城下町へ着いたら早速とばかりに、雪兎はリューウェイクの手を引いて馬車を降りた。
御者には呼び出し用の応答石――魔力を通すと対の石が点灯する――を渡しておくのが常だ。
だというのに「呼び出さないかもしれないから待機はしなくていい」などと言って笑みを浮かべた雪兎に、リューウェイクは焦りが湧いた。
「ユキさん、なんであんな」
「なぜって? 今日は一日リュイを独り占めする日なんだ。明日の午前中いっぱい、自由でいいと言われているし、夜までゆっくりしたっていいだろう? もしかして、嫌だったか?」
「えっ? 嫌、というか。仕事以外で、夜遅くまで王都を歩くなんてなくて」
隣を歩く雪兎に覗き込まれ、リューウェイクの肩が大げさに跳ねる。
じっと覗き込んでくる瞳のせいで、頬が熱を帯び始めてゆらゆらと視線が揺れた。
「要は遊んだ経験がないんだな。確かに俺と城下へ下りているときでも、どこか仕事モードが抜けてなかったな」
「ごめん。つい癖で」
普段からなにげなく歩いていても、視察や巡回目線になってしまい、あちこちへ意識を向けてしまっている。
すべてを頭の中から放り投げて、場を楽しむという経験がリューウェイクにはなかった。
自分の面白みのなさに気落ちすると、リューウェイクの腰を抱き寄せた雪兎はこめかみへ唇を寄せる。
「いいさ、これから俺と色んな経験をしよう。まずは定番のカフェデートだな」
「カフェデート?」
「こっちでもわりと定番だと聞いた」
リューウェイクの手を取り、歩き出した雪兎の後ろをついていくと、ぐいと引き寄せられ、隣まで寄せられる。
驚きでリューウェイクが顔を上げれば、繋いだ手がほどけてするりと腰へ回った。
「デートしてるんだから隣、だろう? また後ろへ引いたらこのまま歩くぞ」
「そ、そういうものなんだ? このままはさすがに、ちょっと恥ずかしい」
ぴったりと体が密着した状態は、布越しでも体温が伝わるようで、リューウェイクは頬どころか耳まで熱くなる。
いくら見た目がいつもと違っていても、ここまで密着して歩く者は少ないので人目を引く。
「いまはなにも考えず、俺と一緒に楽しむことだけ考えたらいい」
「あ、うん」
やんわりと細められた眼差しに込められた、優しさで胸が温まる。
それと共に、知らぬ間にひどく緊張していた自分に、リューウェイクは気づく。
一緒にいて雪兎が楽しめなかったら、慣れないために迷惑をかけたら、そんな考えばかりだったが、彼はそこに気づいてくれた。
そもそも彼が望むのは、リューウェイクが二人の時間をなによりも満喫する、それだけだ。
「行こうか」
「うん」
差し出された手をリューウェイクがぎゅっと握れば、雪兎は嬉しそうに笑ってくれた。
雪兎の言うカフェデートとは、ティールームでお茶を飲んでケーキなどを食べて楽しむというものだった。
ただ少し、彼の顔が良すぎるせいで変に目立ってしまったように思う。
それでも色とりどりなケーキを前に、雪兎が瞳を輝かせていたので、彼の様子を見ているだけでリューウェイクは十分に楽しかった。
たとえ一種類ずつフォークを差し向けられて、餌付けされている気分だったとしても。
「ユキさんは、こういったデートは慣れているんだよね」
「……まあ、それなりに。リュイみたいに喜んで付き合ってくれる子はいなかったが」
「ケーキ? 男性が甘味を食べるのは別に恥ずかしい行為ではないけれど」
食後のひと息をつきながら、なにげなくリューウェイクが問いかけると、テーブルの向こうにいる雪兎はほんの少し眉を寄せる。
質問に気分を害したというよりも、思い出した事柄があまりいい記憶ではなかったのかもしれない。
わずか俯いていた雪兎の視線が、ふいと遠くへ向けられ、考え込むような表情に変わる。
店内は女性同士の客も男女の客も、もちろん男性の二人組もいた。
皆、和やかに笑顔を浮かべながら語らっていて、いまの時間を楽しんでいるのがわかる。
「俺の傍に来るのは大抵、容姿、財力、肩書き……あとは体目当てが多いな」
