末候*魚上氷(うおこおりをいずる)

「じゃじゃーん、いなり寿司ぃ」
「おさけーおさけー!」

 先ほど点けたストーブの部屋は、元々居間として使っていた場所だ。
 祖父がテレビが好きだったため、置いてあるテレビも大画面のもの。双子は勝手にテレビをつけると、すぐ隣の台所からコップや皿を持ち出してきた。掘りごたつの上に並べ始める。

「そんな皿あったっけ」

「お客さま用ー」
「こっちは神さま用ー!」

 勝手知ったる人の家とはよく言うが、長期休み限定でブランクがあるとはいえ血の繋がった孫より、ご近所とはいえ彼らの方が物知りなのはいかがなものか。
 さらには暁治は今はこの家の主人だ。初心者ではあるが。

「先に神さまいっとこか」

「いっとこー」
「いっとけいっとけ!」

 そういえばこの家には神棚があるのだった。時々祖父がなにやらお供えをしていたのを思い出す。
 先ほどアケミネと呼ばれた彼は、白髪の子供が台所から瓶子と呼ばれる酒器を持ってくると、中に酒を注いだ。そのかたわらで黒髪の子供は抱えてた包みを開ける。重箱が三つ。中に並んでいたのはいなり寿司だ。ぎっしりとつまっている。
 アケミネは菜箸を使って器に盛ると、酒と一緒に神棚に祀った。

 手にしていた包みをこたつの上に置くと、なんとなく暁治も彼らと一緒に手を合わせる。いや、この家の主人になった以上、神棚を祀るのも本来暁治の役目のはずだ。

「ありがとう」

 礼を言うと気にするなとばかり、アケミネは大きく手を振った。

「引っ越したばかりだと、勝手わかんないしねぇ。この家前の住人の引き継ぎだし。せっかくだから、セルフサービスしとこうかって」

「ねー」
「さーびす!」

「ふぅん」

 田舎は近所付き合いが盛んだというから、他人の家も自分の家同然なのだろう。

「まぁまぁ、それより寿司でも食べよう。『菊花堂』の美味しいいなり!」

「おいしーよ」
「ほっぺた落ちるよ!」

 アケミネが音頭を取るように指を振ると、双子がそれぞれ手を挙げて応えた。
 癖なのか決まりでもあるのか、黒髪が先に口を開くと、白髪が言葉を続けるらしい。子供によくある彼らだけの暗黙のルールというやつだろうか。
 盛られた皿からいなりをつまんで口に入れる。甘い出汁の染みた油揚げが、しょうがと白ゴマの混ざった酢飯と良く合う。

「こっちはわさび入りー」
「干しエビやくるみ入りもあるよー!」

 どうやら一種類だけではないらしい。変わり種というやつだろうか。次々勧められてどれにしようか目移りしてしまう。

「ほら色々あるよぉ。上にお腹見せてるから、中身わかりやすいし。僕のおすすめはねぇ、サバ缶混ぜたやつと、ゆかり入りかな」

「へぇ」

 どうやらいなり寿司というものは、ずいぶんフリーダムなようだ。混ぜご飯を油揚げで包んだものと思えばいいのだろうか。軍艦巻きのようにいくらが乗ったやつもある。
 ひとつ手に取る。これはゆかり入り。

「あ、美味い」

「でしょ?」

 我が意を得たりと、少年の整った顔に満面の笑みが浮かぶ。

「サバもね、ちょうど今が旬だしね」

「そうなんだ?」

「うん、秋サバが有名だけど、春サバって言うくらい」

 春という言葉に首を傾げる。確かに立春というけれど。

「暦の上ではもう春だよ。春って言うと四月ごろって思いがちだけどさ、実はサバが美味しいのは今くらいの時期なんだよね。ほらこの家の裏の池の薄氷もそろそろ割れる時期だし、眠ってた魚も起き出すころだろ。栄養とって太り始めるのかもねぇ」

