知りたい、心の中
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 素直でまっすぐで、少し不器用そうに見えるけれどひどく優しい。こんな人が片想いをしているのが、不思議でならない。

「まだ好きな人に、告白していないの?」

「……うん」

「もう付き合ってるかと思ってた」

「え?」

 それとなく聞いた恋路の行方は、意外すぎるものだった。毎日のように図書館で一緒にいることを鑑みれば、答えは一つと思っていたのに。
 高校の頃から一緒と言っていた。やはり長く隣にいすぎて、タイミングが見当たらないのだろうか。

 隣でビールを飲む横顔をじっと見つめながら、天音は追加注文したサラダを箸先でつまむ。
 そして黙ってシャキシャキのレタスを咀嚼すると、ゴクンと飲み込み、意を決したように箸を置く。

「僕、なにか手伝おうか?」

「てっ、手伝うって、なにを?」

 ゴフっと、飲みかけのビールを吹き出しかけた中原が、驚きの表情で振り返る。普段は感情の振れ幅が少ない、彼にしては珍しい慌てふためきよう。
 箸先のフライドポテトを数回取り落とし、最後には箸を突き刺した。

「なにか告白の手伝いが、できないかと思ったんだけど」

「……ありがとう。でも俺、いまは遠藤さんといるほうが楽しいし」

「僕?」

「うん。遠藤さんといるのが居心地が良い。なんだかほっとするんだ」

「その人はそういうのとは違うの?」

「んー、一緒にいて楽しいんだけど。最近は少し居心地悪くて」

「喧嘩でもしたの?」

「いや、特には。いつも通りだよ」

 ご飯を食べに行くくらいだ。喧嘩はしていないのは、嘘ではないのだろう。現に雪宮は楽しそうにしていた。
 それなのにどうして急に、居心地悪くなってしまったのか。

 少し前まではたまに顔を合わせるだけでも、とても喜んでいる様子だったのに、なにかあったのだろうか。
 天音としては自分といることが楽しい、そう言われるのは嬉しいことだけれど、彼の心の変化も気になる。

 急に声が聞こえなくなったことと、なにか関連があるとか。

「遠藤さん」

「え、なに?」

 皿に視線を落としていた中原が振り向き、ひどく困惑した表情を浮かべている。目の前にある表情の意味がわからず首を傾げたら、ますます複雑そうな顔になった。

「遠藤さんって、まっすぐに人のこと見るの、クセなの?」

「クセ? ……そ、そんなに見てる?」

「うん、わりと。嫌とかってわけじゃないんだけど。あんまり見つめられると、ドキドキしちゃうよ」

「ド、ドキドキって。もう、やだな。中原くんはすぐそうやって、無自覚に甘いこと言うから」

 照れくささを誤魔化し、天音はとっさに隣にある背中をバシバシと叩いてしまった。勢いに驚いたのだろう中原が、目を瞬かせて見つめてくるので、急に頬が熱くなる。

「そういえば僕も、前に同じようなこと言ったね。ごめん、これ恥ずかしいね」

「あの時の俺の気持ち、わかった?」

「う、うん。あー、えっと、あんまりまじまじ見ないようにするね」

 自分ではまったく意識していなかったが、言われてみるとクセなのかもしれないと思った。人の視線の先を追いかけて、顔色を窺うクセ。

 人の好さそうな顔で笑っている人も、心の中では黒いものを持っているのでは、と疑ってしまう。
 それは天音の心のクセだ。

 とはいえ中原はほかの人とは違い、余計な心配はいらないのだから、懐疑心を抱く必要性がない。視線が引き寄せられるのは、違った理由だ。

「最近の中原くん、ちょっとだけ表情が増えたから、気になるのかも」

「そう、かな?」

「照れたり笑ったり、びっくりしたり慌てたり。カウンターでやり取りしてるだけの時は、見たことなかったな」

 以前の中原は、はっきり言って愛想がなかった。誰に対しても一度たりと、表情を崩したことがない。
 毎日のように接して、人にお礼が言える、素直な子だと知らなかったら、気に留めることもなかった。声が聞こえることも、なかったのではないかと思う。