さらっと言われた最後の言葉に、リューウェイクは口に含んだお茶を吹き出しそうになった。
ぐっとこらえてハンカチで口元を押さえれば、雪兎は苦笑いを浮かべる。
「みんな俺の金で散々買い物して遊んだあとは、ホテルに直行したがる」
「ホテル?」
「宿だ。貴族向けの高級宿みたいな感じか。泊まる以外に使う理由なんて一つだろ?」
「あー、なるほど」
「そんな繰り返しをしていると、俺はこの子のどこが好きだったんだろうと考え始めて、悩んでいるうちに別れ話をされるのが毎度のパターンだ」
「えっ?」
あまりの想定外な言葉に、リューウェイクは声が大きくなってしまった。
周りの視線がこちらへ集中して、咳払いをして誤魔化す。
しばらくして視線が散ると、口直しにお茶を含み気持ちを落ち着けた。
まさか彼が恋人に振られるなどという、バカな話がありえるのかと、リューウェイクの頭の中は疑問符だらけだ。
とはいえ雪兎が嘘をついたり、勘違いしていたりなどもありえないだろう。
悩んでいるあいだの行動に、ためらいや迷いが出たのに気づいて、相手が見切りをつけたという理由なのか。
(それってそもそも相手が、ユキさんをていのいい装飾品や財布扱い、本当に体目当てだよな。紳士だけでなく、貴婦人でも見栄えのする若者を囲って見せびらかす者はいるが)
懐に入れた人に対し甘々――間違いなくこれが原因だ。
元より優しすぎる人なのだ。リューウェイクに対しても、最初からあれこれと気を配ってくれた。
だとしてもそこにつけ込む相手にリューウェイクは腹が立つ。
これほどの男を手にしておきながら、自分都合で切り捨てる行為が許せない。半ば嫉妬なのかもしれないが、心がもやもやとする。
雪兎は運がなさすぎる。ろくな相手に引っかからないとは、ほかの部分に能力が振り分けられすぎて、恋愛面に回らなかったのか。
彼の不憫さに切なくなるが、それ以上にリューウェイクの心では一つの感情が強くなる。
「ユキさん」
「ん? どうした?」
「僕が幸せにしてあげます。いままでの相手など霞むくらいに、貴方を大切にします」
「そう、か。……そうか、それはとても楽しみだな」
驚きで丸くなった暗赤色の瞳が、次の瞬間、意味を悟り柔らかく細められた。
至極嬉しそうに頬を緩めるその顔に、リューウェイクはほっとしつつも、これでは彼の気持ちに応えることになると気づく。
だが言葉を撤回する気もなく、したくもない。
思いを固めるきっかけにしては、あまりに些細な場面だ。
しかし元の世界に戻った雪兎が、また傷つくのではと思えば、リューウェイクは自身が傍に寄り添い、彼の笑顔を守りたい。
「貴族とか平民とか階級はないが、俺の国でも同性は結婚はできないんだ。リュイが望むなら外国で」
「別に結婚しないと傍にいられない、ってわけじゃないよね?」
「ああ、それはもちろん。妹だけじゃなく、両親も兄も俺の性対象には理解があるし」
「……ユキさんって、女性に見向きをしないとは思っていたけど。恋愛対象が同性だったんだね。良かった、運良く目にとまって」
(慣れない場所でうっかり同性に惚れてしまったのでなければ、彼の傍にいる努力を怠らなかったら……捨てられないよな)
この世界に喚ばれた聖女とは違って、リューウェイクは雪兎の世界になにかをもたらす存在ではない。
諸手を挙げて国が受け入れてくれる場所ではないのだから、頼みの綱は雪兎のみ。
異世界で自分の場所を作る努力をするつもりではあっても、彼と別れる結果になると、リューウェイクは慣れない世界で一人きりになる。
呼び戻そうとする者が現れない限りは、おそらくこちらへ戻るのは無理だろう。
「リュイ、運良くなんかじゃない。俺は……正直に告白すると、初めて会った時から君が気になって仕方がなかった。目が合った瞬間、その場にリュイしか感じられなくなったほどだ。女神の救ってほしい人間が君だと知らされる前から。妹と変わらない年若い君に対し、とっさに子供だと線引きしなくてはいけないくらい、惹かれてた」
「さ、最初、から? 警戒されているとばかり」