 ぱくりと、アケミネはいなり寿司を口に入れて、頬を緩めた。美味しかったのだろう。

「あ~、ぼくもぉ」
「ぼくもぼくも!」

「は~いはい、君たちは小さいから、少しずつね」

 アケミネは箸を使ってひとつ小皿に取り分けると、二つに分けた。
 子供二人はどう見ても兄弟だろうが、彼はなんだろう。兄弟にしてはあまり似てない気がする。甲斐甲斐しく世話を焼く少年の様子を横目で見つつ、暁治はサバ入りいなりをかじった。
 なるほど、春の味か。

「あ、でもそれ缶詰だから、春サバかどうかはわかんないけどね!」

「……」

 今の長い前振りはなんだったのだろうか。楽しげに笑う少年を細目で見ると、暁治はこめかみを抑えた。

「さーさー、飲んで飲んでー」
「いっぱい飲んでー!」

 まったく姦しい。祖父のとっときの青い切子グラスに、よろけながら一升瓶を傾けられ、暁治は慌てて酒瓶の口元を支えた。

「おきゃくさぁ~ん、もぉ、あんまり飲みすぎちゃダメじゃないのぉ~」
「きょーもお仕事お疲れさまぁー、むりしちゃやぁよ飲んでー!」

 親の真似だろうか。どこの家の子かわからないが、あまり教育によろしくない見本を見せているようだ。いや、そもそも子供の髪を白くなるまでブリーチするとか、親としてどうだろう。

「あ、美味し」

 無意識に切子グラスを手に取り煽った。花の模様の入った海の色のグラスから喉に流れ込むピリッと辛い淡麗な味に、暁治は思わず息を飲む。

「でしょ? それうちの町の地酒なんだ。純米大吟醸。米も町内で作ってる、こだわりの逸品ってやつ?」

 地産地消というやつだろうか。グラスが空になるや、白髪の子供がお代わりを注ぐ。「あ、どうも」と口にするとまた一献。
 甲斐甲斐しく世話をされているのは、どうやら暁治の方らしい。これではどちらが客だかわからない。

「へぇ、これもなかなか美味しいねぇ。ちょっと温くなっちゃったのは残念だけど」

 見るとアケミネがお銚子を片手に手酌酒をしている。そういえば先ほどレンジに入れたままだったのを思い出した。

「待て」

「ん?」

「未成年は飲酒禁止」

「僕未成年じゃないよ?」

「うそつけ」

 どう見てもアケミネは中高生くらいにしか見えない。もし暁治が学校の先生であれば、家に帰しているだろう。
 早急に取り上げなければ。暁治はそう思うや、少年の手からお銚子を取り上げてそのまま一気に煽った。

「あ~! ちょっと暁治、もしかして君酔ってる?」

 酔ってると聞かれ、首を振る。
 意識ははっきりしているし、酔っていないという確信もある。

「大人として未成年の飲酒を見過ごすことはできない」

 ほら、ちゃんと正しい判断もできる。

「いや顔赤いし、ふらふらして呂律もまわってないから。それにそのでかい湯呑み。それ寿司用でしょ? ちょっと君たちもうお酌しないでいいから! 暁治も飲んじゃダメ!!」

「湯呑みの方が効率的ー」
「いっぱい飲めるぞー!」

「あぁもう飲ませちゃダメ! 暁治? ねぇ、はる!? あ、ほら寝ちゃったじゃないか」

 呆れたような声が聞こえた。頭の上でなにやら言い合っているようだ。
 薄目を開けてぼやけた頭で辺りを見る。もしかしてアケミネの言葉通り、自分は酔ってるのかもしれない。飛び跳ねる子供たちにふさふさの尻尾が、少年の背に黒い翼が見える。

 もし、仮に百歩譲って彼らが異形だとして。
 祖父の言葉、『夜来たるもの』。
 たぶん、断じて絶対こんなのじゃないはずだ。断言。

 ――一人になりたかったはずなんだがなぁ。

 楽しげに流れるテレビの音や、賑々しく騒ぐ声が彼を包む。意識を飛ばす寸前、あの尻尾触れるんだろうか、ぼんやりそんなことを思いながら。