑みを浮かべるあずみに、佐樹さんはゆっくりと近づいていく。その気配を察して顔を上げたあずみはほんの少し考える素振りをしてから、彼の目を見つめ返した。

「来月の半ばくらいからだったはず。来客や各校の先生方なんかの得票が多いと全国で展示されるから、最後の三年は毎年気合い入るのよね。いつもうちの高校は予選敗退だから余計力が入るわけ」

「片平は写真の専門に進むのか?」

「そのつもり。だからちょっとは箔を付けておきたいのよね」

「そうか、そうするとお前たちみんな、それぞれの道歩いていくんだよな。半年とかなんてあっという間なんだろうな」

 ガッツポーズして片目をつむったあずみに、佐樹さんはふっと目を細めて笑った。
 もう八月も終わりが近い。夏休みが終われば生徒総会や体育祭、文化祭などが立て続いて行われる。行事ごとが終われば三年はもう進学や就職に向けて一直線だ。そんな風景を想像して、きっと少し寂しさを感じたのだろう。優しげな瞳にはこれから先の平穏を願う慈愛の光が浮かんでいるが、どことなく切なさを感じさせる色も含んでいた。

「じゃあ、まだ少し時間あるし、のんびり反対側も回ってから広場に戻ろう」

 時計を確認してカメラを首から提げると、あずみは三脚を片付ける弥彦を見上げた。その視線に応え了承した弥彦は鞄から地図を取り出して、現在地を確認すると指先で地図をなぞっていく。来た道とは違う、広場へ戻る道順だ。

「帰り道もじゃんじゃん写真撮っていくわよ!」

 気合いの入ったあずみの声に若干気圧され気味の弥彦と峰岸は、ふと顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
 そんなやり取りをじっと見つめる佐樹さんの視線にほんの少し胸が痛くなった。俺たちが卒業してしまえば彼はまた一人になる。いまが楽しいほどに寂しさが膨れるのだろう。思わず俺はそっと彼の手を握り、その視界を遮るように口づけをした。
 予想もしなかったであろう俺の行動に彼は顔を真っ赤にして俺を見つめる。けれどいまここで非難されようとも、目の前の瞳に映る自分の姿に俺は安堵する。この人が傷ついたりしない未来であって欲しい。俺はそう願うばかりだ。

 行きの道は和風の建物や風情を模した雰囲気だったが、帰り道はそれとは反した洋風の建物や煉瓦の石畳、綺麗に整えられたイングリッシュガーデンが広がっている。それは外国にあるどこかの森に迷い込んだかのような錯覚をしてしまうほど見事だった。夏の暑い時期だからそんなに花は咲いていないのだろうと思っていたが、それは間違った思い込みで、庭園には小さな花があちこちで花びらを広げていた。

「佐樹さん花も好き?」

「あ、ああ。育てるのはまったく駄目だけどな」

 しゃがみ込んで花を眺めている佐樹さんの顔を、膝に手を置いて覗き込む。すると少し驚いた顔をしたあとふっと息を吐くように笑い、困ったように眉を寄せた。どうやらこの顔では謙遜ではなく本当に植物の類を育てるのは苦手なのだろう。そんな様が可愛く思えて俺は小さく笑ってしまった。

「笑うなよ。本当に致命的に駄目なんだよ」

「一緒に暮らせたら、ベランダでなにか育てましょうか。花だけじゃなくて、料理に使えるものなんかも簡単に育てられますよ」

 花壇のすぐ傍にはハーブなども植えられていた。知っている限りの花やハーブの名前を教えてあげると、佐樹さんは子供みたいなキラキラと輝いた目でそれらを見つめた。けれどそんな横顔を見ているといますぐにでも攫ってしまいたい衝動に駆られる。
 心の内側が目の前の愛しい人で埋め尽くされてしまいそうになる。しかしそんな自分に思わず落ち着けと、心の中で囁きかけてしまった。

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