離宮へ来て初めて出た部屋の外――二階フロアはそれなりに豪奢だったが、一階へ下りればわりと殺風景だった。
この場所の用途として、幽閉される者は一階へ下りられないからだろう。
見張りのうち、三人はすっかり眠りこけており、一人だけはっきりと意識を持ってリューウェイクに頭を下げた。
彼はこのあと疑われないよう、少量の睡眠薬を含み、眠っていたことにする手筈だ。
部屋を出る前にリューウェイクは、ベイクの用意してくれた騎士服と、厚手の外套をまとい、ブーツに履き替えた。
すねの半分ほどが埋まる雪深さは、水をはじく薬液を吹きかけていないと、ブーツの内側まで水分が浸透するだろう。
「リューウェイク殿下、お待ちしておりました」
「ああ、これまでの潜入行動、ご苦労だった。君の主人にも礼を伝えてほしい。あと、貴方の築く治世を楽しみにしているとも」
ベイクに連れられ向かった先は、秘密の道とおぼしき場所。
そこでは潜入行動をしていた見慣れた騎士と、その背後に控える者が一人いた。
恭しく頭を下げる騎士をねぎらい、リューウェイクは彼のまだ若き主人への伝言を頼んだ。
「はい、必ずお伝えいたします」
「ところで後ろの彼は?」
先ほどからリューウェイクは、黙ったまま控えているローブのフードを深く被った者が気にかかる。
ベイクと潜入の騎士、二人だけで十分の場所にいる人物は――
「まず、抜け道に入りましょう。ここですと万一の場合があります」
普段であればすぐ答えてくれるのに、なぜか返答を後回しにされる。
とはいえ確かに、外にいると予想外の出来事が起きた際、身動きができなくなる可能性があった。
「……そういえば、私は除外されていないのか?」
王族の許可がないと通ることができない道。
真っ先に除外されるのは自分だと思っていたため、リューウェイクは少しばかり疑問に思った。
「リューウェイク殿下だけ除外できなかった――と話しているのを、我が主が耳にしたそうです」
「そうなのか、女神さまの導きだろうか」
失敗の原因は定かではないが、ルバリオやグレモントはやはり離宮に、リューウェイクを閉じ込める気であったのだ。
「おそらく我が主と女神さまの盟約により、女神さまが世界に直接介入できたのではないかと」
「バロンが暴れなかった理由はそれなんだな」
幼い彼が自身の父親と、祖父の尻拭いをする羽目になるとは、誰が想像しただろうか。
頼りない細い肩にのし掛かる重みはどれほどだろう。リューウェイクは胸が締めつけられる思いがする。
「ベイクさん、これからの支援を団長に――」
「わかっている。お前がいなくとも我々は彼の方を支援し後押しする。次は迷わない」
「ありがとう」
これまでベイクたちは、リューウェイクへ手を差し伸べるべきかどうかを迷い、なかなか踏み込みきれなかった。
その失敗を活かすと言い切るベイクに、リューウェイクは心からの礼を告げた。
「この道は異空間なのだろうか。なんだか不思議な感覚がする」
開かれた道に入ると景色は雪道なのだが、現実とは異なる奇妙な違和感があった。
古い文献にはそれらしい事柄は書かれていなかったので、リューウェイクだけが感じているのか。
「もしかしたらもっと古い書物を調べ直せば、転移門の一般化を――」
「ふっ、こんな時でもリュイはリュイだな」
「え?」
吹き出すように笑ったその声は、いまリューウェイクが一番聞きたかった人のもの。
慌てて背後を振り返ると、後ろにいるのは騎士とローブの人物。
「ユキ、さん?」
まさかという感情がわき上がるけれど、リューウェイクが間違えるはずもない。
じっと見つめると、視線の先の人物はフードをおろし、まっすぐと見つめてくる。
「俺が格好良く救い出しに行きたかったんだが、失敗したら事だから泣く泣くベイクさんに譲ったよ」
「ユキさん……ユキさんっ!」
苦笑する雪兎の姿に、これまでずっと抑え込んできた感情が、リューウェイクの中で一気に吹き出す。
気づけば駆け出しており、彼に飛び込む勢いで抱きついていた。
「迎えに行けずにごめんな。いざというときに俺は本当に役に立たなくて」
「そんなことない。ユキさんはずっと僕を支えてくれていた」
「毎日、リュイの夢ばかりを見ていた」