「ある意味、そうかもしれないな。あまりにもリュイへ心が動くから、なにかあるのではと気を張っていた」
「なるほど、だからか」
「女神には俺を喚んだ理由が、リュイと一番、魂の輝きが似ていたからと言われたが、それを惹かれる理由にはしたくない。うろたえ戸惑いながらも、扱いあぐねる俺に真摯に向き合う君が、他人に心を尽くし寄り添う努力をする強く優しい君が、俺は好きだ」
「あ、え、っと」
「リュイ、俺は君を手放したらこれから、一生、誰も愛せないと思う。だから元の世界に戻っても、リュイにずっと傍にいてほしいんだ」
逸らすことが許されない力強い瞳に見つめられて、リューウェイクは頬が、顔が、体が熱くて仕方がなかった。
人を愛するとはこんなにも深く強い感情なのか。
なにげない日常では見えてこないだろう、心の奥にある愛情を雪兎はわざとリューウェイクの目の前へ差し出す。
愛され慣れない恋人にわかりやすく愛を伝えてくれるのだ。
雪兎はこの上なくできた男で、人としても恋人としても、実体験や周りの体験談を鑑みても、ここまで優れた男性をリューウェイクは知らない。
どんなに完璧に見えても人間はどこかに欠点があるものだけれど、隙もなく逆にあまりの優秀さに惚れ直すばかりだ。
それが頼もしくあり、少しだけリューウェイクは羨ましくも思えた。
「リュイ、あれは?」
「ん?」
カフェデートを楽しんだあとは、ティールームを出て、街中を散策することにした。
会話を楽しみながら歩いていると、ふいに雪兎が立ち止まる。
「ああ、結婚式かな。教会が近くにあるから。平民の結婚式は、ああやって広場を回ってみんなからの祝いを受けるんだ」
彼の視線の先、広場では人だかりができていて、賑やかな声や歌声が聞こえてくる。
笛や竪琴が陽気な旋律を奏で、手拍子と共に楽しげな歌声が響く。
古くから知られる祝いの歌で、国民なら誰しも知っている馴染みの曲。
つられてリューウェイクが口先で歌うと、雪兎が物珍しげに振り返る。視線で続けて、と促されるので、そのまま音色に乗せて歌を紡いだ。
「リュイの歌声は綺麗だな」
「そうかな? 簡単な歌だからすぐ覚えられるよ。ユキさんもどう?」
「……いや、やめておく」
なんとなしに勧めたがなぜか雪兎の笑みが引きつる。訝しく思いじっと顔を見つめると、ゆるりと視線が外された。
歌を勧めるくらいだから嫌いではないはずで――
「もしかして歌うのが苦手?」
途端に寄った眉間のしわでそれが答えだと気づいた。
まさかこんなところで雪兎の苦手を知るとは思わず、リューウェイクは微笑ましさのあまり笑ってしまった。
とはいえ自分の欠点を知られた彼は気まずいのか、少しだけふて腐れる。
「歌だけは、駄目なんだ。嫌いなわけじゃないが、周りにも歌だけはやめておけと言われる」
「そうなんだ。ふふっ、可愛い」
「別に可愛い話でもないだろう? まったく、君のほうがよほど可愛い」
「え? ユキ、さ――」
ふいに目の前に影が下りて、視線を上げる前に指先で顎を掬われた。
優しく唇に触れた感触と雪兎を阻む眼鏡の感触に、口づけられたのだと実感させられる。
味わうように唇を食み、ゆっくりと離れていく彼のぬくもりを、視線で追ってしまったリューウェイクは頬を染めた。
「もう少しのんびり回ろうか」
小さく頷いたリューウェイクを満足げに見つめ、手を引いた雪兎は様々な場所へ連れて行ってくれた。
生まれてからずっと過ごしてきた王都だというのに、足を踏み入れたことのない場所ばかりだ。
鍛冶屋でも薬屋でも、診療所でも教会でもなく。
民が楽しむ演劇場や恋人たちの定番である庭園を存分に楽しんだ。
連れられるままに入った宝飾店で、揃いの指輪を買って「もしやご結婚予定ですか?」と店主に問われ、言い淀む間もなく同意した雪兎に驚かされた。
王弟、副団長のリューウェイクとしては絶対に言えない台詞だ。
それでも彼の言葉を聞いて、気づけば繋いだ手を強く握りしめていた。
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