楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、道の外灯があちこちで灯り、すっかり夜の町並みに変わっている。
いまは洒落た雰囲気の店で食事をして、二人で葡萄酒のグラスを傾けていた。
料理はリューウェイクの口に合い、とてもおいしかったので満足だ。
雪兎が選んでくれた酒はどれも飲みやすく、強くないのでひどく酔う心配もない。
そう思いつつもリューウェイクはぼんやりと、グラスの中で揺れる赤色を見つめる。
いっそ酔って羽目でも外せたら、と考えていた。
「リュイ? どうした?」
「あっ、ううん。……時間が経つのが早いなと思っただけ」
「ふぅん。物足りないか。なら、ちょっとだけ上で休んでいく?」
「上? 上は……っ」
頬杖をついた雪兎がまっすぐに見つめ、ふっとなにか企みを持ったように目を細めた。
問いかけの言葉を噛み砕き、理解したリューウェイクは、火をつけたみたいな熱さを頬に感じる。
貴族か、上流階級の平民くらいしか利用しないだろうこの店の上階は、宿泊可能な貸部屋になっていた。
少し前にした話の影響で、余計な考えを巡らしてしまい、顔の熱が引かずリューウェイクはとっさに俯く。
正直すぎるそんな反応など見透かしているだろうに、目の前の雪兎はなにも言わずにグラスを口元へ運ぶ。
(単純にもう少し一緒にって意味なのか。それともそういう誘いなのか?)
初めて肌を重ねてから随分経つけれど、抱き寄せられたり頬などに口づけられたりはあっても、夜の誘いを受けた覚えがない。
気持ちに応えていないのが理由だったなら、応えたいまはどうなのか。
(これは一体なんの動揺なんだ? 嫌なのか? ユキさんに、また……してもらえるのは、嫌じゃ)
「リュイ」
考えに没頭していたところで名前を呼ばれ、リューウェイクは飛び上がる勢いで体がビクついた。
恥ずかしさを感じつつも、慌てて顔を上げてみれば、小さく息をついた雪兎が席を立つ。
傍まで来て手を差し出されるので、もう帰るのかと思いきや。
彼は預けたリューウェイクの手を引き寄せ、指先に口づけた。
「いまのは俺が悪かったが、さすがに君の顔をこれ以上、ほかのやつらの前に晒したくない」
「顔?」
「羞恥に染まったリュイの顔が可愛すぎて駄目だ」
手を引き立たされたリューウェイクの耳元に、熱のこもった呼気と甘い言葉が触れ、恥ずかしさのあまり逃げ出したい気分になる。
しかし甘さは毒にもなるのか、身動きできなくなった体を雪兎に抱き寄せられ、導かれるままになってしまった。
途中で店の者に鍵を受け取ったのだろう雪兎は、迷いなく上階へ足を向け、部屋に入り扉を閉めた。
――途端、彼はリューウェイクを両腕で抱き上げた。
「ユ、ユキさん?」
部屋はソファが置かれたくつろげるスペースと、その横に大きな寝台が一台。
夜会の会場によくある休憩室とさほど変わらない空間だ。
酔って休憩する客もいるだろうけれど――あの時、雪兎が言ったように泊まるのでなければ、することは一つだろう。
「リュイが悪い。ただ少しゆっくりと二人で酒を飲もうと思っただけなのに。……いや、人のせいにするのは良くない。君の可愛さに惑わされた俺のせいだ。俺が悪い」
寝台の端に下ろされ、状況把握をする前にリューウェイクは唇を塞がれた。
何度も唇をついばまれ、甘噛みされて、痺れるような感覚に息を漏らせばそこに舌が滑り込む。
頬を撫でる雪兎の手と、口腔を愛撫する舌のぬくもりがたまらなく、リューウェイクは両腕を伸ばし彼の背を抱いた。
「んっ、ユキ、さん」
「リュイ、可愛い。たまらない」
邪魔になるリューウェイクの眼鏡を、サイドボードに投げ捨てる勢いで放って、雪兎は口づけの合間に「好き」と「可愛い」を繰り返す。
さらに夢中になると、体を押し倒してきて、彼は貪るように口づけてくる。
息を継ぐ間もなく舌でまさぐられ、苦しくてたまらないのに、リューウェイクの手は押し退けるどころか、雪兎をなおも引き寄せていた。
「はあ、さすがにこれはまずい。悪い、このままは嫌だよな」
「ユキさん? ……あっ」
ふいに唇と共に雪兎が離れていき、リューウェイクは物寂しそうに見つめた。
しかし額を押さえ、苦い顔をする彼に問いかけようとするが、自分の状況に気づき、顔を熱くしながら何度も同意の頷きを返す。
いつの間にかジャケットやシャツのボタンを外されていたが、今日は一日、歩き回ったあとだ。
少なからず汗を掻いただろうし、汚れた体で雪兎に抱かれたくない。
「時間がもったいないし、一緒に入ろうか」
「えぇっ?」
リューウェイクは手早く湯浴みを済ませてしまおうと思っていた。
だというのに色気の溢れた視線を寄こし、雪兎は驚きに固まったリューウェイクの体を再び抱き上げる。