「羨ましい。僕もユキさんの夢が見たかった」
「ふふっ、羨ましいのか」
抱きしめ返されて、リューウェイクがぐりぐりと肩口へ額を擦りつけたら、小さく笑われて微かな振動が伝わる。
雪兎のぬくもりが、声が、近くにある事実にリューウェイクは涙が出そうだった。
「おーい! お前ら、早く行くぞ。出口であいつらが待ってる」
「ベイク殿、水を差すものではありませんよ」
「この二人、いちゃつきだすと周りが見えなくなるんだぜ」
「殿下が幸せそうなのは良いことではないですか」
「……どちらも非常に恥ずかしいから、やめてくれ」
雪兎とベタベタするのを揶揄されるのも、真面目にどうぞそのままといった感じで控えられるのも、同じくらい羞恥だ。
リューウェイクはそっと雪兎へ回した腕を解き、咳払いをした。
しかし雪兎の腕はさっと腰へ回される。
「そうだ、ユキさんはどうやって道に入ったんだ? おそらくユキさんもオウカさんもいち早く除外されていただろう?」
「ああ、少しばかり誤魔化して入った」
リューウェイクのように女神が手を貸してくれたのかと思ったが、雪兎は少し、と親指と人差し指で量を表す仕草をする。
「リューク、この男の少しを信じるな。こいつ、とんでもねえ真似をしやがった」
「え? なにか危険を冒したのか?」
先頭を歩いていたベイクが、なんとも言えない苦い顔をして振り向き、雪兎をあからさまに指さして非難する。
そんな声に当人は軽く肩をすくめただけだ。
「酷いな、ベイクさん。全然、危険は侵していない。騎士団の中で俺と波長が合いそうな人を見つけて、魔力の気配をコピーさせてもらっただけだ」
「コピー?」
「ああ、複製。たぶん出入り口で魔力の判定をされているんだろうと踏んで、入る時に借りた魔力で入ったんだ。想像どおりだった」
「えぇ? なにをしてるのユキさん! もしそれで中に入ったあと、なにか起きてたらとか、考えなかったの?」
「大丈夫な気がしていた。夢で見たし」
「だっ、だとしても……」
あっけらかんとした雪兎の様子に、リューウェイクは脱力してしまった。もしかしたら夢は女神からの助言だったかもしれないけれど。
確かにベイクが苦い顔になるのがわかる〝とんでもないこと〟だ。
「出る時はどうするの?」
「ああ、魔石に魔力を込めてもらったから、それを使う。さっきも問題なく出られた」
「誤魔化すのに魔石に内包される程度の魔力で大丈夫なの?」
「んー、コピペを繰り返す感じだな。複製を繰り返して量を増やす、みたいな」
けろっとした顔で雪兎は言っているが、リューウェイクを含め三人、思わず口から出た言葉は――「規格外がすぎる」だった。
「色々と言いたいところだけど。いまはどんな状況なんだろうか」
「騎士団はかなりそわそわした状態だな。普段休みなく働いているリュークの姿が見えないのは、誰だって気になる。動きを止めたら息が止まるんじゃ、って言われてるくらいだったしなぁ」
「私は、そういう目で見られていたのだな」
ベイクの言葉にリューウェイクは複雑な気持ちが湧いた。
心配されているのは嬉しいものの、働き虫の自分の姿が見当たらない。そこが疑問の発端であるという現実に。
「それほどリューウェイク殿下は国のために働いておられるのです。正直、殿下を失うのは国の損失です。それに気づいていないのは上層の一部とその周囲だけだと思います。失ったあとにどれほど大きな穴を埋めてくれていたか、気づくでしょう」
「そう、か」
「リューク、引き返すなんて言うなよ。お前がすべてを補填する必要はないんだ。残された者はお前の偉大さを思い知り、後悔に苛まれながら死に物狂いで働くんだ。いい気味だろ」
揺れたリューウェイクの心に気づいて、すぐさま思い留まらせるベイクはさすがだ。
背中を押すみたいに言い切られ、生まれかけた迷いが吹き飛ぶ。
「あとに残る問題は気にせずに、お前はただ幸せになれ。そうでないと隣の男と、聖獣が本気で暴れ出しそうなんだ」
「ああ、そうする」
ふいに目の前が淡く発光して目をすがめれば、道の先に出口とおぼしき場所が現れた。
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