ぶつかり合いと食い違い
「却下だって言ってるだろう」
「いや! これは絶対にオレンジやイエロー系にするべきだよ!」
「いや、寒色一択だ。ブルーでいい」
「配色のバランスを考えても、ここは」
「そんなふわふわした色、このサイトのイメージじゃない」
小さな会議室。そこで机を挟み睨み合うのは、WEB制作会社のコンテンツ部主任、西崎礼斗と出向社員の上条直輝。
二人はこの一ヶ月、なにかあるごとに対立し合い、言い争いをしている。
吼える虎のごとく、いまにも噛みつきそうな直輝に、礼斗は灰褐色の瞳を冷ややかに細めた。その眼差しは、ビスクドールのような美貌に凄みを持たせる。
うっすら紅を差したかのような唇。白く透き通る肌。射し込む陽射しに透かされた薄茶色い髪。礼斗の美しさは、どれも一級品。
だが常日頃、眉間にしわを刻み、仁王像のような表情をしているため、さながら鬼神だと、社内ではもっぱらの噂だ。
「誰が鬼だって?」
こそこそとした声に礼斗が反応すると、その場にいたほかの社員たちが、飛び上がるように背筋を伸ばした。
「悪口は言ってませーん」
「鬼神のごとく気高いって言う意味です」
「今日も主任は切れ味抜群ですね」
三者三様の言葉に、礼斗は小さく息をつく。彼らはいつもこの調子だ。鬼だろうが夜叉だろうが、お構いなしに茶々を入れる。
痛くなる頭を抑え、しばらく手にした資料を見つめていたが、それを放り投げると、黒縁眼鏡のブリッヂを押し上げ、腕組みをした。
「この件は」
「待って! ウェブサイトは確かに、会社の顔にもなり得るから、印象を変えるのは慎重にすべきだけど。これはイメージアップになるはずだ」
いまにもバッサリと、話を打ち切ろうとしている礼斗に気づいた直輝は、遮るように語気を強めた。そんな言葉に秀麗な眉が、不機嫌そうにひそめられる。
「イメージアップ? どこをどうしたらこれで、会社のイメージを崩さないんだ? 若者受けを狙ったサイトじゃないんだぞ。あんたは馬鹿か」
「西崎主任。言い過ぎでーす!」
「こっちもなかなかいいと思いますよ! 全部ダメ出しするほどじゃ」
「足して二で割ったらどうでしょう」
「うるさい。いま二人で話している」
なぜだか揃いも揃って、直輝の肩を持つ部下たちにぴしゃりと言い切ると、礼斗は前を見据える。
「バイタリティは買うけど、奇抜さが欲しいわけじゃない」
「あのさ、センスって知ってる?」
「はあ? 俺はこのサイトに三年も携わっているんだぞ。先方の好みだって、十分にわかっている。大体」
明け透けな言葉に、礼斗はカッと頭に血を上らせた。しかしさらに口を開こうとすると、たたみ掛けるように直輝の言葉が続く。
「年数の問題じゃないよ。アヤのこれは全部ワンパターン」
「馬鹿か、会社の色ってものがあるんだよ! と言うか……名前で呼ぶな!」
「アヤはアヤだろう。なにをいまさら。じゃあ、礼斗って呼べばいいの?」
「馴れ馴れしい!」
大げさに肩をすくめてみせる直輝に青筋を立てた礼斗は、勢いよくその場で立ち上がり、机に手を叩きつけた。
だが大きな音を立ててみせても、彼は悪びれた様子もなく、飄々とした顔をしている。
ジューンブライドだよね、と言って、いきなり先月退職した社員の穴。それを埋めるために、関連会社から出向してきた上条直輝は、礼斗と反りが合わないと言うだけではなかった。
大きな声では決して言えない。大学二年の頃に付き合っていた元恋人同士、と言う微妙な関係だった。
彼がグループ会社に勤めていたのは、想定外だったけれど、同じ大学で一緒にデザインを学んでいたので、同職に就いていても不思議ではない。
だとしても寄りにもよって、礼斗が主任を務める部署に、偶然やってくるとは思いもしなかった。
別れてから六年――もうすっかり忘れた気でいたのに、あの頃と変わらぬ声音で名前を呼ぶから、礼斗は調子が狂う。
しかしそれよりも、意見の食い違い、ぶつかり合いのほうに、辟易させられた。
「畜生! 見た目は昔のまま、俺の好みなのに! くそっ! 腹立つ! 信昭、酒だ。酒の追加!」
「元彼は、爽やか系イケメンだったっけ? だけど性格の不一致で別れたんだろ?」
おちょこを叩き割りそうな勢いで、カウンターへ戻す。そんな礼斗の様子に、小料理屋の店主――湊谷信昭は、呆れたようにため息をつく。
平日の夜。オフィス街にある店は、そろそろ閉店が近い。座敷が二つに、カウンターが六席ほどのこぢんまりとした店には、いま礼斗しかいなかった。
去年の春に開店したばかりの店。くだを巻く礼斗に、客が恐れをなして帰ってしまった、わけではないのが幸いだろう。
鬱憤が溜まるたびに、ここへ来て愚痴を吐いている礼斗は、常連の中では有名だ。美人なのにかなり口が悪いと。だがそれが面白いと、評判であったりもする。
「少しは仲良くやれよ。もう大人なんだし」
「わかってるよ。だけど絶望的に、あいつとは昔から意見が合わないんだよ」
「お前は昔から意固地だからな」
「うるさいな」
三つ年上の幼馴染みは、礼斗の欠点をよく知っている。そんな彼に諭されて、ひどく決まりが悪い。なみなみと注いだ日本酒をあおりながら、礼斗は大きな息をついた。
笑顔が爽やかで、明るく人なつこくて、この上なく優しかった、元恋人。顔も性格も好みで、悪いところはほとんどないに等しいけれど、意見の食い違いが多い。
いや、多いどころではない。趣味嗜好が最悪なほど合わなかった。
「礼斗は自分の意志を曲げなさすぎるよな」
「仕方ないだろ! 嫌なもんは嫌なんだ。大体食べ物の好みからして、違うんだから」
「確か目玉焼きのことで喧嘩したんだっけ」
「半熟卵なんか食えるか!」
固焼きソース派と半熟醤油派。些細なことだけれど、衝突のきっかけはそこからだったような気がする。
そのあともコーヒーはなにも入れないだとか、鍋の締めはラーメンだとかうどんだとか。
しかし食の好みは生活していく上で、譲れない。これから一緒に暮らそうと思ったら、なおさらのこと。
「もしかして寄りを戻したいのか?」
「え? いや、まさか。それはない」
「まあ、戻すにもお前から振った相手だもんな。気まずいか。でもその気がないなら、適当にあしらえば?」
「うーん、まあ」
最後に礼斗が言った言葉は――お前となんかやってられるか、だ。決して円満な別れではなかった。
再会したいまを見ればわかる通り、昔もあの調子で喧嘩がエスカレートして、ついには売り言葉に買い言葉で別れた。だからこそ寄りを戻すだなんて、いままで考えたことがない。
そもそも再会をして一ヶ月、言い争いばかりで、再燃するようなエピソードが一つもなかった。
とはいえ適当にあしらえるほど、非情にもなれない。
彼に対する感情は、言葉にするにはひどく難しい、曖昧なものだった。