「ユ、ユキさん!」
「そんなに慌てなくても、落としたりしないぞ」
細身ながら、リューウェイクはそれなりに鍛えている。重いか軽いかと言われたら重いだろう。
だが雪兎はちっとも重さを感じていないみたいに、軽い足取りで浴室へ向かっていった。
後ろからチュッと口づけを何度も繰り返す音が聞こえる。
うなじや首筋、肩や背中、触れる感触に体を震わせながら、リューウェイクはきつく目を閉じた。
「リュイ、怒ってるのか?」
雪兎が覗き込んでくる気配を感じても目を開けず、さすがに浴室を出て三十分近くも過ぎれば、彼も諦めがこもるため息を吐く。
それでも離れようとしない雪兎は、両腕でリューウェイクを抱きしめ、首元に顔を埋めてくる。
柔らかな香りがする雪兎の髪が、ガウンの隙間から首筋に触れ、少しばかりくすぐったい。
リューウェイクは思わず身じろいでしまい、ベッドシーツがかすかに衣擦れの音を立てた。
「すまない。俺もまさか、自分があそこまでこらえ性がない男だとは思わなかった」
落ち込む様子を見せる雪兎があまりにも哀れで、早く振り向いて抱きしめてあげたい。
――ところなのだが、リューウェイクも自分の身に起きた羞恥で、なかなか動けずにいた。
(ユキさんが、あんな、あんなことするから)
浴室まで行き、互いに体を清めて浴槽に浸かったまでは良かった。
十代半ばくらいまでは風呂の世話をされた経験があり、リューウェイクは他人に肌を晒す行為にそこまで忌避感はない。
相手が想いを寄せる人であるため羞恥はあっても、抱き合った仲なのでいまさらだ。
とはいえ性行為については初心者なゆえ、高度な行為に頭がついていかない。
(ユキさんの手で高められるのは、気持ち良かったからまだいい。けど、さすがに、舌で)
「リュイ?」
寝台の上でずっとリューウェイクを抱きしめている雪兎は、いきなり真っ赤に染まった体に気づいたのか、怪訝な声を上げた。
立てた膝に顔を埋めて、ふるふると肩を震わせるリューウェイクの背後から、心配する気配を感じる。
(でも女性の性器を舌で奉仕するというのもあるし、男性であればそうなるのか? いや、男性器はともかく、あそこはいくらなんでも)
「リュイ、ここを舌でいじられるの、そんなに嫌だった?」
「ひゃっ」
艶のある声と共に伸ばされた手で、臀部の割れ目を布越しになぞられ、驚きでリューウェイクの口から間の抜けた声が出る。
同時に浴室での行為を思い出してしまい、羞恥以上に腹の奥がゾクゾクとした。
「恥ずかしそうだったけど、それ以上に気持ち良さそうだったし、イキそうだったけど」
「ユ、キさんは、いつもあんなこと」
「……しないな」
「え?」
予想とは違う答えにリューウェイクが思わず振り返ると、雪兎は思い悩む表情を浮かべている。
これまでの自分と、いまの自分の行動を比べて悩んでいるのか、彼の小さな唸り声まで聞こえてきた。
「いままでの相手は、わりとすぐ乗っかってくる子が多くて」
「随分と肉食系だね」
「俺はどちらかというと奉仕したいタイプなんだが、向こうは自分が楽しみたいタイプで」
「ユキさん、不憫」
「酷いな。だけどおかげでリュイの尊さを噛みしめている。君のような人に出会えた俺は幸せ者だ」
(人、か。いままでの相手を称するのは子なのに、いまは僕を対等な相手として見てくれているんだろうか。元恋人はきっと僕より年上の相手だったろうけど、そうだったら嬉しい)
表情を和らげ笑う雪兎の顔がリューウェイクは好きだ。
これまでの相手は正直、とても気になる。
だがいま特定の相手がいない状況から見ても、これまでの彼らが雪兎を幸せにできなかったのは確か。
こうして雪兎を笑わせてあげていなかったに違いない。
もし向こうで過去の相手が現れても、リューウェイクは確実にそこだけは誇れる。
「リュイの嫌なことはもうしないから」
「いいよ。ユキさんがしたいこと全部して。僕はユキさんなら」
「こら、リュイ、駄目だ。それは恋人に言ってはいけない言葉だ」
「そうなの? だったら我慢する?」
「うっ、意外とリュイは意地悪だな」
拗ねた雪兎の声が可愛い。
身をよじり、向かい合ったリューウェイクを見る彼の目が、どこか縋って見えて口元が緩むのが止められない。
誤魔化すために唇を寄せれば、雪兎の伏せたまつげが頬に触れた。
「リュイ」
「ユキさん、好きだよ」
初めて告げた想いが引き金になったのか、寝台に沈められた体が美しい黒い獣に貪られる。
媚薬の効果ではないじわじわと湧き起こる快感。あの夜に覚え込まされた雪兎のぬくもりを身体が覚えていた。
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