次候*霞始靆(かすみはじめてたなびく)

 暁治が引っ越した古狐野町は山間にある田舎町ではあるが、よくテレビで見かけるような過疎地ではない。近隣は家がそれなりに点在しており、単身者のアパートやマンションなども多くある。 町と町を繋ぐ電車は一時間に数本。時間帯によっては一本程度しか走…

初候*土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

 あの日の晩のあれは、夢だったのではないだろうかと目が覚めた瞬間は思った。祖父の昔語りを思い出し、夢見心地のうたた寝をしていただけなのではないかと。 けれど目が覚めてテーブルの上を見たら、ご丁寧に一種類ずつ選り分けたいなり寿司が家の皿に移し…

末候*魚上氷(うおこおりをいずる)

「じゃじゃーん、いなり寿司ぃ」「おさけーおさけー!」先ほど点けたストーブの部屋は、元々居間として使っていた場所だ。祖父がテレビが好きだったため、置いてあるテレビも大画面のもの。双子は勝手にテレビをつけると、すぐ隣の台所からコップや皿を持ち出…

次候*黄鶯睍睆(うぐいすなく)

 黄泉がえり、という言葉がある。 死者が文字通り、生者の世界へと戻ってくることだ。 余りにも今世に未練を残した死者は、あの世に行けずにこの世界を彷徨うという。これも祖父の寝物語の受け売りだ。 ほと、ほと。 音が聞こえる方へと、ひとりでに足が…

初候*東風解凍(こちこおりをとく)

「日本語という言葉は世界で一番難解で、だが世界で最も美しい言語だと僕は思うね」|暁治《あきはる》の祖父は、生前口癖のようによく言ったものだ。ひらがなかたかな、漢字と、三つの文字を使い分け、ときには文体や読みを無視して言葉を綴る。確かに初めて…