「遠藤さんの傍にいると、不思議と気持ちがあったかくなるんだよね」

「そんなこと言われたの、初めてだな。気を使わなくていいから楽だ、とは言われたことがあるけど」

「恋人に、気遣えないような相手は、良くないよ。遠藤さんは気持ちを先回りして、フォローできてしまうんだろうけど。そこに甘えきったら、遠藤さんが押し潰れてしまうのに」

「中原くんは、優しいね」

「遠藤さんのほうが優しいよ。陽だまりにいるみたいで、もっと近くにいたくなる」

「そういうの、もっと好きな人に伝えたらいいのに」

「……そうだよね。でもなんでかな。あいつには言葉にしようと思わなかったんだけど。遠藤さんには、伝えたくなる」

 戸惑ったように顔を俯かせる中原は、ビールに口をつけ小さく息をつく。心の中は見えないけれど、感情の整理ができずにいるのは、見ていると分かる。

 とはいえ雪宮に言えなくて、自分には伝えられる、その違いはさっぱり分からない。
 椅子に引っかけられた、中原のトートバッグが目に留まり、知りたいという気持ちがうずうずとする。

 少し後ろ暗さはあるものの、いまの中原とは波長がズレているようだし、聞こえない可能性のほうが大きい。
 心の中で言い訳をして、彼がこちらを見ていないことを横目で確認すると、天音はそっと指先を伸ばした。

「あっ、遠藤さん! 電車は大丈夫?」

「えっ! 電車? あ、えっと」

 そろりと伸ばした指が鞄まであと数ミリ、と言うところで中原が振り向いた。不自然に飛び上がってしまうが、真剣な面持ちでスマートフォンを向けられる。

「二十三時、……もうこんな時間だったんだ」

「ここ、駅まで少し距離があるし、大丈夫?」

「うん、平気。僕のマンション、ここから徒歩で三十分とかからないから」

 ここへ来たのは二十一半を回った頃。長居せずに帰るつもりでいたのに、思いのほか時間が過ぎていたことに驚く。久しぶりに中原と話せたから、なのは間違いない。

 もう少し話をしていたいけれど、さすがにもう帰らなくては、明日の仕事に支障がある。

「お会計お願いします」

「遠藤さん、タクシー呼ぼうか?」

「酔ってもいないし、平気だよ。店長さん、ごちそうさまでした」

「おう、また来てくれよ」

 店主の言葉に、天音は自然と笑みを返すことができた。来た時に沈み込んでいた気持ちは、いつの間にか浮上している。やはり中原は癒やし系だ。一緒にいると時間が優しく流れていく。
 たまにでもいいから、またこうして話がしたい。

「中原くん」

「なに?」

「あ、えっと、今日は久しぶりに話せて、楽しかった。また……図書館でね」

 良かったらまた二人で――という言葉が紡げなかった。せっかく雪宮といられる時間が増えたのに、邪魔をするようで申し訳なくなった。

 友人としての付き合いくらい、そう思うけれど、なぜだか後ろめたさを感じる。

「じゃあ、またね。おやすみ」

「……」

 このまま一緒にいると、なにかいらぬことを言ってしまいそうだ。まっすぐに見つめてくる中原の視線から目をそらすと、天音は慌ただしく会計を済ませ、足早に店を出た。

「なんだろう。ドキドキするし、胸も苦しい」

 きゅっと引き絞られるような、甘苦しい胸の痛み。その意味に気づきそうになり、振り払うように頭を振った。
 それなのに心が勝手に先走る。

 あの優しさがすべて、自分だけに向けられたらいいのに――

「遠藤さん!」

「えっ?」

 ふいに聞こえた声と、手首に触れた熱に、胸の音が止まりそうになった。

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